06 すっかり癖になった(完)

 夜の街に理術の火が灯る。

 光波構文を使った街灯は、王都カーセステスの住民には馴染みのものだ。

 街区ごとに仕込まれた設置型式盤が稼働し、火よりも安全かつ安定した光が闇を照らす。これに慣れると、危険かつ光量が一定にならない炎の灯火は使い勝手が悪く感じてしまう。


「そうだよなあ、これも理術だもんな。よく調律院に興味を持たないでいられたな、俺」


 歩きながらレオニスは妙な感想を洩らした。


「気づかれないくらいがいいんだよ」


 ジェズルはそう返す。


「理術士に用がないってことは、世間に問題がないってことだからな」

「もしかして調律院には渉外担当官としての俺も必要なんじゃないか?」


 宣伝が足りない、という意味らしい。とは言え笑っているところからすると冗談のようだ。


「理術士が脚光を浴びることだって、ない方がいいんだ。そういうときは大きな事件や事故があったあとだったり……戦の気配がある、ということにもなり得る」


 理術士は一騎当千の兵士になる。調律院は中立を心がけているが、それでもカーセスタ王国の機関だ。勅命でも下れば、無視はできない。


「調律院の理念は均衡を保つこと。何を読んでもしつこいくらい出てくるもんな」


 レオニスもうんうんとうなずく。

 調律院の紋章である双理交織象紋の意匠にもなっている天秤は、世の天秤であれ、という院の理念に通じている。


「俺も支えちゃうかあ、天秤」

「一緒に頼めるか」


 しれっとジェズルが言うとレオニスは目をしばたたき、それから笑った。


「おう、任せろや」


 最初に聞いたときはどうなるかと思ったが、どうやら話の解る相手だ――と、おそらく互いに思ったことだろう。


「あれー? レオくんじゃなーい?」


 そのときである。明らかに酔っ払った女の声がした。


「お、サニーちゃんじゃん。どした、こんなとこで」

「フラれて帰るとこー。ちょーどよかった、送ってよお」


 ジェズルからすると、相手の顔に見覚えはない。理術局の者ではなさそうだが、かと言って報宣庁の公務官にもあまりいそうにない雰囲気の女性だ。


「サニーちゃんを振るとかどこの馬鹿だ? 仕方ない、判ったよ。んじゃジェズル、悪いけどここで」

「あ、ああ」


 今度はジェズルが目をぱちくりとさせる羽目になる。


(確かにご婦人のひとり歩きは危ない、妥当な判断だが)

(……噂の全部が誤解、という訳でもないな、あれは)


 「サニーちゃん」とずいぶん近い距離で歩くレオニス――公正に見るなら、女性がかなりふらついているのを案じてのことだろうが――を見送りつつ、ジェズルは苦笑を禁じ得なかった。


―*―


 やがて――。

 ジェズル・ファーダン理術士とレオニス・キイルス理報官の二人組は若手のなかで群を抜いている、と評判になっていく。迅速性と正確性が高く評価されたのは、レオニスの情報収集力とジェズルの応用力がぴたりとはまったためだろう。

 そんな彼らに辞令がくだるのは、それから一年近く経った頃だ。


「ラズト支部? って、ヴァンディルガ寄りの〈国境支部〉だよな?」


 内々にその話を聞かされたあと、理術士と理報官はまず話し合った。


「ジェズル・ファーダン理術士がどうしても必要ってんなら仕方ないが、誰でもいいがとりあえず、なんてのは理報官として許容できんな」


 ふん、とレオニスは鼻を鳴らした。


「どうなんだ? 実際のとこ」

「まだ俺もこれから調べるところだ。本部からの異動はあるにしても、中央付近だと思ってたからな。或いは遠くてもナイリアン方面。それが、ヴァンディルガとの国境に近い北西端ときた」


 空中に地図を描くかのように指を動かしながら、ジェズルはラズトの町があると思しき辺りを指した。


「ヴァンディルガかあ。歴史上で考えると近づきたくない国だよな。いまの皇帝はだいぶマシらしいが」

「三十年の平和を保つためにも、大事な拠点って訳だ」

「腕を見込まれたからなのか飛ばされるのか判断しづらいな」


 おどけてレオニスが言えば、ジェズルは口の端を上げた。


「飛ばされる覚えが?」

「ないね! よっしゃ、栄転!」


 「栄転」でもないだろうが、少なくとも期待はされていると、そう思っていいはずだ。


「書類によると、高齢の統理官兼主理術士の補佐が主目的だ。理報官が退任したが後任がいないとか」

「へ、理報官なしで理術士業? そんなことあんの?」

「基本的には、ない。ただ、ラズトのハイム専理術士は大のつく熟練なのと、引退も間近なので、いまさら新しい理報官を必要としないらしい」

「大丈夫か? それ、かなりの偏屈ジジイなんじゃねえの?」


 そんな人物が首位の、おそらく小さな支部に向かうのは気乗りがしないと、レオニスはそうしたことを口さがなく言った。


「いまのところ、彼を悪く言う人物はいないな。ただ」

「ただ?」

「ハイム殿の名を告げると『大変だろうが頑張れ』とは言われる」

「やばジジイじゃねえか絶対!」


 遠慮会釈ない暴言一歩手前に、ジェズルはすっかり癖になった苦笑を浮かべる。


 はじめの内はハラハラすることもあったが、レオニスはこう見えて時と場合をわきまえられること、いまではちゃんと知っている。

 たまにはやらかすこともあるが、そのときはジェズルが助ければいい。そうやってふたりは均衡を保ってきた。


「待てよ? 引退間近ってことは、お前が次期統理官候補ってことじゃんか!?」

「ないよ」


 身を乗り出したレオニスをジェズルは一蹴する。


「そういうのは専理術士がやるんだ」

「専理術士も人数足りないだろ、抜擢かもよ?」

「ないない。だいたい、専理術士の大先輩の後釜なんて俺には荷が重すぎる」

「……ふうん? 本音は?」

「支柱のほうが性に合う」


 首位は向いてない、とジェズルは手を振った。


「無欲だねえ。いや、そうでもないか?」


 レオニスは考えるようなふりをした。


「支部で大将やるより、実績積んで理術局に戻って国を動かそうってんだろ。理術監候補ってのもあながち世辞じゃなくなってきたしな」

「そんなこと考えてないって。目の前のことをひとつひとつやってくだけだよ」

「……真面目人間め」

「そうだが?」


 返せば今度はレオニスが苦笑する。理報官の方でも「癖になった」と思っているだろうか。


「何であれ、理報官が不要になる地位には昇らないでくれな。お前とやるのが楽すぎて、いまさらほかの理術士に付くのはだるい」


 レオニスが言い放てばジェズルは呆れた。


「そんなのやってみなくちゃ判らないだろ。お前は俺にしか付いてないんだから」


 もっと「楽」な相手と出会うかもしれない、というジェズルの正論に、レオニスは唇を歪めた。


「そんな顔するな。冗談だよ。だいたい、俺たちが決められることでもない」

「ま、そこが『俺たち』になるなら、似たような気持ちだと思っとくよ」


 レオニスはしかめ面をやめて再び書類を手に取った。


「新天地に飛び込むことにかけちゃ俺の方が経験者だな。頼ってくれていいぞ、理術士くん」

「確かにそうだ。ぜひお願いしよう、理報官殿」


 真顔でふたりは言い合い、それから堪えきれずに吹き出した。


 彼らがラズト支部でいくつもの新しい出会いを果たすのは、これからもう少しあとのことになる。


―了―


本編「理術士の天秤」

https://kakuyomu.jp/works/16818792436960446957

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調律片譚 支柱となるために 一枝 唯 @y_ichieda

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