第6話 In my memory

「真実は私の最後の記憶に追体験すると明らかになります」


 そう伝えると久遠悠里くおんゆうりの姿がゆっくりと消えていく。


 非常灯の白光が夜闇やあんに沈み、記憶標本館の冷たい壁へと淡い影を落としていた。しんと静まり返ったホールのなかで、時任璃空ときとうりくは逃れようのない心臓の爆音に思わず耳を塞ぎたくなる。


 璃空りくは深く息を吸い込み、目の前に浮かぶ久遠悠里くおんゆうりの記憶標本へと手を伸ばした。彼女の最期である記憶に触れる……ためらいはなかった。未来の自分が干渉したその瞬間をこの目で確かめるために、彼は追体験の準備を整えた。


 厳重に管理された小さなガラスの容器からデータが解放された瞬間、展示ホールは突如として深い霧に包み込まれた。視界を奪う白いもやは天井の照明を乱反射させながら金色や桃色に妖しく輝きだす。


 璃空りくが手を伸ばして輝くもやに触れた瞬間、沈黙していた空間に色と音が一斉に流れ込みはじめた。




 ———耳をつんざくようなブレーキ音。タイヤが焼ける焦げ臭い匂い。夕陽に赤く染まり始めた交差点。


 気づけば視界は彼女のもの。

 車道の向こうから制御を失った一台の車が蛇行しながらこちらへ突っ込んでくる。その迫りくる光景を悠里自身の視点でただ見つめるしかなかった。


 その時、誰かが猛烈な勢いでこちらに駆け寄ってくる。


 悠里ゆうりは、目の前の人物が誰なのか理解した。

 ――璃空りくだ……。しかも未来の璃空りく


 白髪の混じりはじめた髪、穏やかな顔立ち。その初老の彼が、悠里ゆうりを庇うように勢いよく突き飛ばしてきた。


「生きてくれ!!!」


 その叫びが記憶の奥で響いた瞬間、悠里ゆうりの体は横へ大きく弾き飛ばされる。視界はアスファルトの灰色と夕暮れの橙がぐるぐると入れ替わった。


 次の瞬間――未来の璃空りくの体が暴走車にぶつかり空を舞う。


 鈍い衝撃音。骨の砕ける嫌な感触。アスファルトに叩きつけられ、血の匂いが辺りの空気を満たした。その生々しい感覚が記憶越しに璃空りくの鼻を刺す。


 悠里ゆうりは必死に地面を這い、彼のもとへ手を伸ばした。そして未来の璃空りくの手を握りしめる。だが、彼の体はもう二度と動かなかった。


 璃空りくは叫ぼうとする。

「動け!!!」と未来の自分に向けて。

 しかし声は出ない。この記憶には干渉できないと知っているからだ。


 悠里の視界は涙で滲み、画像が激しく揺れる。涙が画面を乱すように、映像はトラッキング現象を起こすと記憶はそこで途切れた。


 ———そう。璃空りくは今、久遠悠里くおんゆうりの最期の記憶に触れ気付いた。


 自分が彼女の記憶に追体験を繰り返したことで彼女を愛し、時間のルールを破ってまで命を救ったことを。


 そして悠里ゆうりもまた、命を救ってくれた未来の璃空りくを、深く意識に刻み込んでいたのだった。


 夜のとばりが落ち東の空が白みはじめた頃、璃空の意識は断たれた。



◇🔷◇



 しばらくして、ふと意識が戻った――そう感じた。だが璃空りくは、身動き一つ取れなかった。


 記憶標本館に演色性の高い照明が静かに点ると、璃空りくの視界の前にふわりと文字が浮かび上がった。


 【 展示標本 №525323:時任璃空 】


 呼吸もない。声もない。体の感覚さえない。あるのは、硝子の容器の中に閉じ込められた“意識”だけ。


 そんな璃空りくの前に一人の人物が近づいてきた。しわの刻まれた指で、容器横のタッチパネルにそっと触れ、震える声でつぶやく。


璃空りく……ありがとう」


 それは、年老いた久遠悠里くおんゆうりだった。


 未来の璃空りくに命を救われた彼女は、自分の人生を生き抜き、そして今――この記憶標本館に収められようとしている。


「あなたが私を救ってくれたから、私は今日まで生きて来られたのよ」


 彼女の頬を伝い落ちる涙を、璃空は見守ることしかできない。


 璃空りくは自分の未来を未来の自分に託し、悠里ゆうりは救われた未来を胸に抱いて生き切り――そして今、記録標本として刻まれようとしている。


 失われた命と、救われた命。

 その狭間には『命の重さ』だけが、二人を結び続ける。


 時任璃空は久遠悠里の記憶の中で。

 久遠悠里は時任璃空の記憶の中で。

 この場所を介して、きっと永遠に生き続けるのだろう。


 静寂の中、記憶標本館は今日もゆっくりと開館の時を迎えようとしていた。



[ 完 ]

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記憶標本館の異常記録~故人の記憶に映るのは僕!?~ あさき いろは @iroha-24

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