わたしの可愛い坊ちゃん。

雨世界

第1話 暗い場所からこんばんは。

 わたしの可愛い坊ちゃん。


 暗い場所からこんばんは。


 ジジは薄明かりのぼんやりとした闇の中で、じっとしていた。

 世界にはざーっという音を立てて、冷たい雨が降っている。

 ジジがジゼと初めて出会ったのも、こんな雨降りの暗い夜の中だった。

 ジジは静かな眠りの中で、そんなジゼと出会った日の出来事を、まるで、もう消えてしまった、ずっと昔の幸せな夢を見るようにして、……そっと、思い出していた。


 あなたは、どうして泣いているの?


 ジジが一人で暗い夜の中で、しくしくと泣いていると、急にくすくすとどこからか、そんな聞き覚えのない猫の笑い声が聞こえてきた。

 ジジがびっくりして、周囲の暗闇をきょろきょろと見渡していると、「こっちだよ」と言う、すごく優しい大人の女性の猫の声が聞こえてきた。

 ジジが声のしたほうにある、自分の背後にあった都市のビルとビルの間にある深い闇の中をじっと見つめると、その闇の中に急に二つの緑色に輝く猫の瞳がぱっと光がともるようにして、あらわれた。(ジジはすごくびっくりした)

 それから、その二つの緑色の瞳が、ジジのいるほうに向かって動いてくると、やがて、その深い闇と完全に同化していた、その大人の女性の猫の黒い毛並みの美しい体がぼんやりとジジの黄色の目にも、見えてくるようになった。

「こんばんは。坊や」とその大人の猫はとても優しい声でジジに言った。

「こ、……こんばんは」とどきどきしながら、ジジは言った。 

 それからジジは涙を拭って、じっと下を向いた。隠れて泣いているところを知らない大人の女性の猫に見られてしまって、……ジジはとても恥ずかしかったのだ。 

 そんな下を向いて恥ずかしがっているジジを見て、ジゼはくすっとまた笑った。

「どうして泣いていたの? なにかとても悲しいことでもあったの?」

 ジジの座り込んでいる隣の場所までゆっくりと移動をして、ジゼは言った。ジゼの真っ黒な毛並みは本当に綺麗で美しかった。なんだかジジは自分の(ジジは三毛猫だった)都市の中を走り回っている間に、ぼろぼろになってしまった、幾つかの色が混ざった毛並みが、……急にひどく見窄らしく思えた。(ジジは自分の毛並みを自慢に思っていた)

「……お母さんが、いなくなってしまったんです。僕は、これからどうしていいのか、わからなくなってしまって……」とジジは言った。

 ジジの母親は三日前から、突然、(本当にいつの間にか)姿が見えなくなっていた。ジジは必死にお母さんを探したのだけど、結局、今のところ、お母さんは見つからないままだった。

 ジジはまた、(いなくなった、お母さんのことを思い出して)下を向いて泣き始めた。誰かの前で泣くつもりはなかったのだけど、どうしても悲しくて泣いてしまったのだった。

 びゅーという、とても冷たい冬の風が、細かい雨粒と一緒に、二匹のいるビルとビルの間にある、真っ暗な暗闇の中に吹き込んでくる。

 二匹のいる、ビルとビルの間にある闇の少し前には、車の明るいライトの光や、きらきらと輝く建物の電気の明かりや、たくさんの人間が傘をさしながら歩いている風景が見える。

「坊やはひとりぼっちなの? お母さんとはぐれてしまった迷子の子猫ってことね」とジジの隣にゆっくりと座り込んでジゼは言った。(ジゼはまるで、冬の冷たい風や、都市に降る冷たい雨から、ジジを守るようにしてそこに座った)

「はい」と泣きながら、ジジは言った。

「じゃあ、今日から坊やはわたしと一緒に暮らしましょう? それでいい?」とにっこりと笑ってジゼは言った。

「え?」とその言葉を聞いてジジはとても驚いた。

「あら? いけない? 年齢的には、わたしと坊やはちょうど母親とその泣き虫の息子、と言った関係だと思うけど? だから、わたしがあなたのお母さんの代わりをしてあげる。坊やの本当のお母さんが見つかるまでの間ね」とジゼは言った。

 ジジはなんだか、とても驚いてしまった。

 そのとき、ぎゅー、とジジのお腹が鳴った。 

 その音を聞いて、くすくすとまたジゼは笑うと、「とにかく、一度食事にしましょう。ついてきて。坊や」と言ってジゼはビルとビルの間にある暗闇の中に歩いて移動を始めた。

 ジジはそんなジゼの後ろ姿をしばらくの間、じっと見つめてから、ゆっくりと、ジゼのあとについて、その場所を移動した。

 ……やがて、二匹の姿はビルとビルの間にある闇の中に消えていって、誰の目にも見えなくなった。

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