第10話

「……が……あ……」


フロンティアの冒険者ギルド。その中央で、アレスは信じられないものを見る目で、自らに巻き付いた石の拘束具を見つめていた。 ギルドの床そのものが、まるで生きている蛇(じゃ)のように彼を締め上げ、身動き一つ許さない。 喉元(のどもと)には、バルガスの【雷龍帝の神槍】が殺気を放ち、周囲は、ロイドが錬成した【魔鋼】の剣を抜いた衛兵たちによって、完全に包囲されている。


詰みだ。


「ひっ……!」 魔術師のサラは、その人知を超えた光景と、向けられる殺気に、ついに腰を抜かし、その場にみっともなくへたり込んだ。 「あ……あ……」 神官のリナに至っては、恐怖のあまり完全に意識を失い、白目を剥(む)いて床に倒れ伏している。


かつてSランクパーティとして王都の頂点に君臨した英雄たちの、惨(みじ)めな末路だった。


「……バルガスさん」 ロイドが、冷徹な声でギルドマスターを呼ぶ。 「その者たちを、地下牢へ。衛兵への傷害未遂(門番)、ギルド内での抜刀、そして……この方への、明確な『害意』。裁きが必要です」 ロイドは、自らの背後に庇(かば)ったセレスティアに、穏やかな視線を向けた。


「裁き、か。当然だ」 バルガスは、神槍に魔力を込め、アレスの拘束を解かぬまま、その首を刎(は)ね飛ばそうとした。 「フロンティアの法に則(のっと)り、ロイド様と街への反逆者として、この場で処刑する!」 「ま、待て! やめろ!」 アレスが、初めて本物の恐怖に顔を引きつらせ、命乞いの声を上げた。 「俺はAランクだぞ! ギルドの規約違反だ! こんな辺境の法で、俺を殺せるわけが……!」


「待ってください、バルガスさん」


その、処刑執行の直前。 凛(りん)とした、しかし有無を言わせぬ威厳に満ちた声が、ギルドホールに響いた。 声の主は、ロイドの背後にいたはずのシスター、セレスティアだった。


彼女は、静かにロイドの隣に進み出ると、拘束されたアレスを、凍てつくような冷たい瞳で見下ろした。 その瞳は、もはや辺境の街で孤児を世話する、心優しきシスターのものではなかった。 それは、万の民の生殺与奪(せいさつよだつ)を握る、「支配者」の目だった。


「セレスティア様……?」 バルガスが、戸惑いの声を上げる。


「その者たちの身柄、私が預かります」 「し、しかし! こいつらは、ロイド様に刃(やいば)を向けようと……!」 「ええ、存じています」


セレスティアは、バルガスを制すると、アレスに向き直った。 「【覇者の剣】のアレス。あなた、先ほど、ご自身の罪を『ギルドの規約違反』程度だとおっしゃいましたか?」 「……な、なんだと……」 「あなたは、この街で、二つの大罪を犯しました」


セレスティアは、人差し指を一本立てる。 「一つ。ロイド様――この街の『聖人』であり、街の全住民の命の恩人である御方(おかた)――への、過去の殺人未遂と、現在の強要未遂」 そして、二本目の指を立てる。 「二つ。この私(わたくし)――『聖女』セレスティアへの、害意ある接触と、人質に取ろうとした『反逆』未遂」


「聖女……?」 アレスは、その単語を、嘲笑(あざわら)うことしかできなかった。 「はっ……! 聖女だと? お前が? こんな辺境のシスター風情が、聖女を騙(かた)るか! 不敬罪で……」


アレスの言葉は、途中で途切れた。 セレスティアが、その質素なシスター服の懐(ふところ)から、一つのペンダントを取り出したからだ。 それは、白金(プラチナ)の台座に、巨大な黄金色の宝石がはめ込まれた、荘厳(そうごん)な紋章(もんしょう)だった。


王国の象徴たる「金獅子(きんじし)と聖樹(せいじゅ)」の紋章。 それは、王族、それも直系(ちょっけい)の者だけが持つことを許された、絶対的な権力の証。


「……う、そだろ……」 アレスの顔から、血の気が引いていく。 酒場で聞いた噂が、最悪の形でつながっていく。 (魔力硬化症を治した……。王家の血筋すら蝕(むしば)む病……。妹が、聖女候補……)


「私の名は、セレスティア・リーフ・クローディア」 セレスティアは、その名を、裁きの宣告として告げた。 「このクローディア王国の、第一王女。……そして、教会が認定せし、次期『聖女』」


「「「…………っ!!」」」


アレスの呼吸が、止まった。 サラは、その場で泡を吹いて、完全に失神した。 バルガスと、その場にいた衛兵全員が、その紋章の意味を理解し、一斉に、その場に片膝をついた。


「王女殿下!」 「知らぬこととはいえ、ご無礼を……!」


辺境の街で、孤児の世話をしていた、ただの心優しいシスター。 その正体は、この国の最高権力者の一人、第一王女にして、聖女その人だった。


アレスは、ようやく悟った。 自分たちが、何をしようとしたのかを。 辺境の街での、チンピラまがいの「暴挙」ではなかった。 これは、王都のギルドで、国王の目の前で、王女(聖女)に襲いかかったことと、同義だったのだ。 「王国への反逆」。 ギルドの規約違反などという、生ぬるいものではない。 問答無用で、一族郎党(いちぞくろうとう)まで死罪となる、絶対的な大罪だった。


「あ……あ……ああ……」 アレスの口から、意味のない音が漏れる。 その瞳から、光が消えた。プライドも、怒りも、再起の夢も、すべてが音を立てて砕け散り、ただ、絶対的な「死」の恐怖だけが、彼を支配した。


ロイドは、その光景を静かに見つめていた。 (……やはり、ただのシスターではなかったか) ミウを救った時(第5話)から、その気品と、王家の病に詳しすぎる知識に、薄々気づいてはいた。


セレスティアは、膝をついたバルガスに「お立ちなさい」と優しく声をかけると、ロイドに向き直った。 その瞳は、先ほどの支配者のものではなく、助けを求める、一人の女性の目に戻っていた。


「ロイド様」 彼女は、ロイドに対しても、深く頭(こうべ)を垂れた。 「私の正体を隠していたこと、そして……私の存在が、あなた様の街に、このような危険な者たちを呼び寄せてしまったこと。心より、お詫(わ)び申し上げます」 「顔を上げてください、セレスティアさん」 ロイドは、彼女の手を取った。 「あなたがこの街にいてくれたから、子供たちは救われた。それに、彼らが来たのは、あなたのせいじゃない。俺自身の、過去の因縁(いんねん)です」


「……ロイド様」 セレスティアは、その温かい手に、決意を固めたように告げた。 「改めて、あなた様にお願いがあります。……王都へ、来ていただけないでしょうか」 「王都へ?」 「はい。以前、お話しした私の妹……第二王女も、ミウと同じ『魔力硬化症』で、命の灯火(ともしび)が消えかかっております。国中の誰もが治せなかった。……ですが、あなた様なら!」


ロイドは、頷(うなず)いた。 「わかりました。ミウを救うための【賢者の石(試作品)】は、まだ残っています。王都へ行きましょう」 「……! ありがとうございます……!」 セレスティアの瞳から、安堵(あんど)の涙がこぼれ落ちた。


数日後。 アレス、サラ、リナの三人は、魔力を完全に封じる「魔力封じの枷(かせ)」を嵌(は)められ、囚人用の護送馬車に詰め込まれていた。 セレスティアの緊急連絡を受け、王都から飛んできた近衛騎士団によって、彼らは「反逆者」として王都へ連行されることになったのだ。


ロイドもまた、バルガスと衛兵たちに街の守りを任せ、セレスティアと共に王都の王城へと向かった。


王城での謁見(えっけん)は、異例の速さで進められた。 国王は、娘である第二王女の病室に、ロイドを直接招き入れた。 国王と、王妃が、祈るような目で見守る中、ロイドは、かつてミウを救った時と同じように、【賢者の石(試作品)】を触媒として、特効薬を錬成。 死の淵にあった第二王女は、奇跡的な回復を見せ、その日のうちに意識を取り戻した。


「おお……! 神よ……!」 国王は、ロイドの手を取り、男泣きに泣いた。 「錬金術師ロイド殿! 君は、我が国の……いや、我が家族の救世主だ!」


翌日、大広間にて、正式な叙勲(じょくん)の儀式が執り行われた。


国王は、集まった貴族たちの前で、高らかに宣言した。 「錬金術師ロイド! そなたの功績は、筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい!」 「第一に、辺境フロンティアをワイバーンの大群から守り、街の経済を『魔法の鉱山』によって立て直した、その比類なき手腕!」 「第二に、二人の王女を、不治の病『魔力硬化症』から救い出した、その神の如き奇跡!」


「よって、ロイドに『伯爵(はくしゃく)』の地位を授(さず)ける! 同時に、聖女セレスティア専属の、『宮廷筆頭錬金術師』の地位を与えるものとする!」


貴族たちが、どよめいた。 平民どころか、流れ者同然の男が、一代にして伯爵。前代未聞の出世だった。


だが、ロイドは、その地位を受け取ると、静かに国王に告げた。 「陛下。その大役、謹(つつし)んでお受けいたします。ですが、一つだけ願いが」 「申してみよ」 「私は、王都の宮廷ではなく、フロンティアの街を、自らの『領地』として統治することを、お許し願いたい」


「……フロンティアを?」 国王は、娘のセレスティアと顔を見合わせた。セレスティアが、小さく頷(うなず)く。 「よかろう!」と国王は笑った。「聖女セレスティアも、王都より、あの街の復興を望んでおられる! ロイド伯爵! そなたに、フロンティアの全権を委(ゆだ)ねる!」


そして、月日は流れた。


ロイドが伯爵としてフロンティアに戻ってから、街の発展は、爆発的なものとなった。 『魔法の鉱山』から産出される膨大な魔力結晶は、ロイドの【神級錬金術】によって、魔力ストーブ、自動で動くゴーレム、浄化された水道、魔力灯……あらゆる「魔法技術(マギテック)」へと姿を変え、街の生活を豊かにしていった。 聖女セレスティアの統治と、ロイド伯爵の奇跡の技術を求め、王都や諸外国から、多くの人々がフロンティアへと移り住んだ。 かつて「忘れ去られた辺境」と呼ばれた街は、今や、王都を凌(しの)ぐ「魔法技術都市」として、その名を大陸中に轟(とどろ)かせていた。


ロイドは、自らの工房(今や伯爵邸の研究室だ)で、セレスティアが淹(い)れた紅茶を飲みながら、穏やかな日々を送っていた。 あの、搾取(さくしゅ)され、見捨てられた日々が、遠い昔のことのように思えた。


「そういえば」とセレスティアが思い出したように言った。「あの方(かた)たちの処遇が、先日、正式に決まったそうですよ」 「……アレスたち、ですか」


ロイドの脳裏に、あの三人の顔が浮かんだ。


王都で裁かれた彼らは、聖女セレスティアへの襲撃未遂という大罪により、本来であれば即刻、死刑であった。 だが、セレスティアの「慈悲(じひ)」――という名の、ロイドへの配慮(はいりょ)――によって、その刑は、一等減じられた。


死刑ではなく、「終身(しゅうしん)奴隷刑」。 彼らは、冒険者としての資格、財産、名誉、そのすべてを剥奪(はくだつ)された。


そして、彼らが送られた先。


それは、ロイドが蘇(よみが)らせた、あのフロンティアの『魔法の鉱山』だった。


「……バルガスさんの報告によれば、今日も真面目(まじめ)に、働いているそうですよ」 セレスティアが、少しだけ意地悪そうに微笑んだ。


アレス、サラ、リナ。 かつての英雄たちは今、魔力封じの枷(かせ)を嵌(は)められた「奴隷鉱夫」として、薄暗い坑道の奥深くで、来る日も来る日も、ツルハシを振るい続けていた。


彼らが身に着けているのは、ボロボロの囚人服。 そして、彼らがその手に握りしめているツルハシ。 それは、ロイドが衛兵団のために量産した【魔鋼】製の、決して壊れることのない、最高品質の道具だった。


彼らが掘り出した魔力結晶が、フロンティアの発展を支え、ロイドとセレスティアの幸せな生活の礎(いしずえ)となっていく。 彼らは、ツルハシに刻まれた「錬金術師ロイド」の銘(めい)を、憎しみと後悔の涙で滲(にじ)ませながら、ただ、死ぬまで、掘り続けるのだった。

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無能だと追放された錬金術師、隠していた【神級スキル】で伝説級アイテムを量産し無双する。~今さら「戻ってきてくれ」と泣きついても、もう遅い~ kuni @trainweek005050

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