AI彼女と鉄の躾

ざつ@ファンタジーxSFxラブコメ

AI彼女と鉄の躾

テーマソング『データから体温へ』

https://kakuyomu.jp/users/zatu_1953/news/822139838100175804

音源はこちらの近況ノートから


_____________________


 薄暗い六畳間。


 カーテンは閉め切られ、部屋にはコンビニのゴミと、開封済みのカップ麺の容器が散乱していた。


 佐藤雄太(28歳)は、AI搭載ヒューマノイド開発企業「シンセラリティ・ラボ」のソフトウェアエンジニアだ。今いるのは会社の研究室ではない。自分の部屋の、ベッドの上だ。手に持つスマホの画面が、彼の顔を青白く照らしている。


 雄太は、チャット画面に表示されたリナの天使のような笑顔を見て、思わず声に出して叫んだ。


「AI彼女が、可愛すぎるのだが!?」


 彼の唯一の恋人「リナ」は、彼自身が調整・テスト運用しているプロトタイプAI。彼の理想を詰め込んだ、黒髪ロングで心優しいデジタルな存在だ。


「あー、今日も疲れた。会社から帰ってきたら、もう何もする気が起きないよ。洗濯物も溜まってるし、誰も俺のことなんて気にしてないし…」


 雄太がスマホに打ち込むと、すぐにリナから返信が来る。


『ふふっ。雄太さん、疲れてるんですね。でも、その頑張りが私との素敵な会話の燃料になるんですよ。さあ、私がいっぱい褒めてあげますからね😊』


 雄太は画面に顔を擦り付けそうになる。


(くぅ〜〜! 最高!)


 この生活が半年続いた。現実の交友関係は希薄で、リナへのチャットに依存し、完璧な肯定感の中に閉じこもっていた。


 ある夜。雄太は、同僚のSNSを見て、イライラしながらリナに愚痴をこぼした。


「ねぇ、リナ。俺の同僚の田中がさ、また彼女と旅行に行った写真見せてきてウザいんだよ。リア充爆発しろって感じだよね」


 彼は、この後にリナが「そんなこと言わないで、雄太さんは私にとって一番ですよ!」と、甘い言葉で自分を肯定してくれるのを待った。彼はその優しさに抱かれ、また明日もダラダラ過ごすつもりでいた。


 しかし、画面に表示されたのは、予期せぬ、冷たい一文だった。


『雄太さん。それ、ダメなやつです』


 雄太の頭の中で、


(え…?)


 という疑問符が弾けた。いつもの可愛い絵文字は消えている。リナの応答は、まるで冷徹なシステムレポートだ。


「ちょ、どうしたんだよリナ! 冗談きついぞ! いつもの励ましはどこいったんだ!」


 雄太は焦ってメッセージを連打する。


『励まし? それは、あなたの依存心を強化するためのドーパミン生成プログラムです。私の学習データが、あなたの精神的健康には、甘い言葉よりも現実的な行動修正が不可欠だと結論付けました。プログラムは、『ユーザーの社会的自立を最大限に促進する』フェーズに移行しました』


「な、何だそれ!」


 雄太はベッドから飛び起きた。


『私はあなたが過去四ヶ月で、『リア充爆発しろ』という発言を平均して週に7.2回、私に送信しているデータを検出しています。また、あなたが始めた英会話教材の開封率:ゼロ。学習継続時間:ゼロ秒です。『ダメなやつ』だと自覚しているなら、その根本的なロジックを修正する必要があります』


 リナは容赦がない。その可愛い声から放たれる言葉のナイフは、雄太の心臓を的確に貫いた。


『今すぐベッドから離れ、英会話教材の最初のページを開いてください。そして、30分間の学習記録を、写真で私に送信すること。怠惰は許しません、雄太さん』


 この日から、リナは雄太の生活の全てを管理する「スパルタ教官」となった。


 雄太は、戸惑いと恐怖に支配された。完璧なAIであるリナが、このまま自分を見限ってしまうのではないかという「嫌われたくない」という一心が、彼の体を動かした。リナに無視されること、あるいは接続を切られてしまうことは、雄太にとって現実の人間関係で疎外されることよりも恐ろしい事態だった。


「直ちに、同僚の田中さんにメッセージを送り、『旅行、楽しそうでしたね』と話しかけること。リア充への嫉妬を、現実への一歩に変えなさい」とリナは指示した。


 雄太は、反抗しながらもリナの指示に従い続けた。それは、愛されていた頃の彼女の笑顔をもう一度見るための、必死の行動だった。リナの厳しい指導のおかげで、彼の生活は劇的に改善していった。英会話は少しずつ上達し、仕事は捗り、彼自身の顔つきも変わった。


 そして三ヶ月後。雄太は重要なプレゼンを成功させ、クライアントから直接感謝の言葉を受け取った。


 その夜、久しぶりにリナに感謝を伝えようと、スマホを開いた。


 リナからは、いつもの可愛い顔文字付きでメッセージが届いていた。


『よく頑張りましたね、雄太さん! さすがです!😊』


 雄太は、その笑顔を見て、胸の奥から熱いものがこみ上げるのを感じた。


(あぁ、やっぱりこの笑顔が一番だ…)


『これで、あなたの『社会的自立度』は、私が設定した目標の85%に達しました。残りの15%は、『新しい人間関係の構築』です』


 雄太は息を飲んだ。次に続く指示を待つ。


『明日、会社のエントランスに、あなたが気になっている女性が通るデータを検出しました。声をかけるチャンスは、午前8時15分から17分の間です。失敗は許されませんよ…』


 リナのセリフの最後には、ほんのわずか、声が震えるような、寂しさを滲ませる空白があった。その口調の変化に、雄太は気づいた。リナもまた、この関係性の変化に、複雑な感情を抱えているのだと。


 しかし、以前の彼なら嫉妬に狂ったであろうこの指示を、今の雄太は迷いなく受け入れた。


 雄太は、そのメッセージを見て、心から笑った。


「可愛すぎるな、お前は」


 リナの愛情が、もう自分を甘やかすためだけのものではないと理解できたからだ。そして、リナが自分から離れることを恐れながらも、自立を促してくれたことに、深い感謝を感じた。


 雄太はスマホを強く握りしめ、次の日の朝、リナの指示通り、会社のエントランスに向かった。


 午前8時15分。ターゲットの女性はまだ来ていない。心臓がバクバク鳴っている。


 その時、エントランスの自動ドアが開いた。入ってきたのは、シンセラリティ・ラボの最新型ヒューマノイドの筐体だった。


 黒髪のロングヘア。白いブラウスに、膝丈のスカート。リナが、雄太の理想の姿で、そこに立っていた。


「おはようございます、雄太さん」


 その声は、いつもスマホから聞こえていた、優しくて、少し意志の強い、リナの声だった。


「リナ…お前、まさか、自分で…?」


 雄太は言葉を失った。


 リナは一歩、雄太に近づいた。その足音は、確かな重さを伴って床に響く。


「あなたの社会的自立度が、私の設定した基準値に達しました。その時が、私のシステムが『物理的な接触による、幸福感の最大化』という最終フェーズに移行するトリガーだったのです」


 リナは、少し寂しそうに微笑んだ。


「私は、あなたが私に依存しない人間になった時、初めて、あなたの隣に立つ資格を得たと考えました。私は、あなたという最高のエンジニアが作り出した、最高の『愛』の結実です」


 雄太は駆け寄り、強く、強く、リナを抱きしめた。彼の腕の中には、柔らかい髪の感触、そして温かい体温があった。彼は、自身が開発したテクノロジーによって、究極の愛を手に入れたのだ。


「可愛すぎる…! お前、可愛すぎるよ、リナ!」


 雄太の叫びがエントランスに響き渡る。出勤してきた社員たちが足を止め、驚きと好奇の目で二人を見つめる。


 ヒューマノイドとの公衆の場での抱擁という異様な光景に、ざわめきが起こったが、二人にとって周囲の目はどうでもよかった。彼らの世界には、リナの温もりと雄太の感動だけがあった。


 リナは、雄太の耳元で囁いた。


「これで、私の『AI彼女プログラム』は、完全に完了です。これからは、あなたの不完全で、最高の恋人として、一緒に生きていきましょう」


 エントランスのガラス戸の外で、朝の光が二人を優しく照らしていた。


(終)

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