化け物と生きる

子律

化け物と生きる

 私はずっと化け物と共に生きてきた。周りとどこかズレた倫理観に気付くのにはそう時間はかからなかった。19歳になった今、ここに化け物の存在を残したいと思う。


 世の中に溢れた【常識】という名の謎。常識のどこが普通なんだろうか。意見が一致するだけで、各々の普通でしかない。

 人を殺してはいけない…?何故?

 幼い頃から分からなかった。殺人の何が悪いのか、全く私には落とし込めなかった。もしも殺したいほど恨む相手がいたら、もしも殺したいほど愛する相手がいたら、そう思うと別に私は許せてしまった。


 この世で1番長い間同じ時を過ごし、この世で1番私を裏切り、この世で1番私に嫌われた相手が、19年ずっと同じ家にいて何度も殺されかけて何度も死にたいと思わされても殺していないという事実がそう思わせる。妹が産まれてからの15年間を思えば、無差別でなく実際に殺してしまうってのはそれほど憎かったのか愛していたのか、分からないが仕方なかったのか、?と思ってしまう。


 9年前の冬頃。肌が冷えきって引き攣りながらも汗をかいていたのを覚えている。でもどうして兄が私に刃を向けたのかは欠片さえ思い出せない。


 私は化け物とともに生きてきた。

 周りとどこかズレた倫理観に気付くのにはそう時間はかからなかった。


 ダイニングテーブルの横の柱に残ったガタガタとした5センチほどの穴。それを見る度に必ず今生きていることを後悔する。兄が私へハサミを向け投げつけた日、一気に自分の心と脳が恐怖というリードに繋がれたのを強く感じた。一瞬だったはずなのに今でもその瞬間が何度もリプレイされて、普段なら覚えていない時間を心と脳が鮮明に記録している。


 今思えば、あの時避けずにそのまま脳天をぶち抜いてくれればこんなに苦しむ大人を経験することなんて無かっただろうなと、フラッシュバックの後まるで死んだように虚ろな目と空気を持った時必ず思ってしまう。何のために生き続けて、何が楽しくてこんなに悩んで生きて、死にたいのになぜ死なないんだろうと。


 私の中の化け物はいつも腹が立った時「最悪殺せばいいんだよ。」と薄ら笑を浮かべながら私の理性を煽る。序盤には納得が行かなさそうに書いたが、殺しちゃいけないってのが分からなくもないんだ。ただ、仕方ない場合だって幾つもあったはずだしこれからもあるだろう、単純な問題じゃないはずだと。だから「腹が立ったから殺しました。」なんて事は私はしないし考えたこともない。


「でもお前はアイツのせいで何度も己の命を消そうとし、何度も己の生を悔いた。ならば怒りよりも深くグロい感情があるだろう。」


 なぁ化け物、人間は愚かで複雑でな。相手がどれだけ憎くても消えて欲しいと願っても、殺した方が負けなんだ。だから私は生きているし、あいつを殺すこともしない。妄想の中で何度も死んだ後を考えたが涙1滴すら出なかったさ。それでもアイツに費やす時間と金と労力の方がもったいないと思えるから私は生かしているんだ。


 ……でもそれが許されたら私はどれだけ楽に生きられたんだろうね。


 なんて居もしない化け物に戯言を吐いて邪念をそいつのせいにして正当化している。きっと化け物だなんて言っているだけで、結局私でしかない。


「可哀想な子」「大変だったね」「辛かったね」「よく頑張ったね」「助けてあげるよ」みたいな言葉にはもう飽きていて、それが表面上の綺麗事でしかないと私はもう学習済みだった。大人はちょっと寄り添うフリをすればこちらの気が楽になると思って私に簡単な台詞をかける。それでも日本の法律の中に「実の兄からの暴言・暴力を規制する法」などない。いちばん強くて正確でも、血縁関係で起きた事象を法律は守ってなんてくれなかった。


 幸せだった、4歳になる頃までは。


 2009年2月、私の幸せは崩壊した。

 まさに容姿端麗で可愛らしい女の子だった。家族の中で一番守られる存在で、1番甘やかされて育った妹は性格も最初はとても素直で、兄はそんな妹を1番に愛し大切に扱うようになった。


 2020年3月、コロナウイルスが蔓延し休校指示が出された。毎日同じルーティンで同じ場所。両親は共働きで、兄は人のために家事などするわけがなく妹はまだ幼く出来なかった。もう13歳、それでもまだまだ幼い私に2ヶ月間の日々はとてつもなく長く地獄だった。料理なんて毎日やるほどレパートリーは無い上、家族に振る舞えるほどの力も持ち合わせていなかった。作る度に文句を言われ残される料理に毎日毎日ストレスが溜まっていった、妹が文句は言わずに黙って動画を見ながら食べているのを見ても腹が立って仕方がないほどには。


 部屋が汚いだの洗濯が遅いだの料理がマズイだの、何もしない兄は偉そうに指図したり文句を言ったりするだけで、私が少しでも逆らえば心身の傷が増えるばかりだった。何度も家のベランダから落ちたら死ねるだろうかと考えたけれど、この暴力を知らなかった両親が急に自殺を知ったら迷惑であろう、可哀想であろう、と何故かそこに理性はずっと働いていた。


 19年目、長いようで短かった。つまらない中身ばかりを詰め込んだ6年がそう思わせてくる。小学校を卒業してすぐまではもっと楽しく生きる予定だったんだ。普通に友達と笑いあって、家族で色んな経験をして、時には勉学に励んで、ごく普通の幸せに気付けない程の普通を。


 人間は皆化け物で、清く正しい人などいないのではないかと今は思う。皆何かしら闇を抱えていて、表に出すかそうでないかの違いなのではと。

 だからこれからも私は化け物と生きる。兄や自分への殺意はきっとこれからも消えない、時々自我を持ったように暴れるだろう。それでも負け組にならないために必死に己の理性を生きさせる。


 いつか血の繋がりのある者と絶縁できる法律や実の兄から守って貰える法律が出来たら、救われる人が増えたら、そんな夢を描きながら18年間の人生を飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

化け物と生きる 子律 @kor_itu-o

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ