第8話 『二回目』の世界

「何だ、幽霊でも見たような顔をして。傷つくじゃないか、我が助手」

 傘をさした荒崎さんが、そこに立っていた。



 リコール/Recall 第八話:改変された世界



「あ、荒崎さん……いッ!」

「おい、大丈夫か?」

 肩の辺りに痛みが走る。ナイフで斬られた傷が残っているのかと手で触れて確認したが、その様子は無い。外傷を負ったままでの『リコール』は初めての経験だった。痛みだけを脳が覚えているようにヒリヒリする。


「大丈夫です。その、荒崎さんはどうしてここに?」

「母の墓参りだよ。まあ、血の繋がった肉親ではないがね」

 荒崎さんは人差し指で髪を耳にかける仕草をとる。もう片方の手には暗緑色の傘が握られていた。着ているのは黒のシャツにグレーのブラウス。喪に服す、というよりは普段着だという方がしっくりくるくらいにはこなれた感じで着こなしている。


「そういう君こそ、こんな所で何をしているんだ?」

「僕も荒崎さんと同じ、墓参りですよ。小学生の頃に亡くなった父の」

「だからそれだよ。何故そんな事をしている?」

 荒崎さんの問いの意味を、一瞬掴み損ねて、だけど彼女と目を合わせると直ぐに分かった。降り注ぐ雨粒の間をすり抜けて注ぐ探偵の眼が、僕の眼窩を通じてその奥を覗いている。


「正直に言う。前々から、正確に言うと君が入院中の母の存在を打ち明けた日から、おかしいと思っていた。『リコール』を有する君が、何故母親が事故に遭わない世界を求めようとしないのか。ずっと疑問だった。そして今君はこの雨の中傘もささず、健気にもたった一人で父親の墓参りをしている。単刀直入に聞く。君は、私に何を隠している?」

 荒崎さんは捲し立てるように言葉を羅列する。

分かってる、この人を動かしてるのはただ未知に対する好奇心だ。そこに善も悪もあったものじゃないと理解しながら、僕は無性に冷たい気持ちになる。降り注ぐ雨が僕の体温を奪う。


「……僕の父が亡くなっているのが、そんなに変ですか。簡単ですよ、父は僕が殺したんだから」

「……どういう意味だ」

「だから、ここにいる僕が父を、三上只則みかみただのりを殺したって言ってるんですよ」

「そうか」


 荒崎さんは持っていた暗緑色の傘を開いたままぽいと放り投げる。宙に放られた傘は僕の方へと飛んで来る。反射的にその持ち手をぱっと掴む。雨の中、傘を手にした僕と、ずぶ濡れになる荒崎さんが取り残される。


「……荒崎さん、これは?」

「私はこれから君の大切な話を聞く。恐らく一生誰に語る気もなかったような、そのまま墓場まで抱え込むつもりであったろう話をだ。それを聞くのにこの状況はフェアではあるまい。だからせめて君には「雨に濡れない権利」をくれてやる」

 馬鹿正直に語る彼女に、僕は呆気にとられる。彼女の言う理論は到底理解など及ばない領域の代物であったが、共感するくらいは出来た。故に、僕はそれに論を反ずる。


「いえ、これでは荒崎さんの方がフェアじゃありません。さっきも言ったように僕は」

「分かった」

 僕が言い終わるのも待たず、荒崎さんは二歩三歩と僕に詰め寄り傘を持つ僕の腕を強く掴んで引き寄せる。僕と彼女の身体が傘の中に収まる。彼女の頭頂部がちょうど僕の眉辺りにくる。


「これで文句は無いな?」

 寸分の淀みのない荒崎さんの真剣そのものの眼差しに射抜かれ、僕はこの状況をただ受け入れる以外の手段を失くしたように思う。観念し、ふぅと一息の呼吸を慎重に吐いて、僕は言葉を紡いだ。


「前に荒崎さん、バタフライエフェクトの話をしましたよね。誰の気にも留まらないような小さな変化が、やがて取り返しのつかない歪みを生み出す。だから、軽率な時間遡行、及び過去改変は禁物であると」

「ああ、確かに言った。だがあれは飽くまで私の見解であり、言えば勝手な忠告に過ぎない。別段根拠がある訳では」

「あるんですよ。現に僕はこの目で世界の歪みを見ている。恐らく、『リコール』は過去をそっくりそのまま再現する力じゃない。僕が『リコール』を使う度、世界は僕の知らない方向へと進んでる。出会わない筈の人と出会ったり、死んだ筈の人間が生きていたり。その逆も然り、です」


 そして僕は父の死について、自分の知る限りを荒崎さんに伝えた。

 母が事故に遭った時、衝動のままに発動した『リコール』によって「幼少期に父が死んだ世界」へと飛んだこと。

 その後何度『リコール』を繰り返しても母は必ず事故に遭い、父が生きた世界にも辿り着かなかったということ。

 そして、『リコール』の前、即ち僕の元いたオリジナルの世界で父に貰ったペンダントだけが、時間を越えて常に僕の手にあったということ。


「……どうして黙っていたんだ、そんな大事な事を」

 ずっと静かに話を聞いていた荒崎さんの第一声はそれだった。落ち着いた声調は微かな震えを孕んでいる。

「もし……もしだ、もしそれが全て本当の話だというなら、私は君に怒らなければならない事があるぞ」

 そして彼女は、ガッと僕の服の襟を掴み叫んだ。

「なら何故…何故君はあの時、私を助けた……!?何故見過ごさなかった……頼みもしない私を、何故『リコール』を使ってまで助けようとしたんだ!君は、君はどうして……」

 声の調子が段々と弱まり、それに合わせて襟を握る力も弱くなっていく。彼女のか細い指から、力が抜けていく。へなへなとへたれるように、荒崎さんは下を向く。らしくない、と思う。


「……すまない、君の正義感にまで口を出すつもりは無いと言ったばかりなのにな。撤回……させて貰えるだろうか」

「いいえ、させません。何故なら荒崎さんの意見は正論だからです。確かに僕はあの時『リコール』を使うべきではなかったかもしれないし、あの日の『リコール』で改変されてしまった事象だって幾つもあります。でもその中には、戻って良かったって思える、すごく良い変化もあるんです」

 握っていた襟を滑り落ち、僕の肩に触れていた彼女の手を軽く握る。ほのかな体温を感じながら、俯く彼女に告げた。


「だって、あれがあったから僕は今、あなたの助手になれたんです」

「……!」

 力無くへたれていた彼女の手が、その時ぴくと震えた。


「……『リコール』による改変で望まない世界に飛んだ場合、苦しむのは前の世界の記憶を有する君自身だろう。私一人を救うために使ったあの日の『リコール』で、君の病床の母すらいなくなる可能性もあったのだぞ。それでも君は、私の命を救ったことに価値があったと、そう言うのか?」

「はい」

 彼女の言葉が途切れるともなく、僕は返事をする。肩に触れていた手がだらりと力無く垂れ落ちる。


「全く……君の考えには到底理解が及ばないな、我が助手」

「だからこそ、助手とは探偵の助けになるものでしょう」

 荒崎さんは、ようやく顔を上げてくれた。



「君が正直に話してくれたのだ。私も、私のすべてをさらけ出そう」

 荒崎さんは肩から下げていた鞄からハンカチを取り出し、それで濡れた髪を拭く。その際、ぶると小さく身震いをした。子犬みたいだな、と思う。


 荒崎さんはふぅと小さく息を吐き、粛々と言葉を紡いだ。


「私は、生まれた時から両親がいなくてね。聞くところによると母の妊娠を知った時に父は行方をくらまし、傷心の母は私を産むと共に死んでしまったらしい。だから私を育ててくれたのは、一人ぼっちの私を引き取ってくれたある親戚で……ああすまない、何だかしみったれた話になってしまうな」

 構いません、と僕が応えると、荒崎さんはありがとうと言って続けた。


「その親戚は未婚の一人暮らしをしていてね。私はおろか私の両親とすらろくに面識はなかっただろうが、彼女は快く私を引き取ってくれた。それから私はずっとその親戚に世話をしてもらって過ごしていた。だが私が中学生の頃に、彼女は亡くなってしまった」

 えっ、と声を漏らす。どうして、と聞きそうになって慌てて口を噤むと、その意図を察してか彼女は続けた。


「他殺だよ。彼女はとある殺人鬼に殺された。そいつは何かのカルト的宗教に執心しているらしく、彼女の遺体は四肢が持ち去られ五体満足で墓に入れなかった。無念だったよ、本当に。衝動のままに私は刑事を志した。中高とよく勉強し、君と同じように士官学校に通った。しかし私は友との軋轢をきっかけに、苦労して掴んだ刑事の地位をあえなく手放した。約十年に及ぶ刑事勤務の中で、私は遂に奴を捕らえ損ねた」

荒崎さんの表情が一層陰る。降り注ぐ雨と雨雲の隙間から差す日光のせいで、より悲劇的な雰囲気を醸す。


「その日から、私の人生は後悔という青黒い絵の具で塗り潰された。もう人生に何かを望むことも、何かを求めることもなくなった。私の手元に残ったのは刑事を辞めた際の退職金と、積み立ててばかりで使う機会を失っていた銀行預金だけだった。それらをはたいて私はあの探偵事務所を建てた。いつか死ぬまでには、探偵なんてものになってみたいと思っていたんだ。ああ、いつか君に事務所設立の費用について聞かれた時、私は別の理由を言ったかな。すまない、あれは嘘だ。私が過去を思い出さない為のな」

 荒崎さんに言われて、僕は過去の記憶を引っ張り出す。確かあの時、彼女は「祖父の宝くじを使った」と言っていた。考えてみればベタな嘘だが、僕は疑いもしなかった。


「それからはぼんやりと、ただ惰性で生きる日々だった。素人の探偵業など上手く立ち行く筈もない。いつ、どうやって自分は死ねるのだろうかと、そんな事ばかり考えていた。もし人生をやり直せるなら、過去に戻って友とだけでも仲を取り持てたならと何度も思った。そんな時、君と出会った。過去に戻れる力を持つという、君とね」

 荒崎さんは改めて見上げるように僕の目を見た。「今更嘘はないだろう?」と問いかけられているような気がして、僕は反射的にコクと頷く。


「君が『リコール』の話をした時、好機だと思った。君の力があれば、私は過去の過ちを正して犯人を捕らえられたかもしれない。育ての義母も救えるかもしれない。別れた友と再び笑い合えるかもしれない。その為に私は、君の力を制限しようとした。君と私が出会ったという「現実」を君が無かったことにしてしまわないか、それだけが酷く心配だった。君の力の真偽も、あまつさえその背景や過去も知ろうとせず、切実な希望の前で自分のエゴを優先した。それが今君の目の前にいる私、荒崎真白のすべてだ。ああ、真白という名も本当の親じゃない、育ての義母がくれた名だがね」

 彼女は「どうぞ軽蔑してくれ」と言うように僕の前で両手を広げた。それでも未だ開き直りきれない心の内が彼女の表情から伝わってくる。一つ傘の下では、彼女の体温までも伝わってくるようだった。


「……墓参り、させて貰ってもいいですか?荒崎さんのお義母さんの」

 何か言わないとこのまま動く気はないぞ、といわんばかりに両手を広げて静止する彼女への第一声として、僕はその言葉を選ぶ。


「……ああ、もちろん構わない。こっちだ」

 僕は荒崎さんの先導に従って墓地の石道を進んでいく。彼女が前に立って歩く形となるので、僕は彼女の身体が傘の外に出ないよう気をつけながらついていく。いっそ僕は雨に濡れてもいいから彼女に傘を持ってもらおうとするが、その度にうまくはぐらかされてしまった。



「ここだ」

 一つの墓石の前でピタと立ち止まる。小さな墓石には白い字で「榎白五月」と刻まれていた。


榎白五月えのしろいつき。享年六十二歳。首のすわらない赤子から私を育ててくれた恩人だ」

 荒崎さんは肩に下げた鞄から小さな花束を取り出し、墓石の側に供える。そして荒崎さんと一緒に手を合わせて黙祷をする。


「……フフ、誰かと一緒に墓参りをするというのは何だかむず痒いな。今までならこんなことはなかった」

「それもあの日の『リコール』のお陰ですよ」

「そうだな。にしても、自分のことについてこれだけ話したのは君が初めてだ。義母のことだって、打ち明けたのは友以来だな」


 荒崎さんはどこか含みのある笑みを浮かべて嬉しそうに言う。すぐ傍で儚げに笑う彼女の横顔を見て、僕は初めて、自分が彼女に惹かれていたことに気がつく。


 雨が止むまで、僕たちはそうして過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リコール/Recall バズ右耳 @YONEZAKI

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