第7話 事件
リコール/Recall 第七話:事件
「俺らは組織に探りを入れてみる。お前らはお前らで好きに行動せえ。それと、警察連中に何か聞かれても俺らの事は言うなよ、繋がりが明るみに出ると面倒や」
探偵事務所の玄関にて岩井と兼子先生を見送る。「電子レンジ緑茶、斬新で良かったっすよ!」と満面の笑みで親指を立てる兼子先生の首根っこを岩井刑事がガッと掴み、引き摺るように連れて歩いて行った。
「ああ、それとや荒崎。これは言うか迷ったんやがな。やっぱお前の耳に入れとかんとあかんわ」
岩井刑事はピタリと足を止め、顔半分だけで振り返る。日が沈み薄暗い黒から顔を出してきた月の明かりが、彼の神妙な顔を照らす。
「現場にあった四ヶ崎の遺体、四肢が全部切られとったそうや。間違いない、こりゃ奴の犯行や」
「……!?そんな、あれはもう……!」
「終わった筈、俺もそう思っとった。せやけど事実や。奴がどっかで生き永らえとるか、奴の真似事しとる奴でもおるんか。それはまだ俺らも調査中や」
「そう……ですか」
荒崎さんは殆どため息を吐くように言葉を絞り出す。彼女の周辺にある空気の密度が増したような感じがした。
「まぁせやかてお前はもう刑事やない。そいつと何があったんかは俺も知らんが、ホシ追うんも程々にせえよ。そっちで体張るんは俺らの役目や」
それだけを言い残して、岩井刑事はキョトンとした顔の兼子先生を引き連れて立ち去る。事務所の隣に止まっていた黒のセダンに乗り込み、二人の刑事は去っていった。
「……我々も行こう、助手」
「え?行くって何処にですか?」
「決まっているだろう、現場調査だ。既に警察の手が介入しているとはいっても、実際に現地に身を置かねば分からない事もあるものだ。捜査とは、大抵そういった手探りの一歩から始まる」
「現場って……僕ら容疑者候補なんですよ?絶対入れて貰えないですって。もう時間も遅いですし今日は」
「入れてもらえなきゃ忍び込む。それでどんな責任を問われようとも構わない。ただ、私は許せないんだ。あれが……あれがもしまだこの世に存在しているのだとしたら、私はけじめをつけなければならない」
僕の言葉を遮って強く語る荒崎さんの様子に、僕は妙なつっかかりを覚える。そしてすぐ、それは今までに彼女から感じた事の無い、とめどない怒りや憎悪の感情を感じ取ったためだと分かった。
件のホテル周辺は、予想に反して警察の警備はなく、規制線すら張られていなかった。もう警察は現場調査に見切りをつけてしまったのだろうか。事件の詳しい日程と警察の調査が入った日程とが分からない為に確実な事は言えないが、殺人事件の現場処理としてはいささか雑な気もする。
時刻は午後七時、既にシャッターを降ろしている店も多く見受けられる。平生からあまり賑わっているとは言えない笹原通りの、更に奥の辺りまで踏み込んだ所に位置するたった一軒のホテルは、さながら時代に取り残された幽館のように思われた。最初に探偵の依頼で来た時と所感が異なるのは、ここで殺人事件があったという事実を知ってしまったためだろう。
「四ヶ崎哲平、四十二歳映画監督。妻の四ヶ崎綾音とは三十六歳の頃に結婚。帰宅の時間が遅れる事が頻発したために妻に浮気の嫌疑をかけられ、浮気調査を依頼。事件の記事はまだ出ていないが、我々の来訪の後に殺されたとすれば死亡推定日時は五月十日の八時三十二分程。事件当日は周囲に人影はなし。一人の女と共にホテルへ入る。しかし何らかの理由で女の入店履歴だけは残らない。先輩の話から察するに遺体が発見されたのはホテルの部屋の中。ホテルの立地と作りから考えるに、建物の外での犯行も可能。だが建物の中まで運ぶ際にどうしても血痕が残るため現実的とは言い難い……」
「あの、荒崎さん。やっぱり日を改めた方がいいんじゃないですか?その、今日は暗くて危ないですし」
ぶつぶつと推理を呟きながらどんどん突き進む荒崎さんに一時撤退の提案をする。実際に暗くて危ないことも、ここがつい最近起きた殺人事件の現場であることも僕の不安の要因としては十分たり得たが、それ以上にやけに感情的になって一人突き進んでいくような荒崎さんが、僕には酷く危なっかしく映った。まるで今にも車道に飛び出してしまいかねない子供のように。犯人を捕らえるという目的を果たす為なら、自分の身の安全など気にかける事でもないというような。
「ああ、すまない。付き合っていられないと思ったなら君はもう帰ってくれて構わない。君は私などには勿体ないくらいの素晴らしい働き手だ。きっと私の下よりもっと君の力を引き出せる場所がある。私は私が満足するまで調査していくつもりだから、気にしないでくれよ」
「……?一体何の話を」
「……ッ!!三上君、危ないッ!」
荒崎さんは咄嗟に拳銃を取り出し、僕の方へ向けて躊躇なくバァンと発砲する。振り向くと黒いジャージ姿の男がナイフを持って僕のすぐ後ろに立っていた。荒崎さんの銃弾が男の右足首を貫き、僕のすぐ頭上に振りかざされた男のナイフは軌道を逸れ、僕の肩の表面を切り裂く。
「ぐっ……クソが……!」
男は撃たれた足首を気にかける素振りを見せ、だがすぐにまたナイフを片手に迫ってくる。凄い速さで銃を持つ荒崎さんに詰め寄り、荒崎さんの二発目の銃撃を躱し、ナイフを腹に突き立てた。刺された腹と彼女の口元から、ドバッと血が噴き出す。目の前の現実を前に、身体が強ばる。思考が硬直する。
「何を……やっている、三上君!『リコール』だ!『リコール』を使え!このままでは、君も……!」
荒崎さんの声でハッと我を取り戻す。男がナイフをギッと捻って荒崎さんの身体から引き抜き、僕の方に視線を移して迫り来る。僕はぎゅっと目を閉じ、心を落ち着かせる為にポケットの中のペンダントを握りしめる。そして頭の中で「戻れ」と強く念じた。
パッ
冷たい。目を開くと、真っ先に墓石が視界に飛び込む。急いでスマホを開き時刻を確認する。五月十一日金曜日の表示、直ぐに思い出した。母さんの見舞いに行った後、病院から三分くらい歩いた先の共同墓地で、僕は父の墓参りをしていた。ザーッと強い雨が降り注いでいる。傘は……持っていない。家に置いてきたようだ。風邪を引いてしまう、早く帰らなくては。
「このような所で会うとは奇遇だな」
呼び止められ、唖然とする。聞き慣れた声、口調、しかし僕の知るこの日の歴史では居なかった筈の人。出会わなかった筈の彼女。僕はゆっくりと、首をゆっくりと動かして後ろを振り向いた。そしてもう一度唖然とした。
「何だ、その幽霊でも見たような顔は。傷つくじゃないか、我が助手」
傘をさした荒崎さんが、そこにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます