第50話 傍にいてくれた人

「綾視先生、無事に復帰出来て良かったわね」

 枝垂れ桜の咲き誇る診察室にて、訪れた瑠璃乃はそう幸人と祈に声をかけた。

 陰陽科も再開され、土曜日の本日は、午前中から心療科と陰陽科の患者が同じぐらいの割合で訪れていた。


「そうなんです」

 祈は嬉しそうに頷いた。

「すみません。色々ご迷惑をおかけして」

 幸人がそう口にすると、瑠璃乃はいいのよ、と穏やかに微笑んだ。


「それにしても瑠璃乃さん、今日も可愛いですね!」

 本日の瑠璃乃は白いエプロンをつけた水色のブリティッシュ風ワンピースだった。頭には黒いカチューシャをつけている。不思議の国のアリススタイルといえばわかりやすいだろうか。


「ありがとう。祈さんも今日も可愛いわよ。髪飾り、新しくしてもらったのね」

「ありがとうございます! 気付いてもらえて嬉しいです!」

 祈は後頭部にある髪飾りに手をやった。新たな勾玉に組み紐を通したものを結んでいる。勾玉は薄い桃色で、紐は若葉の色だ。


 女性同士、お互いに褒め合って心の底から楽しげな様子に幸人は呟いた。

「すごく平和な世界だ……」

 世の中全てこんな風になっていたらいいのになあ、と幸人が考えているとは知る由もなく、祈と瑠璃乃は会話に盛り上がっていた。


「綾視先生にもらったのね。とても似合っているわ」

「はい、どうしてわかったんですか?」

「ふふ、先生のおまじないの気配がしたから」

 瑠璃乃はとても素敵な笑顔を浮かべて答えた。


 すると鈴宮が診察室に顔を出した。

「あの……受診じゃないけど、綾視さんと片葉さんにお会いしたいという子が来られていて」

「誰かな?」

 幸人は首を傾げた。


「鶴守唯花さんという方です」

「唯花ちゃん⁉」


 祈は幸人と瑠璃乃に断りを入れて待合室を覗いた。

 待合室のソファにて、会計待ちの患者が幾人かいる。そんな中、記憶にある姿と印象はずいぶん違ったが見覚えのある少女が座っていた。


「あ、こんにちは」

 鶴守唯花は祈を見付けると、顔を輝かせて立ち上がった。隣にいた母も一礼する。

 唯花は以前より健康的な体つきになっていて、やせこけていた頬はふっくらとし、ぱさついていた髪も艶のある黒髪になっている。


 白いブラウスに青と紫のチェックのひだのあるスカート、白のつるりとしたサンダルを履いていた。衣服から覗く足や腕はまだまだ細いが、少なくとも折れてしまいそうな体躯ではなくなっていた。


「体重を目標まで増やすことが出来たから、外出していいよって先生に言われたんです。それで片葉さんと綾視先生にお礼が言いたくて」


 今は点滴や経鼻からの栄養剤投与が一旦終わり、口から食べて体重を増やしているのだという。怖い気持ちよりも、今は外出や行動制限の緩和に向けて頑張りたいという気持ちで治療に取り組んでいるのだと話した。


 祈は良かった、という気持ちでいっぱいになった。

「もう少しで診察終わるから、そしたら綾視さんもすぐに来てくれるからね」


 その後、唯花は幸人と話をして、退院したら見てもらおうと思っていた園芸療法の庭を案内した。唯花は育てている植物に興味津々で、まだ通院すらしていないのに花や茎の背丈をメジャーで測り、持参のノートに記録していた。


 彼女がここに通院する頃にはコスモスなどが咲き、さつまいもの収穫に近い時期だろう。収穫したものは、その人に食べてもらうことも出来るため、彼女と収穫出来る日が祈は楽しみだった。




「綾視さん、お疲れ様です!」

 ナース服から私服に着替えた祈は、帰りがけに幸人にそう挨拶した。

「今日は講習があるんだっけ」

「はい。布施川さんも頑張って行ってらっしゃいって」


 毎週土曜日の午後、祈は看護協会の開催する講習に通うことにしたのだ。

 良い看護師になるにはどうすればいいのか。色々考えた祈は、やはり苦手な技術を克服しようと思ったのだ。


 ちなみに布施川は先日、ようやく足に体重をかけても良い、という医師の許可が出て、今は筋力回復のために少しずつ歩くようにしていた。


「講習ではそれぞれの事情で看護技術を習得していなかったり、ブランクのある人もいて、私だけじゃないんだってほっとした部分はありました」

「苦手と向き合うのってしんどいから、自分だけじゃないって思えると安心するよな」


 俺にも覚えがあるよ、と幸人は苦笑いしながら言った。

「本当にそうなんですよー。でもまあ、前の自分より出来てたらそれでいいかなって」


「あ、じゃあ採血の確率が上がる良い方法を教えてやろう。俺、採血経験は看護師さんより多くないけど、この方法があるよって昔に教えてもらったんだ」

 祈は驚愕の色を浮かべた。

「そんな魔法みたいな方法が……」


「採血する前に駆血帯を一回外すんだ。一回巻いただけでは怒張しきれなかった血管が、一回外したことで血液がざっと流れて二回目の方が怒張しやすい。もちろんうっ血とかしないよう習ったことは守るんだぞ」

「な、なるほど!」


「熟練した人になると、見えないし触ってもわからない血管が見えるらしいんだけどな。俺はちょっと未だに見えないんだよ。怪異は視えるのに不思議だよなあ」

 腕を組みながら不思議そうに唸る幸人に、祈はにっこり笑った。


「綾視さんが視えているのはそれだけじゃないですよ」

「他に何が視えてるんだ?」

 首を傾げる幸人に、祈は自信満々に答えた。


「患者さんの心です!」




 祈がクリニックを出て行った後。

 幸人はふと、診察室の何もない空間に語り掛けた。


「君は付いて行かなくていいのか?」

 すると、そこに現れたのは十七歳頃の少女だった。

 祈の意識が作り出したのではない、本物の叶の魂だった。白いワンピース姿で、びっくりしたような瞳で幸人を見つめ返していた。


「片葉の辛い記憶をずっと封じていたのは、君だろ?」

 すると叶は頷いた。


『元はといえば私のせいだから……』

 祈の作り出した叶よりも、落ち着いた声音だった。

『でもどうして私が視えているの?』


 祈と出逢った時から今まで幸人は叶の姿を視ることがなかった。枝垂れ桜の反応から薄々感じてはいたが、叶が勘付かれないよう巧妙に気配を消していたため、幸人も彼女の存在を目視出来なかったのだ。


「多分、片葉の恐怖心の一部を俺が預かったからじゃないか?」

 そっか、と叶は納得したように頷いた。

 恐怖心もれっきとした彼女の心の一部だ。


 叶は言おうかどうしようか少し迷った表情を浮かべた後、おずおずと切り出した。

「今までずっと守ってきたけど、あの子ね、あなたや患者さんの力になりたいって本気で考えているの。だからその力の使い方も教えてあげてくれる?」

「わかってる。俺の暴走を止めてくれたのも、君達のおかげだもんな」


 叶は微笑んだ。叶だけの力でも祈だけの力でもなく、あれは奇跡的に二人の力が合わさったのだ。祈のトラウマである亡霊を抑えられたのも、そのおかげだ。


「ただ焦らずに、片葉のタイミングに合わせるよ。今は学ぶことがいっぱいだからな。君も俺に遠慮しないで、行ってらっしゃい」

 叶はこくり、と頷いた。


 幸人は立ち上がると、診察室から待合室まで出て、玄関の扉を開ける。

 叶は外に踏み出すと、風がさあっと吹いて枝垂れ桜の枝葉が揺れた。瞬く間にその後ろ姿は視界から消える。今日も彼女は陰ながら妹を見守っているのだ。


 幸人は見送るように軽く手を振ると、クリニックの扉のプレートがまだ表を向いてかかっていることに気付いて、ゆっくりと内側に返した。


「またの御来訪をお待ちしております、とは言えないけど、どうか心も体もお大事に。そして辛い時はまたいつでもこのクリニックに来て下さいね」



 了

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陰陽心療クリニック ~怪異に悩むあなたの心を癒します~ murasaki @murasaki-yoka

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