思いを綴る__決断する力

星月紗那

決断する力

 現代を生きる私たちに、今求められているものはなんだろうか。


 この話題は、よく学校の授業で扱う評論文でもテーマになっている。そして大抵の場合、筆者は言葉の力について主張しているように感じる。


 若者言葉だったり、省略された言葉だったりは、よく取り上げられているものの例だろう。有名なのは「マジで」「ヤバい」などであろうか。私も授業でこれを扱ってから、意識するようになったものである。


 しかし今の私には、これは大した問題ではないように思えてしまった。


 言葉は進化するもので、時代と共に変化していくことに何も問題はないように思えてしまったからだ。


 昔使われていた言葉で、今使われていない言葉はたくさんあるし、今と同じ言葉なのに、違う使われ方をしている言葉もたくさんある。そうでなかったら、私は古文単語なんて勉強しないし、古典の勉強なんてしなくても昔の文書を何不自由なく読めているはずだ。


 それよりも私は、現代人は「決断する力」を身につけなければならないと思っている。なぜならば、現代人は今までの歴史を生きた人間の中で、一番自由だからだ。


 歴史に知る我々の先祖たちは、農民の子は農民で、商人の子は商人で、武士の子は武士であった。将来何になるか、何をするかだって自由には決められなかったはずだ。時の支配者の命令で居住地区を定められた人もいれば、信仰する宗教を制限されていた人もいる。


 しかし、現代人には、職業選択の自由も、居住移転の自由も、思想良心の自由もある。様々なことが自由であり、様々な選択肢があり、職業の種類だって増えている。身分差もない。(便宜上、この自由は「法律上認められている自由」としておく)


 現代社会は、様々なものに溢れている。


 人、物、情報、技術、思想____


 数千、数万、数億年の歴史の積み重なりの分、私たちの目の前には多くのものが存在している。その分、選択肢があるとも言える。そして、その選択肢を選ぶ機会も増えてきている。医療の発達によって、人生100年時代とまで言われているのだから。


 この長い人生を、決断せずにずるずると生き、仕方ないから適当に選び、また期限がきてしまったから仕方なく時の流れに身を任せて生きるのか。あれをやると決めて、あれをやめると決めて、またこれをやると決めて自分の意思のままに生きるのか。


 それはその人次第である。


 正しい言葉を使えるに越したことはもちろんないだろう。しかし、正しい言葉なんて時代によって変わっていくのだ。だったら、長い人生を生きる私たちに求められるのは、時代によって変わる正しさを求めることではなく、自分の生涯を自分にとって正しいものにするために決断する力ではなかろうか。

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