片想いの夏バテ。両想いのソーメン。

@katame_koime_ome

片想いの夏バテ。両想いのソーメン。

「オレ、エアコンは苦手やけど、素麺って好きやねん。」


「だから。だからさ、夏バテにはええと思うねん。」


彼が大真面目にそんな素っ頓狂な事を言ったのは、残暑も終わりかけの夜道でのことだった。


昨年の夏の終わり。秋の始まり。

そんな9月の夜だった。

アスファルトに溜まった熱と、身体に残ったアルコール。

薄っすらと汗ばむ身体に、フワリと吹き込む秋の風が心地良かった。



「素麺が好きだから、きっと上手く行く」

私の知る、不器用な告白ランキング1位である。

なんのこっちゃ分からないセリフ。

私はこのセリフが大好きだ。



初夏、なんて言葉に反する初々しさの欠片もない暴力的な今年の夏。

エアコンの効いた部屋で、彼の、去年の夏のセリフを思い出す。


いや、きっと思い出したかったのかもしれない———。

熱病みたいな恋と、熱冷ましみたいな愛を。



◇◇


一年前の春。

私、結城カスミは恋に落ちた。



友人の友人がドラムをやっているバンドのライブを観に行った時だ。


はっきり言ってバンドにあまり興味はなくて。

「お願い!人いないと困るんだって!今度ご飯奢るから」

そんな風に友人の恵美に頼み込まれて、付き合いで一緒に行っただけだった。




暗転したステージをライトが照らす。

同時に楽器の爆音が鳴り響く。

思わず身体が少し弾む。

大音量の奥からハスキーな声がした。

意識が声に持っていかれる。

少ししゃがれた声のボーカルの声が鼓膜に染み込むように広がった。


目が自然とボーカルを追いかけていた。

ボーカルの彼は、一心不乱に歌っていた。

青みがかったような深い黒の長髪が揺れる。

その奥で真っ白な肌が光を反射して、妖しく輝いていた。


一目惚れだった。


恵美のツテで打ち上げに参加した私は、そこでボーカルの彼、京介と改めて出会った。


気怠そうに話す彼の態度が照れ隠しだと分かるのに時間はかからなかった。


隣に座った彼の手と、私の手が偶然触れ合う。

彼は気怠そうな表情をしたまま、手をどかさずにいた。


私も自然と受け入れる。

痩せた身体に似つかわしくない体温がジンワリと伝わった。

ゆっくりと指が絡んでいく。

ジワリとお互いの汗が交わった。


...そしてその夜。

私と彼は、結ばれた。


あぁ、恋ってこんな上手く行っていいんだ。

今までの恋とは全然違う。

「恋愛なんて結局は縁だよ」なんてどこかで聞いたような言葉が頭をよぎる。

「恋に神様がいるなら、私の味方だぜ!」

そんな馬鹿げた幻聴さえしてくる。


縁があるってこういう事なんだろうか?

きっとそれを運命って言うのかも、なんてロマンチックな事まで思ってしまう。


だけど、恋に舞い上がっていた私に訪れたのは、ズシリと重い現実だった。





京介からの連絡は1日1〜2回しか来なかった。


私から送らなければ二度と連絡が取れない、そんな気がして必死で文面を推敲していた。


でも彼の返事はいつだって素っ気ない。

「おはよ」「ウケる」「今から来れる?」

3文字・3文字・6文字。

俳句よりも短い返事だけが返ってくる。



それでも私の指先は、何度もLINEをスワイプする。

来てるはずのない連絡を求める儀式のように。

たまに鳴る通知音にときめき、数文字の素っ気ないメッセージに胸が高鳴っていた。



彼はベッドの中でだけ何度も「愛してる」と囁いた。

少し汗ばんだ身体から出てくる彼の声は、私の存在をクッキリと浮かび上がらせるようだった。

彼の腕に抱かれている時だけは、彼女で恋人だと実感できた。

それが欲しくて、私は何度も何度も彼を求めた。





「本当は好きじゃないんでしょ?」

一度だけ彼にそう言った。

彼は動きを止めて、そっと私を包み込む。

ペタリ、と汗ばんだ皮膚と皮膚が重なる音がした。


「ごめんな、オレそういうの上手くできなくて」

そう言って、透き通るような瞳で真っ直ぐ私を見つめた。

「そういうの、声に出したら嘘になりそうで。でも...ごめんな」

いつもより少ししゃがれた声で囁き、彼はいつもより強く抱きしめた。



まるで不安を握り潰すようだった、と言うのは自分贔屓なのだろうか。

それとも彼のルーティンだったのだろうか。

私には分からない。


兎にも角にも。

これが私の知る、いや、私の信じる京介の唯一の本音らしさだったのかもしれない。



抱きしめる彼の身体からは、タバコと香水の入り混じった匂いがした。

現実と幻想の境界をぼやかすような匂いだった。


◇◇


そんな中、久々にバイト先の友人2人と飲むこととなった。

「梅雨が明けました」なんてニュースが流れていた頃だった。

ライブに行った恵美、関西出身なのにおっとりとした健介と私の3人だ。



3人のもとにレモンサワーが届く。

乾杯をして、グイッとみんなでアルコールを流し込む。


「そういえば京介だっけ?どうなの?上手く行ってる?」


開口一番、ノロケ話をアテにするかのように恵美ニヤニヤと聞いてきた。

「マジで腹立つから聞いてよ恵美!」

私はありのままを、でも、軽い愚痴に聞こえるように伝えた。


「酷くない?遊ばれてるんじゃないよね?」

恵美が頬を紅潮させ、健介は黙ってグラスをあおった。

2人の真剣さのせいか。アルコールのせいか。

私の理性はダムが決壊するように崩れ落ちた。



「...もうどうして良いか分からないよ」

「本気で好きなんだよ?でも少し、しんどいよ」

積み重ねのない一目惚れは軽い恋なのかな。

ツライ恋はダメなのかな。

軽い恋なら、なんでしんどいのかな。


もう、私の言葉は止まらなかった。

でも涙を流す事だけは何故だか違う気がしていた。

2人は私の支離滅裂な心の吐瀉物を、ただただ抱き止めてくれていた。


健介が何杯目かのレモンサワーを飲み干すと、ゆっくりジョッキをテーブルに置き、口を開いた。


「なんかな?夏バテってあるやん?」

私と恵美は自然と目が合った。

それに気がついたのか健介は、照れ隠しにおしぼりでジョッキの露を拭きながら続けた。



「ほら?急に暑くなったら身体がついていかんでしんどなるやん?」

珍しく健介が少し早口になる。


「そんだけアツい恋したらさ、なんや心がしんどなるのもしゃーないんかなって」

もう露なんかついていないジョッキを拭きながら、恐る恐る私の顔を覗き込んだ。


「なにそれ」私と恵美は2人笑いながら声が出た。

いやぁ、とモゴモゴしている健介を見ていると楽しくなってくる。


恵美も「でも良い事言うじゃん!カスミは夏バテ“なんや”」と慣れない関西弁でケタケタと笑っている。

私も負けじと「“そやね”」とエセ関西弁を披露する。


「でも、ありがとう健介。本当にそうかも。自分の熱にアテられてのかも。カッコ悪いね、私」

精一杯の笑顔で健介の目を真っ直ぐ覗き込んだ。

重くならないように、でもちゃんと伝わるように、と。


「いや、カスミさんに真っ直ぐ褒められるとなんや照れるわ」

健介はおしぼりを掌で遊ばせながら、少し目を逸らした。


そんな時、私の携帯から「ピロン」と通知音が鳴った。


「恐らく京介だろう」

3人が皆んな同じ気持ちだった気がする。

トクン、トクンと心臓がいつも通りのリズムを刻む。

私の心拍数は上がっていなかった。



「今から来れる?」

何度も見た6文字。


だけど、今日は、今だけは何故かいつもと違って見えた。

嗅ぎなれたレモンの香りのせいだろうか。


今までの私は、6文字の裏からどれだけの情報を得ようとしてたのだろう。


恵美も健介も返事を書く私を見ないかのように、そっぽを向いてくれていた。

ふふ、と笑いたくなった。


この優しくてかっこいい友人達。

それに見合う人でありたい、そう強く思った。


でも、何を伝えればいいのだろう。

燃え盛るように恋して、愛して...決して愛してくれなかった。そんな人に。

罵詈雑言?自分の辛さ?


そんなのカッコ悪い。

私は、そんな人にも、いや、そんな人相手だからこそ私はカッコつけたいんだ。


カッコ悪いからカッコつけて生きたいんだ。

絶対そう生きてやる。


そんな逡巡を経る。

ことり、と心のヒダが落ちた気がした。


指先が滑らかに液晶の上を動いた。


「もう会えない」


その6文字を打つのには、2秒もかからなかった。

エアコンの風がフワリと頬をなぞる。

吹き出しの中の文字は、私のちっぽけな逡巡なんてなかったかのように一瞬でスマホに吸い込まれていった。



別れたよ、そう告げると恵美は少し泣きながら私の肩をバンバンと叩く。

健介は、そんなつもりやないねん、とモゴモゴと言っていた。


私は正面に座る健介の肩を、心の中でバシバシと叩いていた。

届いていない手のひらはカラリと乾いているのに、少し暖かい気がした。





「今気がついたんだけど、6文字って結局は6文字らしいよ?」

私は笑いながら、胸を張って2人に告げる。


2人は少しキョトンとしながら、そんな素振りを見せないように振る舞った。


2人のその優しさを表現するのに6文字じゃ足りないな、そんな事を思っていると「ありがとう」の文字が浮かんだ。

5文字でもいけるじゃん、そう思うと笑いが込み上げてくる。

2人はまた、今度は本当にキョトンとしていた。


スマホに通知が来ていた。

「そっか。ありがと。」

それだけのメッセージ。

促音は一文字なんだっけ。

分からないや。なら6.5文字ってことにしよう。

前に進もう。0.5文字でも。


スッと半音分多く息を吸い、少し大きな声を出すことにした。


「今日は飲もう!私の奢りだ!」

2人と改めて乾杯をした。


◇◇



「素麺できたでー」

気の抜けた、柔らかな声がキッチンから聞こえてくる。

「飽きへんように、今回はちょっと胡麻油と山椒入れてみてん」


ううん。飽きないよ。飽きるなんてないんだよ健介。

そう言うのが妙に照れ臭くて。

言葉にすると嘘になりそうで。


だから、私は彼の背中をそっと抱きしめた。

彼の背中からは洗剤と胡麻油の匂いがした。

この安心感のある匂いが、単なる逃げ場でありませんように。

都合の良い場所を求めているだけでありませんように。




そんな少しの不安を押し潰すように、私は彼をいつもより強くギュッと抱きしめる。

勢いをそのままに、健介の背中に顔を押し当てた。

彼の身体に直接響くように「大好きだよっ」と6.5文字の言葉を声に出してみた。



「めっちゃ好きやで」と返ってくる。

何文字だろう。

きっと彼はそんな事気にしてないのだろう。

私も数えるのをやめる事にした。


健介を抱きしめる私の腕は、彼の身体に醜くまとわりついていた。

呪いのように。


「神様。私の愛し方は間違っていますか?」


でも、神様は答えない。

もし居るのなら、誰も傷つかないのだろう。

私も、彼も健介も。

それでも、何か答えのようなものが欲しくて。

彼の背中で、私の手先は組まれていた。

まるで彼の背後で祈っているかのように組まれていた。

無様な私を笑うだろうか?

居るはずのない神様に吐き捨てる。

「...もし居るならさ、裁いてよ?」

「私も、恋もさ。」

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