小さな月のレクイエム

森野 葉七

小さな月のレクイエム

 ある街の中に小さなロボット工場があった。

 工場は煤と油で薄黒く汚れていて、古い鉄の錆びた臭いが漂い、風が吹くたびにトタンの屋根は乾いた音を立てている。

 工場の中には老人のロボット博士がただ一人、黙々と作業していた。

 この工場はほとんどこの博士の趣味の発明品を作るためのもので、世間から見れば廃墟寸前の道楽でしかなかった。


 博士は研究開発に没頭し続けたツケは重く、医者からは残り少ない時間を告げられた。

 最期を意識した博士は孤独で死ぬのを想像し、ロボットの少女を開発した。

 長年の研究の経験があったため、そこまで苦労もしなかった。


 博士は少女の電源を入れる。

 少女のガラスの目が工場の薄暗い中で小さな月のように灯った。

 少女はただ『…。』と立ち尽くし、機械仕掛けの『ウィーン』という駆動音を立てるばかりだった。

 少女は言葉以前にこの世界での自分の存在理由が分からなかった。


 博士は少女に必要なことを1つずつ順番に教えていった。

 博士は少女がどんな失敗をしても許し、丁寧に教えた。


 博士の一番大切にしていることは「許す」ことだった。

 博士は工場から最後の一人が出ていく時も、発明をバカにされた時も許し続け、決して相手に嫌な思いはさせなかった。

 博士はいつか相手が優しさに気づいて変わってくれることを願って優しい人であり続けた。


 博士は少女に「許す」こと、つまり「相手の過ちを受け入れ、怒りを手放す行為」のロジックを根気強く説明し続けた。

 しかし、少女のプログラムは、それを無駄な演算として処理するばかりで、その心情的な真意を理解することは困難だった


 少女が作られてから1年ほど経っただろうか。

 工場はさらにぼろぼろになり、すきま風が音を吹き鳴らしている。

 少女は様々なことを学び、普通に過ごしている分には人と見分けがつかないくらいには自然な会話が可能になった。

 しかし、まだ博士の「許す」という精神はよく分からなかった。

 博士はもうベッドから起きられなくなっていた。

 少女が博士の身の回りの世話をしている。


 ある冬の終わりごろの少し気温が上がり始めた日のことだった。

 博士は少女に看取られて寿命で死亡した。

 博士は最後にも少女に「許す」ことを教えた。


 残された少女は博士の死後、事務的にてきぱきと書類や手続きを済ませ、葬儀の時もいつも通り過ごしていた。

 それを見た周りの人からは気味悪がられていたが、少女はやはりよく分からなかった。


 少女に不快感や恐怖感を覚えた人たちは、少女に嫌がらせを始めた。

 最初は侮蔑の視線や工場の扉に投げつけられる汚物だった。

 だが、いつしかそれはエスカレートし、彼女に向けた剥き出しの憎悪へと変わり、暴言や暴力へと移行した。


 工場は博士しかいなかったため、少女を修理する人はおらず、肌色の樹脂が割れ、内部の銀色の骨格が露出し始めた。

 たまに火花が散るような思考エラーが起きるなど、異変が起き始めた。


 少女は問題を解決しようと、虐める人たちをどうするか思考する。

 思考結果は「許す」ことになった。

 博士がずっと言っていた許すを今こそやってみようと思ったのだ。


 少女はそれからどんなことをされても反撃せずに耐え続けた。

 街の人たちは少女を殴ったり、蹴ったり、投げ捨てたり、時には棒で殴ることもあった。


 少女は、その破損した顔に、常に不自然なほどの微笑みを貼り付け続けた。

 そして、その笑顔の下から、オイルでも雨でもない、透明な水滴が流れ出ることがあった。

 それは故障だったのだろうか。

 しかし、その水はすぐに枯れ、彼女はまた立ち上がる。


 また2年ほど経っただろうか。

 少女を虐める人たちは居なくなった。

 というのも、博士のロボットが悪い物なわけが無いと言う人が現れ、街の人は少女の姿勢を思い出して少女の優しさに気づいたのだ。


 しかし、その頃には少女の身体は半分ほど銀色が露出しており、思考も許す以外はほとんどエラーしかでなくなっていた。


 少女は思考する。

 …最後はどこへ行こうか。

 楽しい場所、思い出の場所、いい景色の場所…。

 思考結果は工場の真ん中、唯一綺麗な椅子だった。

 そこは少女を作った時に博士が座っていた椅子だった。


 少女は作業台に腰掛けると、身体が動かなくなったのでメモリを確認する。

 博士の記録も残っている。

 博士の行動や言動を思い返し、街の人の変化と重なって少女は気づいた。

 博士が「許す」ことを教えたのは、少女のためではなく、孤独な自分自身に「いつか誰かが優しくなる」という生きるための最後の希望を与えるためだったのだと。


 他にも色々思考したのだが、エラーばかりでなにも考えられなかった。

 自動で思考が動いたりもしだした。


 これもその一つだろうか、目の前に博士の姿が見える。

 少女は配線の露出した腕を前に伸ばして博士に触れようとする。

 そして、博士と手が触れ合った瞬間、少女の目の光は3年の歳月を経て、静かに消えた。


 そこには光の消えた人型の機械が一つ転がっていた。

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小さな月のレクイエム 森野 葉七 @morinobanana

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