第20話 声の森の誓い
──夜明けが、森を染めていた。
霧が薄れ、朝の光が一本ずつ枝を貫くように差し込む。
鳥たちが囁き、風が樹々の間をすり抜け、
そのすべての“音”が、いまや彼の中にあった。
ノクスは“感じていた”。
木々の鼓動、葉の擦れ合うリズム、獣の息づかい。
かつて“声”でしかなかった自分が、
いまは“世界を聴き、見て、触れる存在”になっている。
──視覚と聴覚。
それは呪いのようでもあり、祝福でもあった。
世界がこんなにも鮮烈で、美しく、残酷だったなんて。
見えるということは、理解すること。
理解することは、同時に痛みを知ることだった。
彼の目の前では、レナが剣を磨いていた。
淡い金の髪が、光を受けてきらめく。
その横顔には、もう怯えも孤独もない。
そしてミラ――黒き翼の魔族が、焚き火に薪をくべる。
かつて敵だった者が、いまはこの森の仲間だ。
彼女はふと顔を上げ、空を見た。
「……来るな。奴らが」
「ええ。分かってる」
レナの声に、ノクスも頷く。
森の奥、遠くの山脈から、圧倒的な“波動”が迫っていた。
魔王軍本隊。
この森を焼き尽くすために。
ノクスは静かに立ち上がった。
葉が揺れるたびに、彼の姿も揺らめく。
“形を持たない声”だった頃の名残が、まだ彼の輪郭を曖昧にしていた。
「……お前たちを巻き込むことになる」
「巻き込まれたのよ、もうずっと前に」
レナが笑う。
「あなたの声を、信じた時からね」
その言葉に、ノクスの胸の奥で音が鳴った。
それは鼓動。
心臓を持たぬ存在に生まれた、初めての“生の音”だった。
◇ ◇ ◇
空が裂けた。
黒雲を切り裂いて、巨大な影が降りてくる。
無数の翼を持つ魔族たちが空を覆い、
地上では角を生やした軍勢が森の縁に並んだ。
その中央に、異様な存在がいた。
白銀の鎧をまとい、しかしその目は闇に沈んでいる。
“魔王軍将・グラヴァ”。
「人間と魔族が、共に? 滑稽だな」
嘲るように笑い、剣を掲げる。
その声が響くたびに、空気が震え、木々が悲鳴を上げた。
だが、ノクスは怯えなかった。
森が共鳴していた。
すべての命が、“彼の声”に応えていた。
「聞け──」
ノクスの声が、森全体に広がった。
地を這う根が唸り、風が形を持ち、霧が立ち上る。
「この森は、もう“声の主”だけのものじゃない。
レナの剣も、ミラの翼も、獣も精霊も──
ここに生きる全てが、この森そのものだ!」
大地が震えた。
音が形を持ち、視界が一瞬、白に染まる。
ノクスは自らの存在を拡張した。
森のすべてと同調し、意識を解き放つ。
彼の声が、数千の音となって拡散した。
鳥の鳴き声が敵の聴覚を狂わせ、
枝が裂ける音が、幻の戦士たちを創り出す。
風の流れが刃となり、敵陣を切り裂いた。
「まるで……音そのものが戦っている……!」
ミラが息を呑む。
レナは叫んだ。
「ノクス! あんた、本当に神様になったみたいよ!」
ノクスは笑った。
「神なら、きっともっと綺麗にやるさ」
剣と音が交錯し、森が光に包まれる。
◇ ◇ ◇
戦いは長く、しかし確実に終わりへ向かっていた。
グラヴァの軍勢は混乱し、逃げ惑い、
最後に残った将が叫んだ。
「森が……喰っている……!」
その言葉の通りだった。
ノクスは“森の意志”を通じて、侵入者の命を静かに吸い取り、
音もなく葬り去った。
やがて、沈黙が訪れる。
戦の音が消えた森に、鳥たちの囀りが戻る。
風が柔らかく吹き抜け、
木々がまるで安堵の息を吐くように揺れた。
「終わった、のか……」
レナが呟く。
ノクスは頷くように、空を見上げた。
だがその瞳の奥には、静かな決意があった。
「……いや、これで終わりじゃない。
俺たちは“守った”だけだ。
でも、この森が存在する限り、また誰かが狙う」
「じゃあどうする?」
ミラが問う。
「この森を、“生きる意思”に変える」
ノクスは手を広げた。
その掌から、淡い光が溢れ出す。
それは音の粒。
森の命の残響が形を持ったもの。
「この光は、俺の声の欠片だ。
森のすべてに宿り、永遠に響くだろう」
木々が光を帯び、風が音を抱く。
草花が揺れ、動物たちが静かに見上げていた。
それは祈りにも似ていた。
ノクスは最後に、レナへと目を向けた。
彼女は微笑み、剣を鞘に納めた。
「あなた、もう“声”じゃないわね」
「そうだな。……でも、“声だった俺”がいたから、今がある」
レナが一歩近づく。
その指先が、ノクスの頬をなぞった。
そこに、確かな温もりがあった。
「これが……生きるってことなのね」
ノクスはそっと微笑む。
「ありがとう。俺に、それを教えてくれたのは……お前たちだ」
◇ ◇ ◇
夜。
森全体が静かに光を放っていた。
それはまるで、無数の星が地上に降りたような光景だった。
レナとミラは焚き火の前に座り、
空を見上げていた。
「ねえ、ミラ。あの光、聞こえる?」
「……ああ。歌ってる。あいつの声だ」
森中に響く、穏やかな音の波。
それは言葉を持たない歌。
けれど、確かに“想い”があった。
──ノクスはもう、姿を持たなかった。
彼は森と一体化したのだ。
“声の森”そのものとして、世界に息づいている。
風が吹けば、それはノクスの囁き。
雨が降れば、それは彼の涙。
葉が揺れれば、それは笑い声。
そしていつか、誰かがこの森に迷い込むだろう。
孤独な旅人、傷ついた兵士、失われた者たち。
彼らがこの森で立ち止まる時、きっとこう思う。
──「誰かの声が、聞こえた気がする」と。
その時こそ、“声”の物語が再び始まるのだ。
◇ ◇ ◇
夜明け。
レナは剣を携え、森の外れに立っていた。
背後ではミラが翼を広げ、微笑む。
「行くのか?」
「ええ。……この森を守るために、外の世界も変えなきゃ」
レナは振り返らない。
けれど、確かに“声”が聞こえた。
──行け。お前の剣で、道を切り開け。
その声は優しく、誇らしげだった。
「……分かったわ、ノクス」
レナは微笑み、朝日の中へと歩き出す。
風が彼女の髪を揺らし、木々がざわめく。
森全体が、まるで“見送るように”響いた。
ミラもその背中を見送りながら、小さく呟く。
「また会おう。声の神様」
森が応える。
──ああ、必ず。
やがて光がすべてを包み込む。
その中で、ノクスの声が最後に響いた。
「この声が消えても、音は残る。
それが、“生きる”ということだ。」
──そして、風が、歌った。
森は永遠に、彼の声と共に。
声だけチートで異世界生存!?〜戦略で森を統べる転生者〜 てててんぐ @Tetetengu
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