素晴らしい日本の死に顔

伊藤優作

素晴らしい日本の死に顔

 棺桶の窓の部分を覗くと、その中には死んだぼくのおじさんが横たわっていて、死んでいる人間らしい顔が覗いていた。

 それは素晴らしい日本の死に顔だった。

 改めてこんなにいたのかと思うおじさんの親族たちがぞろぞろ集まって、「滅茶苦茶な人だったけど、いざこうして死んでみると意外といい人だった気もするねえ」といった表情を並べていたのだった。

 それでもどうせこの人たちは、改めておじさんの書いた小説を買ったり手に取ったりすることはないに違いない。

 ぼくのおじさんは官能小説家だった。一応説明しておくと、官能小説というのは、化学の授業で習う官能基とは(たぶん)なんの関係もない、エッチなことがいっぱい書いてある小説のことだ。

 おじさんは若い時からおじいちゃんたちに向けてエッチなことがいっぱい書いてある小説を遮二無二書き続けていたのだった。ただエッチなことをいっぱい書けばいいというものではなかった。若者と違って(?)もはや世の中の新しい情報を自ら進んで積極的に取りに行くことのないおじいちゃんたちに向けて、おじさんはさりげなく世の中の新しい情報を読ませることにしていたし、出版社もまたそうするようおじさんに求めていたのだった。

 おじさんはたくさんのおじいちゃんたちに、電マが電気マッサージ器の略であることを教えた。スマートフォンのアプリで遠隔操作できるバイブがあることを教えた。YouTuberのように、エッチな動画を投稿する素人の女性たち(や男性たち)がいること、素人が撮ったとてつもなく短いエッチな動画が、プロのAV女優たちが出演している長い長いアダルトビデオより遥かに割高な値段で売られ、実際に買われていることを教えた。電マが海外のエロ動画サイトでは「Hitachi」の通称で呼ばれていることを教えようとしたが、編集者に却下された。実在の企業の名前を、エッチなことがたくさん書かれている小説に書き込むことは、その、色々と厄介なのだ。

 そしておじさんはおじいちゃんになる前に、素晴らしい日本の死に顔になったのだった。

 どうしてぼくはこんなにおじさんのことについて詳しいのか?

 それは親族一同の中で、ぼくが唯一おじさんと仲が良かったからだ。

 おじいちゃんの葬式の席で、おじさんは自分が官能小説で金を稼いでいることを、両親をはじめとした親族一同になんの衒いもなく発表したのだが、そのせいだろうか、おじさんはおばあちゃんの家へ足を踏み入れることができなくなった。おじさんは弟のところ、つまりぼくの父さんのところへしょっちゅうやってきた。父さんはおじさんが書いたものを一冊も受け取らなかった。それでおじさんは持ってきた自分の本を密かにぼくに手渡したのだった。

 そうしてぼくのおちんちんは劇的な変化を遂げ、同時にぼくは小説に目覚めたのだった。

 ある時おじさんはぼくに、ユダヤ人の文字教育について教えてくれた。おじさんによれば、ユダヤ人の子供はシナゴーグという礼拝所で文字を習うのだけど、彼らはまずはじめに、文字の上に蜂蜜を塗ったものを与えられ、その甘さを味わうらしかった。

 ぼくには、それは確かに理にかなっているように思えたのだけど、そんなことをしなくてもいいんじゃないかという気もした。おじさんの小説をユダヤ人の言葉に翻訳すればいいじゃないか。

 もしかして、これは男の子限定の話で、女の子だと話は変わるのだろうか。

 おじさんはそのことについては何も教えてくれなかった。

 最後におじさんと話したとき、ぼくの頭はとても類型的にぶっ壊れていた。文字ばかり読みすぎて、他のものが読めなくなってしまっていたのだった。文字はとても甘く安らかに死んでいたので何の問題もなかった。問題は、ほかのぜんぶがみんな生きていることだった。ぼくは生きているものとどう接したらいいのか、ぜんぜんわからなくなってしまっていたのだった。

 その日、うちにやってきたおじさんはいつも通りぼくの部屋にやってきた。ぼくはその頃には、おじさんがたびたびうちにやってくる理由をなんとなく理解していた。一度母さんが、おじさんが帰っていった後で、父さんに、

「あの人、いつまでくるのかねえ」

といい、また、

「あなたの大事なお兄さんなのは分かってるけどさ、うちも楽なわけじゃないんだから」

といっているのを聞いたことがあったのだ。

 その日、うちにやってきたおじさんの顔色は悪かった。青黒いようでいて、青白くもあった。書いてみてわけがわからないが、実際わけがわからない顔色だった。ときおり胸の奥からズシンとくるような咳を吐き出すおじさんに、ぼくは覚えたての言葉と、生半可に覚えて久しい、あるいは間違ったまま覚えて久しいたくさんの言葉をつかって、のべつ幕なしに喋りたてたのだった。声を荒げて色々なことを喋ったのだけど、結局ぼくは単純な話を装いを変えて繰り返しているだけだった。

 ぼくは今のこの国で、日本で、どうやって生きていけるのかわからない。苦しくてしょうがないんだよ、おじさん。

 ぼくの掃射がおさまり、一瞬ぼくの部屋は静かになった。その静けさもすぐにおじさんのゴホゴホという咳でかき消されたのだけど、おじさんは咳を挟みながらこんなことを言ったのだった。

「まあ、ユウキが苦しいことは分かった。世の中の仕組みもカッチリしてきたしややこしくなってきたしな。この国が色んな意味でどんどん貧しくなるのも間違いないだろう」

 ゴホゴホ。

「でもなあ、知らねえんだよな俺は、今の若者の苦しみなんてさあ。関係ねえから」

 ぼくは咳をしない。

「俺が若かった頃はすげえ暗い時代だとか言われてたわけよ、地震とかサリンとかノストラダムスとか、色々あったんだよ。でも俺は俺で結構楽しかったんだよな。Windows 95とか……知らない? そりゃ金はなかったし、いや金は今もねえんだけどさ、やりたいことやって少しは金が貰えて、俺けっこう幸せだったんだよな。そんな俺がさ、今の若者の苦しみが俺には分かる、なんて言ったってさあ……なあ?」 

 ゴホ、ゴホ。

 そしておじさんは日本の素晴らしい死に顔になった。

 おじさんがしてくれた話をぼくはこうして今でも覚えている。あの話のおかげで、ぼくはなんだかんだいっても生きていけるだろうなということが分かったのだった。

 

 

 

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