第3話 白と黒の世界

北万住駅の改札を抜ける多くの人の流れに飲み込まれながら、私は美瑠との待ち合わせのコンコース広場に向かっていた。

駅ビルを出ると頬を裂くような風が駆け巡って、触れた冷たさに涙が滲む。

自然とマフラーに潜り込むように少し俯く。

白い息が顔にかかるとほんの少しだけ温もりをもたらした。

落とした視線の先に、はらっとひとひらの白い花びらが舞う。

じきに、地面に馴染んでそれは消えた――

「あっ……」

声にならない声で見上げた駅前の建物たちに囲まれた合間の空。

そこに、いくつもの花びらが漂いながら舞い降りてきていた。

思わず差し出した手のひらに、少しの輝きを纏ったそれが一瞬の冷たさを伴って、一つの雫へと形を変えて――

私は手のひらを丸くして、肌に馴染ませる。

夕凪島でも雪は降るのかな……

トン、トン。

靴音のリズムを鳴らし、歩いていると、

「梨花!」

高くて元気な美瑠の声が背中から追いかけてきた。

振り返ると、美瑠が長い髪を弾ませて、ちょこちょこと近寄ってきて、いきなり私の頬を両手で挟む。

「ほら、冷たいでしょ……って、梨花のほっぺのが冷たい」

私がジーッと見つめていると、美瑠は笑いながら睨むような顔をして、両手をブレザーのポケットに突っ込んだ。

「美瑠、駿介くんとまたケンカしたの?」

今度は美瑠がジーッと見つめ返してきて、

「ああああ……」

美瑠は目をつむりながら両手で耳を塞ぐ。

お茶目なその仕草に頬が緩む。

「もう、じゃあ、いつものとこ行こ」

私は美瑠の腕を掴むと、同じように美瑠も私の腕に抱きついてくる。

ホッとするこの感じ。

見つめ合って笑いながら、誘われた風にさすらう白い花の中を歩き出した。


いつものとこは、駅前のロータリーから伸びる道を真っ直ぐ進んだ先。

大きな国道を渡ったところにあるファミレス。

駅から離れているからあまり混雑しないのと、お互いの家に近いから中学校の頃からの馴染みのお店。

屋根がついた道路沿いの歩道を歩く頃には、大きな花びらとなった雪がしんしんと降り注いでいた。

「これ積もるかな?」

美瑠は私の肩に頭を預ける。

いつものシャンプーの香りを冷たい空気と一緒に吸い込んだ。

「どうだろう……」

行き交う人々よりも多くの雪がアスファルトにのまれていく。

やがて、歩道の屋根がなくなった夜空には、街の灯りに照らされ、キラキラとしたたくさんの白い星が降り注いできていた。


ファミレスの私たちの指定席。

窓際の角のテーブルは空いていた。

食事中、美瑠は駿介くんの不満ばかりを、ある意味面白そうに口にしていた。

メッセージの返信が遅いだの。

話を聞いてくれないだの。

駿介くんとは私も含めて同じ中学。

二人は中学一年から付き合い始めた。

航太くんは学区が違って、美瑠は会ったことがあったみたいだけど。

私は例のダブルデートの時に初めて紹介された。

美瑠は女の私から見てもかわいい。

ううん、どちらかと言えばキレイ系かな。

お姉さんに見えなくもないけど、こうして子供っぽくって、わがままだったりもする。

たいがい、二人がケンカした時は、こうやって美瑠が喋って、私はそれをただ聞いている。

全然苦痛じゃないし、むしろケンカの話なのに面白そうに話す内容や、美瑠の顔を見ているのが楽しくもあった。

大体は、美瑠の一方的な思い込みや先走り、焼きもちみたいなものなんだけど。

それだけこころが支配されていて、夢中になっていて、好きということだから。

私も――

ずっとこころが支配されて、掴まれて離さない人がいる。

彼に会うたびにドキドキして、胸がきゅうって苦しくて。

ぎゅうって握られた手の痛みと安心感。

私の手と心にしっかり刻まれている。

10歳の頃の私は、その気持ちが好きだということが良く分からなくて。

分かっていたのかもしれないけど、恥ずかしいのか、照れなのか……

彼があの日、私に聞いた。

「梨花って、好きな人おるん」

その問いに、上手に答えることが出来なかったんだ。

今はそれが好きということだと、分かっちゃったから。

でもね、会えないんだ、私は好きな人に。

ふと脇を見て窓に映った私の顔――

その目の下にぺたっと張り付いた白い雪。

私一人が想い続けてるだけかもしれないけど……

だからこうやって話せる美瑠を正直羨ましいなって思うこともある。


「そうそう、クリスマスさ、またダブルデートしない?」

頬杖をついている美瑠はストローでグラスの中の氷を回している。

世間話の様な口ぶり。

「え……? いいよ遠慮しとく」

「なんで、航太くん、梨花のこと、すこーし気になってるみたいよ」

小首を傾げながら、意味ありげな眼差しを私に送る。

美瑠の思惑というか気持ちはずっとわかってるけど……

「うーん。私は別に……」

アイスティーのグラスを手にして、ストローに口をつける。

「でもでも、会ってるうちにさ、キュンってあるかもしれないじゃん」

「なんないかな……」

「即答って……もう、何で決めつけるの? 航太くん、結構モテるみたいよ。まあ、駿のがかっこいいけどね」

私が思わず笑うと、美瑠は頬を膨らませ腕組みをする。

「もうさ、梨花も青春しようよ、本ばっか読んで、何か書くことだけが青春なんて味気ないよ、乙女の命は儚いのよ」

美瑠は肩を抱いて体をゆする。

私はグラスをそっと置いた。

美瑠には話しとこうって思うから。

「ああ、さっきね私、告白された」

「は?」

「同じクラスの男子……宮本くんって子」

一瞬身を乗り出しかけて、美瑠は席にもたれかかった。

「どうせ、断ったんでしょ?」

「どうせって、ひどくない?」

「その子と航太くんならどっちが好み?」

「え?」

「いいから……」

美瑠はテーブルの上で腕を組み、顔を突き出して目を輝かせている。

私は仕方なく、二人のことを頭で想像する。

とはいうものの、航太くんは一回しか会ったことがない。

宮本くんはクラスの人気者で、バスケ部。

それ以外、何にも知らないもん。

そこに彼の姿が割り込んでくる。

当たり前のように……。

優しくて、いつも笑ってて、私を気にかけてくれていて、私に一生懸命だった声に、眼差しに、笑顔に、手の温もり。

私は胸の前に両手を添えていた。


「梨ー花?」

美瑠がテーブルに顔を近づけて私を覗き込んでいた。

「ん?」

「思い出し笑い? なんかいいことあった?」

「ううん、別に……」

「ふーん。で、で、どっちなのかな?」

美瑠は、私がトンボみたいに人差し指を目の前でクルクル回す。

「どっちも好みじゃないかな、そもそも知らないもん二人のこと」

「そんなの、あとから知ればいいじゃん、かっこいいなとかで全然いいのに、梨花、かわいいんだから絶対モテるのに勿体ない」

「勿体ないって」

そう言われても、私自身は思ってないから……

私の隣は……

「ねえねえ、とりあえずさデートしようよ~」

少しボーっとしていた私の鼻の頭を、美瑠は指先でつついてきた。

私はそんな美瑠に膨れて見せる。

「いいよ、私は……それより、駿介くんに謝りなよ」

「ううう……」

思わぬ反撃をくらって、うつむいて肩を落とす美瑠。

「もう、いい加減さ、もっと素直になりなよ」

「私は素直ですぅ」

イーッという顔をして、美瑠は口を尖らせてそっぽを向く。

「まあ、ある意味、素直だね」

「もう、梨花はいっつもそうやって、私のことからかうんだから」

美瑠は膨れて見せるが笑っている。

やっぱり、話せることがあるっていいなって思う。

私は……。


それからデザートを食べて、お店の前で美瑠と別れた。

結局、帰り際までダブルデートをしつこく誘ってきた。

それが美瑠なりに私の事を考えてくれているんだってことは分かる。

でも、私はきっぱり最後には断った。

中途半端な答えをしてしまうと、美瑠は話を進めちゃうし。

乗り気じゃない私のために、みんなの時間を使わせるのも悪いなって思ったし。

やっぱり自分の気持ちには嘘はつけないから。

薄っすら雪に包まれた家々や道路が白くなって、空の黒さとでモノクロの世界にいるようだった。

その割には、街灯や家の灯りに反射した雪の白さのせいで、普段よりも街が明るくて、夜なら見えないはずの先の道や建物まで見える。

いつもより静かで、気のせいか暖かくも感じる。

靴底からしゃり、しゃりっと小気味いい音が時を刻む。

止むことのない雪は、少しずつ重なり合って厚みを増していく。

まるで、彼への想いのように。

彼の気持ちを確かめられたら……

私も違う恋ができるのかなって。

遠くても空の下にいる、彼のことを想って見上げた私の頬に、冷たい花びらがスッと落ちて雫となって伝っていった。







そして――

5年後、私は知ったんだ、夕凪島での約束の日に。

木枯らしが吹き荒れて、雪が舞ったあの日がシンくんの命日だってことを……

きっと、風に乗って会いに来てくれたのかなって……

今は、思えるよ。

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約束の木の下で 風と雪の中に ぽんこつ @pon--kotsu

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