まんげつのよるに

難波霞月

その日、僕は行くところがあった。

 職場から、東武伊勢崎線に乗って北へ。

 冬の足音がすぐそこまで来ている今は、17時を過ぎれば外はほぼもう真っ暗だ。

 乾いた冷たい北風が、時折ひゅっと吹き付ける。

 平屋建ての小さな駅を出たところで、僕は思わず「寒ぅ……」とコートの襟を立てた。


 さて、僕が降り立った駅前は、信楽焼がでんと飾られていて、ほかに人気はまばらだった。

 目の前の今は閉じた商店には、地元の銘菓だといわれているが、一度も食べたことのない和菓子の看板。

 その看板の下に、見慣れぬ人影が立っていた。


(外人……か?)


 都内じゃ珍しくもなんともない、白い肌、金色の髪の背が高い女性。

 耳が少しとがっているけど、まるで映画スターのような美人さんだ。

 だけど場違いなのは、この寒さなのに、ホットパンツにTシャツといういでたち。


(うわ、足なげー、胸でけー……っていうか、あのTシャツ、たぬきだよな)


 間抜けそうな顔の茶色い動物と『TANUKI』と書かれたプリント。

 日本人のセンスにはないチョイスだが、美人が着ていると謎の破壊力がある。

 見た目は完全に、異世界転移してきたエルフにしか見えない。


 その女性は、駅前でぼーっとたたずむ僕の姿を認めると、片手を軽く上げてこっちにやってきた。


(おいおい、僕は英語は話せないぞ)


「Hi,コンバンハ。キョウハ、ツキガキレイデスネ!」


「こ、こんばんは……」


 なんだよ日本語か。ちょっと焦った。


「アーアー、ニホンゴ、モウチョットウマクハナシマスネ」


 女性は僕の目の前で、のどのあたりを軽く押さえて、何度か咳払いをする。


「すみません。これで、わかりますか?」


 いかにもなカタコト日本語から、えらく流ちょうな日本語に切り替わった。


「あ、ええ、はい。大丈夫です」


「わたし、タヌキの研究で日本に来ました。このあたりに、タヌキで有名な寺院があるそうですが」


「え、ええ。まあ、ありますけど……」


「道が暗くてわからないんです。それにスマホの充電も切れちゃったし。すみませんが、道を教えていただけませんか?」


「え、今からですか? たぶん、もう門は締まっていると思いますけど」


 こんな時間に行ったって、中に入れるわけがない。


「大丈夫です。行けばどうにかなりますから」


 変に自信たっぷりの彼女の様子に、僕は少し耳の後ろがかゆくなった。

 なんだかちょっと、気持ちがざわつく。

 彼女は、そんな僕の気持ちを見透かしたのか、視線を空に向けて、指を立てた。


 「ほら、みてください。今日はこんなに、とっても丸くて大きくて、綺麗な満月なんですもの」


 

 まばらに立つ家の明かりと、走り去る車の明かり。

 そうした頼りない明るさと、青白く光る満月の明かりをもとに、僕たちは夜道をてくてくと歩く。


「わたし、サキといいます。母は日本人、父はドイツ人です。いまはアメリカに住んでいます」


「あ、僕は……シンジです。父も母も日本人で……多摩の出身で……あ、多摩ってわかりますか?」


 すると、サキさんは「――That’s amazing! わたしのママも、多摩出身なの!」


 周りの民家がびっくりしそうなほどの大声を上げた。


 その言葉を聞いて驚いた僕は、ちょっとした変化球を投げる。


「僕の両親は1975年生まれらしいんですけど、サキさんのお母さんは?」


「ママは、1973年生まれよ。高校生の時に、ヨコハマに、それからアメリカへ」


「そうなんですか。僕の両親は、多摩にいたころには知らなかったけど、落ち延びた八王子で出会ったそうです」


 僕は、サキさんの言葉のかすかな部分に、わずかな明かりを見つけた。


 それから僕たちは、言葉数少なく、ロードサイドのうどん屋さんの横を通り過ぎる。

 もうしばらく歩くと、観光土産が並ぶ小さな門前町にたどりつく。

 もう夜だから、店は一軒も空いていない。


「ここから、寺の入り口に行けますよ」


 そういうと、僕は明かりのない参道に入っていく。

 サキさんは、一瞬、何か気合を入れるように身震いして、僕の後についてくる。


「シンジさんは、よくこちらに来るんですか?」


「ええ。僕、ここの所属なんで」


 満月の明かりが神々しい。

 まるでスポットライトかのように、僕たち2人を空から照らす。


「本当に、月が綺麗……日本の月はなんだか違います」


 ぴゅう、と風が吹いてきて、木の葉が舞った。

 僕は「そうですか、そういって頂けると、なんだかうれしいですね」と答えつつ、木の葉をはっしと2枚つまむ。


「……お母さんは、ここに来られたことは?」


 僕が問うと、サキさんは、静かに首を横に振った。


「ママは、アメリカに来てから、一度も日本に帰れませんでした。だから、わたしが代わりに」


「なるほど」僕は、サキさんに木の葉を1枚渡す。サキさんは、木の葉を受け取って、不思議そうに眺める。


 寺の正門にやってきた。扉は固く閉じられている。

 僕は、規則に則って、扉を敲く。


 ややあって、扉が、ぎぃ、と開いた。

 僕は、サキさんに木の葉を頭にのせるジェスチャーをする。

 サキさんは、得心が行ったのか、木の葉を頭にのせて、勢いよく門の内側に駆けていった。


 寺の門をくぐった途端。

 彼女は、ニンゲンから、四本足の動物の姿に変じる。

 白くて美しい冬毛は、ふさふさのもふもふだ。姿を変じた後、僕のほうを振り返る。

 次いで僕も、木の葉をのせて門をくぐる。

 僕は普通の、茶色の姿。ぶるぶるっと体を震わせて、サキさんを連れて寺の奥へ向かう。


 向こうには、先に来ていたたくさんの仲間たちが待っていた。

 満月の夜に開かれる、仲間たちの定例会。

 今日は、外国から来た新しい仲間を紹介しなければ。

 

 ああ、今日はいい満月だ。

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まんげつのよるに 難波霞月 @nanba_kagetsu

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