影-13
ーーー
声をかけられて渡された名刺に警戒心を隠せずにいる。じいちゃんからもらった名刺のコピーと頭の中で一致したからだ。曖昧でも覚えていてよかった。そうだ、こんな字面だった、と思い出す。
「すいません、急いでいるんで」
「リジーさんって分かりますよね。所属事務所社長が新たに契約した、とか」
足を止めざるを得なくなる。
「そんでもって社長はミス・ハイマーですよね」
「ネット記事で見ました。貴方が知っていてもおかしくないと思います」
「事がどうして起こったのか、知りたくはありませんか?」
「事?」
「周りの人間が何を考えて動いていたのか。どうして総理の息子は死んだのか。李浩然はどうしてハイマーには話したのか。どうして総理は息子の影について事実無根と言ったのか。それが差別ではなくノーマライゼーションの一環だ、とある程度の同情票が集まりました。ミス・ハイマーは汚職について妙に詳しかった。そしてハオランの一件があって、私なりに確信をしたんですよ。貴方にとってもいろいろと不可解なところはあったんじゃないですか?」
「ないです」
「いいや、あるはずだ」
話を聞いてほしいだけのキチガイか、と足をくるりと回転させる。体もそれに引っ張られるような形で自宅の方へ向く。エントランスまでは二十メートルもない。
「じゃあ聞き方を変えます。ハオランと繋がりがありますよね」
「あったらなんなんですか?」
「そのハオランは中国人でもなければ、知り合いが影に苦しんでいた、というのも全て嘘なら?」
「え?」
「ハオランの本名は深三彦郎、ミス・ハイマーの恋人で、自殺した総理の息子と報道されている人物です」
時が止まる。
周りは動いているのに俺と目の前の記者。なんだっけ。名刺を見たはずなのに。名前が全く出てこない。そんなに特徴のない名前なんだよ。タツミだ。タツミ、という人だ。その人が包まれている半径五メートル程度の球の中は時間が進んでいない。
どうりで日本語が上手だと思ったし流ちょうに話す、と思った。行けたら行きます、に期待しないで待っています、と返したことがあった。今も、昔も確信するまでには至らないが違和感だった。その時は気づきもせず
「何のために?そんな嘘を…?」
「全てBangを守るためですよ」
「は?」
「Bangについての記事を。うっは、俺警戒されてるみたいっすね。影ってそんなに自我があったんだ。うはぁ、怖。貴方についての記事を書いたんです。それを編集長に見せて、新しく刊行される最新刊に載せてくれる、表紙級のネタって言われてたんすけど、今日まさにさっき、ぶっ潰されちゃいましてね」
「俺の、何についての、記事だ…?」
「もちろん、貴方の後ろにいる神様の影ですよ」
口の中はもうからっからに渇いている。会話を続けるのが難しいくらいだ。言葉に音を着せることは出来ても潤いを与えられないから意味がある単語になってくれない。
にやにや、と笑いながら歩き出せなくなっている俺に近づくタツミ。来るな、と。これ以上知りたくない事実を教えてくれるな、と。拒みたかった。でも知りたかった。その気持ちもあってしまった。水面下で守るため、とか謳いながら当の本人には何も知らせない。それを正しいと思って止まない人間が嫌いだった。
「おじい様も恐らくすでに知っているか、と。想像ですが」
わざとらしく首を傾げて、ポケットに銃でも入っているのか、というくらい頑なに手を出そうとしないスタイルを崩さずに言う。
もしこの計画を知っていたならば俺が家に行った時点ではもう知っていたと思う。あくまで予想だけど。じゃなきゃあのじいちゃんから家を売ろうと思っている、なんて発言が出るわけがない。死んでしまったばあちゃんとの思い出よりも、今後作っていくことが出来る俺を選んだ、となればそれはそれで合点がいく。
これでこの世を嫌いになることが出来る。
俺が所属する国がそういうことをしでかしたのだから。俺が所属する過程がそういうことをしでかしたのだから。
影が騒いでいる。俺を守るためなのか、俺の心を代わりに表してくれているのか。体積を増していくのが分かる。うおっ、という声が聞こえる。太いが女の声だろう。通りからそこまで外れていないし、人が通っても全くおかしくない時間だ。そんな可愛くない悲鳴を出す女なんか大っ嫌いだ。
コンビニでホットスナックを買うかどうか迷いながらレジに並んで口をついて出たら買うし、口から出てこなかったら買わない、みたいに俺は体にすべてを任せた。そして絞り出された答えには納得をしようと思った。
「全部、教えてくれ」
「もちろんです」
俺はタツミを家の中に招き入れることにした。影はエレベーターに乗る時にはもう静かになっていた。俺の警戒心と比例していた。はっきりと確信を得た。実力には関係ないかもしれないけれど、本人の感じ方には関係があるらしい。
「広いっすね」
「コーヒー?紅茶?コーラ?」
「お構いなく。コーラで」
「ままでいい?」
「もちろん」
他のほとんど空っぽになっている部屋を見せないようにリビングへさっさと通した。家具一掃セールをやったせいで広さが際立ってしまっている。企画をこの部屋で撮影していたこともあったが気付かれないだろう。そう思うくらいには殺風景になっていた。
色んな意味で荒れた部屋を片付けていてよかったと思う。嫌いかもしれない人間に心配されるのは嫌だし、外側では明るい…しかし、内面には闇を抱えて、みたいなキャッチコピーを見ると吐き気がするから。
冷蔵庫にあったコーラを二本、止めて一本にする。同じものを飲みたくないから。冷蔵庫の中に手を突っ込んだまま悩み過ぎて冷えてくる。
「暖房付けてもらえます?」
「あ、この壁の電源っすか?いいっすよー」
自分より年齢としては上だろう。上以外あるわけがない。じいちゃんから聞いた情報が間違いないのであれば。じいちゃんがあの時も名刺をもらっていて、今回も名刺をもらってそこに符合が見られるならコイツはアイツでソイツだ。だとすれば俺が小学校の頃にはもうすでに記者をやっていた。俺より、大人。確定。
何か適当に頭の中で計画を練ろうとした。話されることを受け入れる体勢は作れなかった。そもそも話を理解できていなかったから。俺を守るために事が起こった。ハオランは本当は日本人で、社長の恋人。社長がハイマーなのは知っているけれど、恋人?ハオランは女なのか、男なのか。会った感じは男だけど。って。
粗を探すための日常的には使わない目の血まみれ機能をオンにすることくらいしか出来ることはなかった。
本格的に鳥肌が立つ始めたので手を引っこ抜いた。
「コーラうまぁ」
その声を後ろに聞きながらプレゼントにもらった紙パックに入っているコーヒーを取り出してコップに注いだ。まともに残っているのはプラスチックのものばかりだ。
「じゃ、どこから聞きます?かいつまんで話します?」
「全部」
「じゃあ感情的に?」
「冷静に」
「逆の順番で?」
「順序立ってるなら何でも」
おちゃらけた態度に青筋浮かび上がりそうになるのを堪えながら話を聞き始める。
「世間が許してくれないんじゃなくて、自分が許せないんでしょう?」
そこから始まった壮大なストーリーは信じたくはないが俺は守られていた。信じたくはないが、誰も死んでいなかった。喜ばしいはずなのに死んでいてくれと願ってしまうくらいに俺にとっては嬉しくて、酷かった。
コーラは汗をかき、俺のコーヒーはタンブラーに入れなかったことを後悔した。
あくまで想像です。
と締めくくられた話はどこまでもつじつまが合っていたし、彼らが俺に向けてきた行動を急速に理解し始めた気がした。それが事実だ事実ではない、よりも事実っぽかったことが重要だった。
誰が何のために?彼らはどうして俺を守ろうと?主に社長が動いたんだろうが、あんな昔のことをどうして今も大事に記憶の宝物箱の中にしまっているのだろう。どうしてその話を持ち掛けられた人たちはそれに賛同したんだろう。
どうして?どうして?が止まない。
誰も面と向かって守ってくれたことはなかったのに。俺の中ではお前らは全員、仕方ないよな、って肩を叩くことだけは忘れない人でしかない。守ってくれなかった人、なのに。どうして守った、という言葉を使いがやがる。
「では俺はこれで」
タツミがいなくなった部屋で俺は座ったままだった。
部屋も荒せなかった。荒すものがなかったの方が正しいかもしれない。それでも人間はものがないと生きていけない。今日だってタツミのコーラを置いた机がある。それは変わらず今も俺の目の前にあり続けている。でも俺はそれを壊すことが出来なかった。
守られていたことに気付かなきゃいけなかったんだ。またここでも守られたいと願う人が置かれている社会的な定義は被害者なはずなのに努力を強いられている。被害者なのに努力をしなければいけない。じゃあもうそれがこの世の原則だと誰か言ってくれよ。そうすれば納得の元、努力をするかもしれないから。しなかった時には文句を言わないから。
夕日が差し込んでくる。フローリングを血に染める。俺が生きた証を刻もうにもこの世の技術は発展しすぎている。リフォーム次第で全くの別の家になってしまう。この家で俺が生きたと示すのは無理で、無謀だ。
じゃあもういい。全てに怒る。守ってくれていたことを考えたとして、俺に知らせなかったことを。やっぱりその差の分だけ怒る。
・・・
「待ってくれ、それは悪かったと思ってる。でも急に辞める、はないだろう?」
「いや、あるよ。俺が今在らせる」
「そんなことはさせない。僕は社長だぞ?」
「だからなんだ?引き留める権限は別にないはずだ。これ以上金も手間もかかる俺のサポートしなくていいんだからこの会社としてはプラスなんじゃねぇの?知らんけど」
「影のことはどうする。またそれを認めてくれる人を一から探すのか?」
カチンと来た。それをお前が言うのか。俺だって信用したかった。
振り向いて、足を揃えて真っすぐ社長を見据えて行った。
「お前がそれになるはずだったんだよ」
そのはずだったのに。
俺だって嬉しかった。俺だって喜んだ。認めてもらえた。漫画のイケメン主人公の後ろに咲く薔薇のようにちょっとイレギュラーだけど当然としてそこにあるものとして認めてくれた。やった、やったって。小躍りしたよ。
会議室に置いてある無機質な長机に座る。ちょうどいい戯愛に足が地面について支えになってくれる。
「いつだってお前たちは認めてあげる、ってどこか上から目線なんだよ。それを脅しみたいに使ってきやがって。勝手にしろ。守ってくれたことはどうも、ありがとう。おかげでBangは影のことをバラされなかったんだね。どうも、ありがとう。心から感謝してる」
「・・・」
「バラすのでも何でもすれば?どうすれば、しただけ俺はもうお前を好きになることはない。信用することもない。感謝の気持ちを抱くこともない。幼稚な復讐心も抑え込めない顔も、態度も、中身もどうしようもない、大人ぶっただけのただのガキだったんだな、って思うだけ」
林檎みたいに真っ赤になるのが面白い。茹でダコでもいいな。なんであれ美味しそうだ。顔が整っているからか?これを何回抱いたのかだけハオランに聞きに行こう。
あぁ、ハオランじゃないんだっけ?彦郎だっけ?
報道された時、年齢の問題でもないくせにプライバシーの一点張りで名前を明かさなかったけど実家で遺書が見つかったことはバラされた。その歳で実家暮らしってどんな気持ち?とも聞いてやろう。
「ありがとう、今まで。信頼させようと。信頼していいんだよ、って示すために俺にい色々と打ち明けてくれたんだよな。全部ではないことにも納得できたよ。でもさ、言われなかった一部分が、言って欲しかった一部分だった時、その納得って取り払われるんだよ」
「信頼してくれていたのか?」
「疑いながらもね」
「これからもうやり直せないのか?」
「別れ際、縋って来てる彼女かよ。そういう時大体悪いの縋ってる側じゃん?お前が悪いの。縋る権利はもうないの。俺は傷ついたの。お前は傷つけたの」
黙ったところを見て、机から立ち上がった。肩が下の方に見える。小柄な体の中にあどけなさがあったあのころが懐かしい。
「お前がVenusだって気づいてたよ。髪の毛が短くなってもVenusはVenus。ハイマーとはすぐに気付かなかったけど、まぁ、それは仕方ないよな。俺が事務所の話を聞こうと思ったのもVenusかもしれない、と思ったから。そのあとすぐ彦郎?だっけ?が来て、男だ、宣言して…女装にもまぁ、つじつま合うな、くらいには思って。でも別に言わなかったのは影について嬉しいことを言ってくれたからで」
「すまない…」
「あの時のお前は可愛かった。今のお前は可愛くない。欠片も。毛ほども。どこも。どこを探しても可愛いと思える部分がないし、もう手遅れだ。方法をもっと選ぶべきだった。国を巻き込めるんだから。小さいところに集中すれば明確な変化を埋めたんじゃないのか?」
「そう、かもしれない…」
社長の手で終わらせるのは流石に可哀想だ。もう俺と社長の関係値が修復できないことは分かっているだろう。せめてこれ以上悪くしないように、と黙っているのだろうがそれは逆効果だ。でもそれでいい。もう、いい。
「いくつか聞きたい」
「なんだ?」
「彦郎はちゃんと生きてるのか?」
「あぁ、死んでいない」
「両親と引き剥がして、お前は恋人ごっこか?それとも、ちゃんと好きで付き合ってるのか?利用しているのか、それとも…」
「利用している。今までも、今も。これから、は、分からない」
「両親にはいつか説明する気があるのか?」
「・・・」
「あるのか、ないのか」
「ない」
浮きかけた腰をもう一度机の上に降ろして深呼吸をする。何を考えるべきだろうか。考えた先、どんな結果になって欲しくて、その結果をどう社長に伝えれば考え方を改めるだろうか。改めて欲しいわけじゃない。もうこの世はどうにもならない。かき回される前からぐちゃぐちゃだった。
ハオランが俺に吐いた嘘も残酷だった。女の子が死んでいなくてよかったのは事実だ。でもきっと似たような状況に陥ったことはいただろう。俺が虐待やいじめの末に死を選んでいたら小さいコーナーなんかじゃなく、もっと大々的にニュースにまでなったかもしれない。
俺の過去と似たような子を嘘で作り上げた。それが何よりも許せなかった。利用され、指示通りに動いただけかもしれなky手も社長と同い年なら俺よりも一年早くに生まれている。それなのに自分の行動を自分で決めることも出来ない彦郎であり、ハオランに同情の余地はない。
「彦郎が吐いた嘘はお前の指示か?」
「君の過去を教えて、似たような話を作れ、と指示をした」
思わず手が出た。社長は一面ホワイトボードになっている壁の方へ倒れ込んだ。マグネットで取り付けられているペンや、クリーナー入れが地面に落ちる。カランコロン、と物騒な音が鳴り響いた。俺は拾うために身をかがめてやることはしなかった。
聞きたくなかった。嫌うためにその返答を望んでいた。実際にそれが来て、冷静でいられるわけではない。
「嘘だと気付かれた時に残酷な嘘は吐かないとか、いつか言ってなかったか?」
ハイマーと俺にバラした時だ。信用させよう、としたんだろう。話の流れ的に。俺に信用されたくてたまらなかったんだろう。その為に彦郎を利用してネタを稼いでいたことも嫌いだし、利用されるような心の弱い彦郎も嫌いだ。何より、社長が嫌いだ。
「ただ、その…、なんて言える、だろうか…その、あぁ…。すまない…」
反抗しようと口を開きかけて閉じて、また出てくるのは謝罪の言葉。それが聞きたいわけじゃなかった。それじゃない言葉でなら俺の心は癒えたかもしれない。ただ正解が分からない。だから黙って欲しくない。でも社長は沈黙を選んだ。
被害者面をするかのように突き飛ばされた後、地面と仲良しなまま。
「認めてもらいたかっただけなんだけど」
その一言を置いて俺は会社を出た。IDカードはへし折った。それを社長の目の前でゴミ箱に入れてやった。俺はもうこの会社の人間じゃない。だから出ていく。クソお世話になりました、とは言ってやらない。
もう社長と俺が好きな漫画について語り合うことはない。クリエイターの不祥事の折、どんな謝罪にしようか、酒を挟みながら語らうこともない。編集データもぶっ飛ばすだけ。共有アルバム、データ消しちゃおうかな。それは流石にやりすぎ?ただでさえ忙しいのに、俺が事務所を止めるともなればもっと忙しくなるかな。
でも何の偏見もない人に支えられて、なんとかなった状態に持ち込むまで生きていけるんだろう?
じゃあもっと忙しくしてやらなきゃね。
普通のくせに、金もあって、友情もあってうざったいから苦労をさせてやろうと思った。
「辞めてきたんすか?」
「うん。バラされるかも」
「書いていいっすか?」
「どうぞ」
少し考えた後、口を開く前に言われた。
「悪役に仕立て上げる訳じゃないですよ。ただ淡々と書きます」
「…守ってくれたことは嬉しかった。それは嘘じゃない。でもやり方が俺にとってフェアじゃなかっただけ。気に食わなかっただけ。守られてるのに、文句言うな、っていう票もあるんだろうな」
「そりゃあ、あるでしょうねえ。深三彦郎のところは行くんですか?」
「いや、電話で済ます。なんか顔見たら殴っちゃいそう」
慰めるための電話は何だったんだ。本当にそうとしか思えない。
俺も俺で気づけよ。中国人の日本語レベルがどんなものかは分からないが確実に訛りも薄かった。ミス・ハイマーのチャンネルで動画を見つけた。コメント欄に何か気づけた要素はないかを見つけにかかった。
「コメント、消してるみたいっすよー」
「え…?」
「ハオランが日本人だった、っていうのを探しているのかもしれないっすけどそれっぽいコメント次の日には消えちゃうんですよ。だからハオラン…深三彦郎か、ハイマーが消してるんでしょうねー」
「なぁんだ。俺、ずっと蚊帳の外だったんだ」
俺を交わらせる気なんかこれっぽちもなかったらしい。
俺は断罪のため、電話をかけた。でも社長?ミス・ハイマー?どっちでもいいけど。話しているのか通話中です、のままだった。都合よかった。これ以上、汚い言葉を吐いて口を汚すのは被害者に必要な努力の範疇を超えている。すべきではないことだ。
「どこ行きます?海とか、行きます?」
「家。動画、撮ります」
「見てていいですか?」
「辞めてください。記事、と発表のタイミング合わせたいんで」
「じゃあ家で書いてもいいですか?」
「それはどうぞ」
家に戻るまでの間無言だった。俺は喉を誰かに絞められている感覚でずっと辛かった。
生き残っているカメラはひとつもなかったからスマホをセッティングした。どれだけカメラの技術が進歩したとしてもスマホの手軽さに叶うことはない。スマホの方が画質いいなんてことはあり得ないが、電源を入れて、ボタン一つで自動で、なんでもかんでも調節してくれるから。
わざわざ買う、なんて手も考えた。義理を金でしか果たせない人間のようで嫌だった。だから家電量販店が目に入っても何も言うことなく通り過ぎた。
「じゃ、あっちの部屋使わせてもらいますんで」
「はい」
タツミ、という人はそれ以上何かを言うこともなくこの部屋を使え、と指示した部屋に引っ込んでいった。カメラのセッティングをしている俺の背中を数秒ほどは眺めたと思うが。
どうやら悪い人ではないようだ。今、優しくされたら誰でもいい人に見えるかもしれないけれど。きっとこの人こそが正解だ、と出会うその度に思うのが心の厄介なところだ。
この十年以上の間、実にいろいろなことがあった。突発的に辞めたことなんかはその最たる例だ。ファンミーティングのようなものをやってみたい気持ちもあったけれど、無理と割り切っていたし。割り切っていない、叶えたい。物理的にも敵えることが出来る夢はもう全て叶った。クリエイターズ・リワードはもはや殿堂入りを果たすほどだ。ランキングは探さなくても自分がいるし、動画を投稿すれば待ち望むわけでもなく高評価がやって来る。
炎上もしない。批判的な意見は嫉妬だけ。それで?って言ってしまえば相手はその先を言うことが出来ないような陳腐な言葉だけ。企画に困ることもなかった。
これは全部神様の影のおかげ?それとも単純に神様おかげなのか?
この地位は誰によって築き上げられたものなのだろうか。目を離されたら死んでしまうような幼少期を曲がりなりにも守ってもらえたから?それが今日まで繋がったから?でも今は、誰に見られていなくたって死なない。ご飯だって自分で作ることが出来るし、買いに行くだけの金も持っている。
そんな時間が大半だ。自分で生きていけるだけの力を持って生きる時間が人生の大半だ。子供はいつか終わるが、大人が終わる時は死ぬ時だけだ。大多数を大人として。自分の力で生きた。生き抜いて、生き残った。
じゃあ俺が作り上げたはずじゃないか。
俺が築き上げたことを疑う必要ないくらいに俺色に白なはずじゃないか。
どうして胸を張って生きてきてよかった、と言えないのだろう。
成し遂げたであろうことに褒めるための言葉が出てきてくれないのだろう。
まるでそういう言葉だけを忘れてしまったみたいだ。誰にもそういう言葉を教えてもらえなかったみたいだ。だからそういう類の言葉がないことが普通で、違和感を覚えることもなくって、だから大人になっても誰にもそれってどういう意味?なんて聞くこともなく。今日の今日まで、自分で自分を褒めるための語彙がないまま生きてきた。
そうだとしても、有終の美だろう。ここまで上り詰めて散るのならば、満開に咲くことが出来る人が限られている世界で、人生としては最上級のエンディングだろう。誰かからの承認はもらった。自分からの承認が足りない?
自分の人生を生きて来たからそこに違和感はないんだ。周りの人生を見て、おや?と思ったとしてそれはそれ、これはこれ。俺は俺、と思えていたから。だから足りない、なんてことはないはずだ。自分の人生をまるで卑下しているみたいじゃないか。
遅くはないから。決して、手遅れなんてことはないから。
「もうちょっと、粘ってよ」
縋っていたかった。縋ったせいで、痛かった。
今はスマホカメラのレックボタンを遠隔操作用のリモコンで押す三秒ほど前だ。天気がいいこんな日にろくな編集作業をすることもなく何なら素データそのものをこの世に投下するだろう。
誰かにとっては爆弾。誰かにとっては不発弾。その不発弾は展示されて祀り上げられる。俺が今まで作って来たものはただの爆弾だ。人を生み出すことは出来ない。人を殺すことしか出来ない。
神様はそうじゃない。
神は人を創り出すことが出来る。だから俺は神様の息吹が受けた人間じゃない。
人を殺す兵器を生み出すのはいつだって人間だ。
だから俺は人間だ。天才じゃない。
爆弾を生み出していただけの人間だ。
ーーー
終わり
ーーー
「神様の御影」あおいそこの
ーーー
神様の御影 あおいそこの @aoisokono13
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