治部少輔言行録 ~テンプーラと大巨人~

望月 暦

第1話 治部少輔言行録 ~テンプーラと大巨人~

「蟄居!?つまり城から出るなということか!?」

三成は叫んだ。


慶長三年、太閤秀吉が世を去り――翌年。

奉行・石田三成は武断派の諸将に襲われ、その調停に入った徳川家康から、一方的に蟄居を言い渡されていた。


「なにゆえ襲撃を受けた私だけが処分を……!」

胸の内にふつふつと怒りが沸き上がる。

(政権を狙う家康の策謀に違いない。今は父を亡くした幼い秀頼様をお支えせねばならぬ時だというのに――。断じて従えるものか。かくなる上は挙兵し、武力にて決着を……!)


そう決意した三成は、すぐさま盟友・大谷吉継を訪ねた。


「短気を起こすな。一旦ダメ元で徳川殿に奉行復帰を頼んでみてはどうか。大事なのは、秀頼様のもとに戻ることであろう?」


吉継の助言に、意外にも素直に応じる三成。

「……なるほど。聞いてみて駄目なら、挙兵すればよいか」


吉継は心の中で嘆息した。

(あの狸親父の家康から見れば、三成はいくさの素人にすぎぬ。勝てるはずがない。だがあの忠義心で暴走してしまうから厄介……結局、放っておけんのだよなあ)


「それに、秀頼様は……」

吉継は言いかけて言葉を飲み込んだ。


「秀頼様は?」

三成が怪訝な顔を向ける。


「いや、何でもない。それより――」

吉継は悪だくみをするような笑みを浮かべた。

「徳川殿は節制を心掛ける方なれど、旨き料理は食べすぎるという悪癖がある。特に南蛮の珍味には目がない。

そこを突け。南蛮のテンプーラなら、あまりの旨さにとまらなくなるはず。食べ過ぎて苦しむところをしながら頼み込むのだ」


「……かような策が通じるだろうか」


「通じる。わしがまだ壮健で、食欲も旺盛であったころ、テンプーラを食べ過ぎて三日三晩苦しんだことがある。それほどに旨き珍味よ。徳川殿が抗えるはずもない」


「おお、それはよき助言だ。恩に着るぞ」


馬に乗り帰路に就く三成の背を見送りながら、吉継はひとり呟く。

「まあ、あのことは……言わなくてもいいか……」



数日後、近江路によい塩鯛が入った。

三成はさっそくそれを南蛮料理のテンプーラに仕立て、吉継の言葉を思い出しながら献上の支度を整えた。

(……まことに、この策とやらが功を奏するのだろうか……)


「おお、これは見事な鯛のテンプーラ!南蛮の珍味は大好物じゃ!」


家康は箸を止めることなく、「うまいうまい」と次々に口へ運んでいく。


(……まさかとは思うが、吉継の申したとおりの展開に……?)


食べ進めるうちに、どんどん家康の顔色が悪くなっていった。


すかさず三成は身を乗り出した。

「徳川殿、大事はござりませぬか!」

「うう、よい、よいから座っておれ……」

「徳川殿、蟄居は取り消しということでも!」

「よい、よいから……」

「よいのでございますな!」

「よいからもう帰れ……吐く……」


三成は追い出されるように屋敷を出た。


(……まことに胸やけを……!吉継……さすが知略に長けた将よ……)


こうして、奇策“テンプーラ作戦”により、関ヶ原の合戦は未然に防がれたのであった。


***


これといった大きな戦も起こらぬまま、秀頼が豊臣家の二代目当主となり、十年が経った。


安土桃山Z世代の秀頼は、「合戦はタイパもコスパも悪い」と公言し、さらに「人に迷惑をかけないようにしよう」を信条とした。

とはいえ、今時の子らしく繊細な優しさもしっかり持ち合わせていた。


その統治により、日本全体が穏やかな雰囲気となり、江戸時代が始まる気配もないまま、泰平の世がゆるゆると続いていた。


三成はと言えば、今や奉行筆頭となり、豊臣政権の重鎮として日々政務に励んでいた。

ただ――ひとつだけ、三成にはどうにも気になって仕方がないことがあった。

しかも、その懸念は日に日に“大きく”なりつつある。


だが、口に出すことはできなかった。

なぜならそれは、秀頼にかかわる非常にセンシティブな問題であったからだ。



そんな折、豊臣家恒例の大茶湯が開催された。

かつて秀吉が庶民まで招いた大茶会をまねたものだが、今では有力大名と上層部の家臣だけが対象となっている。

それでも政権の威信を示す大事な行事だった。


広間にずらりと並び、頭を下げる諸将の前に、正装した秀頼が現れた。


昨年あつらえたばかりの直垂をまとっ――いや、まとおうとしたが、すでに入らなかったのか、新たに作り直したものに身を包んでいる。


奉行筆頭の席に坐した三成は深々と頭を下げ、声をかけた。

「秀頼様、ご立派に……ご成長……なされ、この石田治部少輔三成、歓喜に打ち震えております」


「うむ。豊臣家もいっそう“大きく”なり、ますます安泰じゃ」


にこやかな若殿の言葉に、三成は思わず顔を上げかけた。


(……“大きく”?いや、大きくなったのは、むしろご自身では!?)


思考が頭を駆け巡る。

(秀吉殿下は背丈が五尺に満たぬ小柄な御方であった。

対して、秀頼様は齢十八にして六尺五寸の大巨人。

城を歩けば鴨居をぶち抜き、薙刀を持てば脇差のよう。

気質とて温和で、あの殿下の人たらしの笑顔の裏に潜んでいた激情など微塵も見られぬ。

……どう考えても、おか……)


三成は我に返った。

(いかん、考えてはならぬ!)


現代の単位で言えば、秀吉はおよそ百五十センチ、秀頼は二メートル超え。

その差は誰の目にも明らかであった。


だが、直垂を仕立てた職人が「殿は御身丈が高うございますゆえ」と口を滑らせただけで、淀殿の鉄扇が飛んだという。


(“大きい”は禁句……!)


三成は胃の痛みをこらえ、ただ深く頭を下げ続けた。



数日後。

一人で思い悩むことに耐えきれなくなった三成は、佐和山の麓にある居館に吉継を招き、酒席を設けた。


吉継は長年病を患っているが、南蛮の薬が奇跡的に効いたのか、薬師の言うことを聞いて生活習慣に気を使っているためか、この頃は調子も上向きのようだ。


三成は思いつめたような表情で、いつになくハイペースで盃を呷っている。


「どうした、三成よ。やけに無口ではないか」


そう吉継が問いかけると、三成は意を決した様子で人払いし、声を潜めて話しはじめた。


「……吉継よ。今から申すことは他言無用に願う。……秀頼様だが……殿下の御子にしては……少々……少々……」


「少々……何だ?」

吉継が促すと、三成は絞り出すように続けた。


「少々……大きすぎはせぬか」


「んん~~~」


吉継は否定とも肯定とも、笑いとも呻きともつかぬ微妙な相槌を打ちながら、心中でこう呟いていた。


(やっと気づいた!?秀頼様はどう見ても秀吉公に似ておらぬし、世の衆はとうに“そういうこと”で得心しておるのに。

まったく、この男は主君のこととなると道理を見失う。もはや面白いわ)


「……もしかして……命を懸けてお守りしようとした方は……豊臣の血筋ではなかった……?」

三成は愕然としている。


「んんん~~~~」

(……ようやくそこに思い至ったか……そう……だから挙兵はやめろと言うた……)


「……」

「……」


「いや!秀頼様は秀頼様だ!いずれにしても殿下が定めた豊臣の後継者。この忠義心に変わりはない!」

三成は盃を掲げ、声を張った。

「この石田治部少輔三成、命を賭してお仕えいたす!」


「それでこそ治部少輔殿!」

吉継も盃を掲げ、応じる。

「この大谷刑部少輔吉継、全力でお助けいたす!」


障子を開け放った部屋から見える庭を、月の光が照らしている。


「そうだ……淀殿も、その御父母にあたる浅井長政、お市の方も背丈は高い。

その血を引けば、たとえ殿下が父御でも、あのように天を突かんばかりの大巨人がお生まれになることもあろう……

うむ、ある。……あるはず……である……よな?」


三成は空になった朱塗りの盃を見つめ、自らに言い聞かせるように呟いている。


吉継は吹き出しそうになるのをこらえ、銚子を手に取ると三成の盃に酒を注いだ。


「あるかもしれぬのう」

声に笑いがにじまないように気をつけながら、吉継は自分の盃にも酒を継ぎ足した。


(この忠義に厚い友の困惑顔を肴に飲むのは悪くない。

わしが道を間違うたなら、きっと同じ顔で正面におるのだろう。

病が許すなら、もっと長く見ていたいものよ)


そう思いながら、吉継は盃を重ねる。


こうして佐和山の夜は、何事もなく静かに更けていくのだった。


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