5月 屋根より低い鯉のぼり
5月の象徴という顔をしながらカレンダーの挿絵に居座っている鯉のぼりというものは、実のところ5月中旬もいかない5月10日には片付けられてしまうものだ。
というか、揚げられる期間に関しては4月のほうが長いのだから5月のカレンダーを飾るべきなのは、まあみどりの日ぐらいだろうか。
カレンダーの絵がみどりの日に倣って緑一色になったら、印刷業者はインク消費を気にして5月のページを年々小さくしていくだろう。
それにしてもみどりの日とはゴールデンウィークを死守するために代替的に新設された祝日なのだから、改めて考えればカレンダーを飾るによっぽど適任だ。
「いや、それはもはや現代アートですよ?カレンダーの挿絵が緑色一色だったら、間違えてピエト・モンドリアンのカレンダーを買ってしまったのかと勘違いしてしまいます。」
と、ありえないぐらい低い位置に飾り付けられた鯉のぼりは語る。
子鯉らしく小さく、鯉ですらない吹き流しよりも地味な鯉のぼりは、そう語る。
地面に着いてのぼりであるかすら怪しいヘタった鯉のぼりを見ながら、私は5月の暖かい日差しに鬱々とする。
いやしかし、ピエト・モンドリアンでもさすがに緑一色の正方形を置いただけの落書きをアートと言い張ることはしないだろう。幾何学というよりただの『形』だ。
「それだと、もしピエト・モンドリアンが屋根裏に四角形だけを書いた作品を投げ入れて隠していた場合にはあなたはやけに幾何学的な牢獄に入れられるでしょうね。」
ピエト・モンドリアンは自身のアートを牢屋のデザインに使うほど猟奇的な人ではない気がする。
私は見上げて首が痛くなるほど高く揚げられた鯉のぼりを見ながらそう思う。
屋根より高い鯉のぼりとよく歌うが、実際そんな立派な鯉のぼりを上げられる家はそもそも揚げる必要もないぐらい子供の成長を支えられる家庭なはずだ。
「わたしもああ在りたいですが、なにせ優れた人間ではなかったですからね。」
そう屋根より低い鯉のぼりは屋根より高い鯉のぼりを見上げながら語る。
というか、自分で動けないのだから『常に』見上げているようなものだろうか。
「では、その心は?」
「あなたのような論理的な人間にとってわかる話ではないでしょうが、私は常に成果を上げてはランキングを見ていました。」
「ランキングを上げたら毎度報酬がもらえるのはゲームでもなかなかない話だが。」
「実際、ランキングを確認したところで追加の成果がもらえるなんてことはないのですが、私は私が『いまどこにいて、どれぐらい上にいるか』を知っておかないと、何かを見失うような気がしたんです。」
湿気りが少なく、暖かい風がだだっ広い水田を駆け抜ける。
下旬にもなれば植えられた苗が揺られ、風の通り道がよく見えるのだろうが、今は耕す頃合いだ。
遠くの方にある気の早い水田の、植えたての苗が小さく揺れるのみだった。
「今思えばずいぶんとくだらないものでした。いくら努力しても、いくら頑張っても、上にも下にも人がいる。上には追い抜かせるか不安になるような人、下にはいまにも追いついてきそうな人。私は誰も見ないようなランキング票を、細かに気にし、私は未だこんな低い場所にいるのかと劣等感を感じ続け、落胆していました。」
日本人はランキングが好きだと聞いたが、あれは統計学の魔法だったのだろうか?
「『下に落ちた、上の立派な鯉のぼりを見上げることしかできない鯉のぼり』というこの姿は、大泣きしながら笑いたくなるほど痛烈な皮肉ですね。」
なんなら、『軽い風に流されるほど流されやすく、中身のない』というもはや京都人もドン引くほどの皮肉もついているのかもしれない。
上の鯉のぼりが、5月の薫風に立てられて大きくたなびく。
黙ってしまった屋根より低い鯉のぼりはそれに振り回されてのたうち回るようにしていた。
比較でしか生きられない人間は、自分が地面についていることにさえ気づかず、振り回され続けるのだろう。
私は撫でるような初夏の風に頬を擦られながらそう思った。
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死季の一年 ―助けない私と、死んでるやつの物語 つきみなも @nekodaruma0218
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