ネオンの海にコーヒーは香る

マスドジョー

ネオンの海にコーヒーは香る

 マカフシティのとある場所。カランと扉の鈴が鳴り、一人の少女がカフェへと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた声が、カウンターの奥から響く。

 声の主・レクラは、柔らかく微笑んでいた。


「あ、あのっ!」

「大丈夫、落ち着いて。さ、お席へどうぞ」


 何やら落ち着かないような、焦っているような様子の少女をレクラはカウンター席へと誘う。疲れているのか足取りもややふらついていた少女であったが、席につくと少しだけ落ち着きを取り戻したらしく小さなため息をついた。


「ようこそ、カフェ・リトルポピーへ」


 レクラはにっこりと微笑んだ。


「あの、お姉さん、わたしが見えるんですか⁉」

「え?」


 微笑みに対する少女の返事が意外なものだったのでレクラは少し驚いた。


「そりゃあ見えるけど……何かあったの?」

「じ、実はわたし、幽霊になっちゃったみたいなんです!」

「幽霊?」

「なんだか気が付いたらよくわからない所を歩いているし、誰かに話しかけても反応してくれないし~!」

「ちょっと、落ち着きなさいな」


 レクラは苦笑しつつ、慣れた手つきでコーヒーを淹れ始めた。

 ここリトルポピーには“訳あり”の客が訪れることが少なくない。そのときの対処法はいつだってひとつだ。


「はいどうぞ」


 ここはカフェ、ならばコーヒーが出て当たり前。レクラは少女の目の前にそっと一杯のコーヒーを差し出す。


「えっと、わたしお金持ってなくて……」

「心配しないで、初来店のサービスよ」


 穏やかに語りかけるレクラの言葉に少女はカップを覗き込んだ。

 香ばしいコーヒーの匂いが鼻を突き抜け脳を直接刺激する。そっとひとくち味わうと、苦味の中にほんのり果実のような酸味を感じ、不思議と心が穏やかになっていった。


「苦い……けど、落ち着きます」

「でしょ? それはうちのオリジナルブレンド、【輝ける呼び声】って言うのよ」


 二口、三口と飲み進めてはホッとした表情を見せる少女。その様子を見てレクラもまた嬉しそうに微笑んだ。


「さて、幽霊のお嬢さん。私はレクラ、ここカフェ・リトルポピーのオーナーよ。あなたのお名前は?」

「あ、わたしは……イザベル、です……けど」

「けど?」

「実は、名前以外の記憶がぼんやりしてて……、はっきり思い出せないんです」


 イザベルが言うには、普段通りに過ごしていたはずが気が付くと見知らぬ場所に迷い込んでいて、パニックのせいか記憶まではっきりしなくなり途方に暮れていた。そんな時、この店の扉に気が付いて思わず入ってしまったのだとか。


「帰り道もわからないし、わたしどうしたら……」


 泣き出しそうなイザベルの前に、スッと一皿のチェリーパイが置かれた。


「大丈夫、私が何とかしてあげるわ。ついでにそれもどうぞ、そっちの調整はあまり上手じゃないから美味しいかどうか保証できないけど」


 促されるままにイザベルはチェリーパイを口に運ぶ。


「……おいしい、です」

「そう、良かった。いや~、料理はできる方なんだけどね。お菓子となるとなかなか難しくてさ」

「あはは、そうなんですね」

「おっ、やっと笑ってくれたね」


 はにかむイザベル。

 と、その時。リトルポピーに招かれざる客が訪れた。


「おい、酒くれ酒!」


 スーツ姿の男が入って来るや否や大声で騒ぐ。

 レクラは少しだけ驚いた表情を見せたが、その態度はすぐに毅然としたものになった。


「あれ、閉め忘れてたか。悪いけどうちはお酒は出してないの。それに今日は貸し切りよ、さっさと出て行って!」

「なぁにい⁉」


 レクラの言葉に男は声を荒げ、怒りの形相へと変わる。更にはどこに隠し持っていたのかミニガンをレクラに向け突きつけた。


「俺をバカにするんじゃねえ!」


 焦点の定まらない目のまま、男がミニガンのトリガーを引いた。

 砲身が勢いよく回転を始め、そして……その勢いはどんどん弱くなり、弾の一発も放たないままに動きを止めてしまう。


「……ありゃ?」


 男が不思議そうにミニガンを見た瞬間、ドンという破裂音が響きミニガンが大破。その衝撃で男はその場に尻餅をついた。


「まったく、禁煙だってのに使わせないでよね」


 レクラがまだ硝煙の立ち昇る大型拳銃を構えながらそう言った。


「さて、あなたは出禁が確定だけどどうする? このまま塵にされたいかしら?」

「ひっ⁉ い、いえ帰ります! すいませんでしたぁ!」


 銃弾は威嚇に過ぎなかったが、レクラの視線に撃ち抜かれた男は転げるように逃げて行った。


「イザベル、もう出てきていいよ」


 うって変わって優しいトーンの声でイザベルを呼ぶと、隠れていたカウンターの下からゆっくりとイザベルが這い出して来た。恐怖と驚きでまだ目を丸くしているようだ。


「……お、お姉さんって何者なんですか?」

「私? そうねえ、ある時は詐欺師、ある時は大泥棒、そしてその正体は……」

「し、正体は?」

「やっぱりただのカフェオーナー、なんてね」

「……は、はあ」

「あれ、ウケなかった……?」


 レクラはちょっと残念そうだ。


「オホン。ねえイザベル、あなたの事を話してくれない?」

「え? でもわたし、記憶が……」

「話せる事だけでいいからさ。お話ししていれば思い出してくるかもよ?」

「そ、そう……ですね」


 それから二人は他愛のない会話に興じた。イザベルが詰まればレクラがあれこれと話を聞かせてやり、そしてまたイザベルが話をする。イザベルの記憶はあまり戻りはしなかったが、いつしか二人は楽しく笑い合っていた。


「ふぁ……」


 ふと、イザベルがあくびをした。


「あら、眠くなっちゃった?」

「あ、すいません、つい」

「いいのよ。今日は疲れたでしょう、ちょっとお眠りなさいな」

「そうですか……? じゃあちょっとだけ……おやすみ……なさい」

「ふふ、今日はもう閉店ね」


 レクラがまた優しく微笑んだ。


*****


 ――次の日。

 マカフシティの一角にあるカフェ・リトルポピーに一人の女が訪れた。恵まれた体躯に鋭い眼光を備えた彼女の名はシルヴァ。この街のギャングのひとつ、【シルバーリリィ】を束ねる女ボスだ。


「いらっしゃ……なんだシルヴァか。お店の方には来ないでって言ってるでしょ」


 シルヴァの来訪にレクラは少し迷惑そうだった。


「なんでだよ、ちゃんと客だぞ」

「あなたはギャングなんだから、他のお客さんが怖がっちゃうじゃないの」

「他の客? ジイさん連中ばかりじゃないか。マカフシティの古株はギャングなんか怖がらないだろ」


 シルヴァの言葉に「そうだそうだー」と歓声が上がる。常連の老人たちはノリが良いのはいいけれども、時にはレクラにとって頭痛の種だ。


「まったくもう……。それで、本当にただお客として来たわけじゃないでしょう?」

「お前、昨夜は帰らなかっただろ」

「大人なんだから、一日帰らなかったくらいで何よ」

「……まだアレやってるのか」

「……」


 レクラは作業の手を止めないまま押し黙った。シルヴァを見返す目は真剣そのものだ。


「今夜、決行するわ」

「決行って、まさかお前……」

「盗み出すの、当然でしょ」

「それでどうなるって言うんだ? 意味なんか無いだろ」

「それでもよ。もう帰って、協力してくれるのならともかくね」

「……まったく」


 立ち去るシルヴァの背中を、レクラはただ静かに見つめていた。


*****


「レクラさん!」


 リトルポピーに明るい声が響く。今日もイザベルがやって来た。


「いらっしゃいイザベル。今日は調子が良さそうね」

「えへへ、レクラさんとこのお店のおかげです。どういうわけか、どれだけおかしな場所に迷い込んでもこのお店にだけはちゃんと辿り着けるんですよ」

「ふふ、そういう場所なのよ、カフェ・リトルポピーはね」


 カウンター席に座るイザベルの前にスッとコーヒーが差し出された。


「これ、確か【輝ける呼び声】でしたっけ」

「おっ、もう覚えてくれたのね」

「もちろんです! ああ、いい香りだなあ。この香りを感じていると生きてるって気がするんです」

「嬉しい事言ってくれるじゃないの、こいつぅ。それじゃあお姉さんサービスしちゃおうかな」


 そう言うとレクラはケーキを取り出した。雪のように真っ白いショートケーキだ。


「わあ、いただきま~す」


 楽しそうにケーキを口に運ぶイザベル。


「お味はいかが?」

「……ちょっと、酸っぱいです」

「えっ⁉ うそ、やだ、失敗しちゃった? ごめーん!」

「あはは……。でも、これはこれでフルーツケーキっぽくて美味しいですよ」

「痛んではいないから……。うう、フォローありがとう」


 あからさまに落ち込んでみせるレクラの姿を見てイザベルはケラケラと笑った。この間の不安そうな表情から一転した、年相応の明るい笑顔だった。


「あれから記憶はどう? 少しは何か思い出せた?」

「いいえ、相変わらずです。むしろ、酷くなっているような気もします……」

「そう……。それじゃ、またお話ししましょうか」

「はいっ!」


 短い時間ではあったが、イザベルにとってレクラと話すこの時間はかけがえのないものになっていた。どれだけ不安な目に遭おうとも、この店で、この人と話しているとすべてうまくいく気がする。そんな想いを抱いていた。


「ふぁ……」


 イザベルがあくびをした。楽しい時間の終わりを告げるかのように。


「あら、眠くなったのね」

「……ねえ、レクラさん」

「なに?」

「もしこのまま記憶が戻らなかったら、ここに置いてもらえませんか?」

「あら、いいわねそれ。看板娘が増えちゃうわね」

「えへへ……。そうしたら、わたしにもあのコーヒーの淹れ方、教えてくださいね」

「もちろん、嫌だって言っても教えちゃうから」

「約束ですよ……。ふぁ……、ちょっと限界……おやすみ……なさい……」

「……おやすみ」


*****


「終わったのか?」


 雨の降りしきるマカフシティの路地裏で、うずくまるレクラにシルヴァが声をかけた。

 その声に答えるかのようにレクラは頭を上げる。目からは雨に溶けた大粒の涙が流れ、その手の中には小さな箱がしっかりと抱きかかえられていた。

 箱に刻まれているのは【ネビュラ電脳保管サービス】の文字。

 これは、この街を牛耳る大企業のひとつネビュラ・インダストリー社が提供している、事故などで肉体が機能不全に陥った人を対象に脳を電子化し保存するサービスの名だった。

 富裕層向けの高額料金プランでは手厚い管理のもとVRによって思い通りに第二の人生を歩む事も、専用のアンドロイドに電脳を移植し現実に戻る事も可能である。しかし、庶民向けの低料金プランでは杜撰な管理のまま放置され、非人間的な扱いを受けている者も少なくなかった。


「ダメだった……。もう各所にバグが発生してどうしようもなかった」

「死んだのか」


 レクラは静かに頷いた。

 元軍人のレクラは戦場で非人間的な扱いを受ける者たちを多く見てきた。退役しカフェのオーナーとなった後、ネビュラ社によりそんな扱いを受けている人々の事を知った彼女は軍時代に入れた脳内インプラントと天才的なハッキング能力を活かし、仮想空間にもカフェ・リトルポピーを開いていた。粗末なVR空間に閉じ込められた人々に、少しでも人間らしい体験を提供するために。

 そして今、レクラは偶然出会った少女・イザベルの電脳を抱きかかえている。それは危険を冒しネビュラ社から盗み出したものだった。


「それを盗み出しても意味はなかっただろう」

「……いいえ、意味ならあるわ。あそこで死ねば廃棄物として処理されるだけ、せめてお墓に入れてあげることくらいはできる」


 レクラは立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。

 共同墓所に向かうその足取りをシルヴァに見送られながら。


*****


 ――翌朝。

 ベッドから体を起こしたシルヴァの鼻をコーヒーの香りがくすぐる。


「おはよう」


 先に起きていたレクラが言った。


「なんだ、もう起きてたのか。……無理するな」

「大丈夫よ、平気」


 そうは言ってもあんな事があった翌日だ、無理しているのは明らかだろう。

 ふと、シルヴァはいつものコーヒーとは違う事に気が付いた。


「これ、店で使ってるやつじゃないのか」

「そうよ。【輝ける呼び声】、素敵な名前でしょ」

「私が飲んでいいのか?」

「特別にね」


 そのコーヒーの名前には、迷える人々をこの世界に呼び戻したいというレクラの想いが込められている。しかしそれは非常に難しい事。ニセモノのカフェを提供する事が精一杯な現実に、レクラは自分を詐欺師だとさえ感じていた。


「軍にいた頃から優しすぎるんだ。……良くやっているよ、お前は」

「ありがとうシルヴァ。警備の気を引いてくれてたんでしょう?」

「さて、どうだったかな。それより、そろそろお前もシルバーリリィに入らないか? 私たちは同じ方を向いている事だし、この間一人抜けたんで歓迎するぞ」

「ダメよ、ギャングなんて誰も幸せにしないわ。私はあくまでカフェオーナーなの」

「一緒に暮らしてて今さらかよ」

「それとこれとは話が別」


 たとえ詐欺師であろうとも、レクラはこれからもカフェを開き続ける。現実でも仮想空間でも、彼女の提供するコーヒーで癒される者がいる限り。


「あの子にも、本物の香りを感じさせてあげたかったな……」


 コーヒーの中に、エプロン姿のイザベルが笑った。

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