第6話

「フン、余計な真似を。――だが、感謝はしておいてやるぞ、老爺!」


元・魔王ルシアの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

黄金色の神威を放つトツカ様がこじ開けた活路。彼女がそれを見逃すはずがなかった。


掲げられたルシアの右手に、凝縮されていく紫色の魔炎が渦を巻く。それは単なる破壊の力ではない。万物を支配下に置く、王の威光そのものだった。


『オ……オオオオオオオッ!』


悪霊――元時計屋の店主が最後の抵抗とばかりに、周囲のガラクタを念動力で巻き上げ、嵐のように叩きつけてくる。

だが、そのすべてがトツカ様の杖が張った黄金の結界に阻まれ、カキン、と乾いた音を立てて落ちていく。


「さあ、観念しろ、亡者。貴様の歪んだ『時間』は、この私が終わらせてやる」

ルシアは静かに告げると、その魔炎を放った。


「――『支配者の烙印ドミニオン・フレア』!」


それは暴力的な爆発ではなかった。

紫色の炎は、まるで慈しむかのように悪霊を優しく包み込み、その怨嗟の核へと染み込んでいく。


『ア……アア……』


苦しみの声ではない。どこか安堵したような、解放されたような声だった。

悪霊の黒い靄が晴れていき、その中心に生前の姿であろう、猫背の老人の魂が浮かび上がる。


『……ああ、そうだ。ワシはただ、この街の時を、刻んでいただけだった……。みんなの笑顔と一緒に……』


老人の魂は、満足そうに微笑むと、光の粒となって静かに消えていった。

後に残ったのは、嘘のように澄み渡った空気と、商店街に差し込む柔らかな西日だけだった。


シーン、と静まり返ったアーケードで、最初に動いたのはトツカ様だった。

ふぅ、と一息つくと、神々しい光は消え、元の腰の曲がった好々爺に戻っていた。


「見事なもんじゃな、嬢ちゃん。ワシの『浄化』とは違う、力強い『鎮魂』じゃった」

「フン。貴様の助けがなくとも、塵一つ残さず消し飛ばしてやったものを」


ぶっきらぼうに返すルシアさんだったが、その横顔はどこか誇らしげに見えた。

俺は、まだ足が少し震えているのを自覚しながら、二人の元へ駆け寄った。


「ルシア様、トツカ様……ありがとうございました!」

「勘違いするな、小僧。貴様のためではない。私の輝かしい職務経歴のためだ」

「ワシは謝礼金のためじゃよ」


二人してそっぽを向く。……この人たち、素直じゃないな。

俺が苦笑していると、後ろから「あ、あのう……」と恐るおそる声がした。

豆腐屋のおばあさんだ。その手には、湯気の立つ揚げ出し豆腐のパックが握られていた。


「助けていただいて、本当にありがとうございました。なんだか、悪い夢から覚めたみたいだよ。これ、お礼と言ってはなんですが……」


その言葉がきっかけだった。

時計屋の騒ぎを遠巻きに見ていた商店街の人々が、次々と集まってきたのだ。

八百屋のおじさんが「ウチのトマトも持っていきな!」と叫び、魚屋の大将が「今日のイワシは最高だぜ!」と笑う。


彼らの視線は、畏敬の念と共にトツカ様に注がれていた。

「じいさん、あんた、もしかしてこの土地の……」

「いやはや、ワシはただの隠居ジジイじゃよ」


トツカ様はそう言って笑うが、その体には人々からの感謝と信仰が、キラキラとした光の粒子となって集まっているのが見えた。これが、彼の力になるのだろう。


そして人々は、もう一人、ルシアさんを恐々と見つめる。

絶世の美貌と、先ほどの圧倒的な力。彼女を前にして、誰もが言葉を失っていた。

すると、ルシアさんは八百屋のおじさんからトマトを一つ受け取ると、カプリと一口かじった。


「……ふむ。魔界の『血トマト』には及ばんが、悪くない」


その人間らしい(?)仕草に、皆の緊張がふっと解けた。

こうして、商店街には少しずつ、かつての活気が戻り始めたのだった。


「――以上をもちまして、『きらきらぼし商店街における原因不明の客足減少に関する調査』の完了報告とします」


特別生活支援課の薄暗いオフィスで、俺は自作の報告書を読み終えた。

机の上には、商店街の皆さんから頂いた差し入れが山と積まれている。


ルシアさんは満足げに、自分の履歴書の『職務経歴』の欄に、新たな一行を書き加えていた。

【プロジェクト実績:ゴーストタウン化した商店街のV字回復を主導(期間:半日)】

……だいぶ盛ってるけど、まあいいか。


トツカ様は、お礼にもらったお饅頭を幸せそうに頬張りながら、お茶をすすっている。


俺たちの報告を聞き終えた日野さんが、パチパチと拍手をした。

「お疲れ様、新人くん。初仕事にしては上出来じゃない。神様と魔王様を仲介して、問題を解決するなんて、歴代の担当者でもいなかったわよ」

「いえ、俺はただ、おろおろしてただけで……」


謙遜する俺に、日野さんは意味深な笑みを向ける。

「それがあなたの才能なのよ、きっとね」


その時だった。オフィスの古びた黒電話が、ジリリリリン!とけたたましく鳴り響いた。

日野さんが「はーい」と気の抜けた声で受話器を取る。


「はい、こちら特別生活支援課です。……ええ。……ええ。……はい?」


日野さんの表情が、初めて「マジか」という顔になった。


「幽霊船が、東京湾に不法停泊? しかも、船長のフライング・ダッチマンが『納税の義務について相談したい』……?」


受話器を置いた日野さんは、キラキラした笑顔で俺を見た。


「如月くん、次の出張先が決まったわよ!」


俺の、平穏な公務員生活を返してほしい。

心の叫びは、商店街でもらった饅頭と一緒に、無理やり飲み込むしかなかった。

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【急募】神様、魔王様、お困りですか?~市役所の『人外相談窓口』に配属された俺、規格外の美女たちのトラブル解決に奔走することになりました~ Ruka @Rukaruka9194

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