第5話
「では、作戦開始です!」
俺、如月祐樹の宣言を合図に、きらきらぼし商店街再生プロジェクトが動き始めた。左右には元・魔王と日本の神様。字面だけなら、控えめに言って世界を救えそうな布陣だ。
「まず、トツカ様。お願いします」
「うむ、任されよ」
トツカ様は深く頷くと、杖を片手にゆっくり歩き出した。派手な光を放ったり祝詞を唱えたりするわけではない。ただ一軒一軒、シャッターの下りた店の前で立ち止まり、静かに目を閉じるだけだ。
「……そうか、あんたはこないだまで、威勢のいい魚屋だったのう」
「……お主のところのコロッケは、絶品じゃった」
まるで、そこにまだいるはずのない店主たちに語りかけるように、優しい言葉を紡いでいく。神の権能というよりは、長年この土地を見守ってきた隣人としての、慈しみに満ちた対話だ。不思議なことに、トツカ様が通り過ぎた場所から、淀んでいた空気が少しずつ、ほんの少しずつ澄んでいくのが分かった。
一方、その背後で、もう一人の専門家が腕を組んで待機していた。
「……チッ、まだるっこしいやり方だ。このまま魔力で一帯を吹き飛ばせば、悪霊もろとも浄化できるものを」
「ダメです! 商店街まで吹き飛んだら元も子もありません!」
物騒なことを言うルシアさんを俺が必死で宥めていると、彼女の紫の瞳がふと空の一点を鋭く捉えた。
「……来たか、ハエどもめ」
俺の目には何も見えない。だが、ルシアさんには見えているらしい。土地の念が少し晴れたことで、居心地が悪くなった悪霊たちが姿を現し始めたのだ。
「ルシア様、お願いします! くれぐれも、穏便に!」
「分かっている。――『影よ、喰らえ』」
ルシアさんがボソリと呟くと、彼女の足元の影がまるで生き物のように蠢いた。俺の視界の端で、何かが黒い影にシュッと引きずり込まれるのが見えた。悲鳴すら聞こえない、あまりにも静かで効率的な駆除だった。
豆腐屋のおばあさんが店先から「あら?」と顔を出す。
「なんだか、急に肩が軽くなったような……?」
効果はてきめんだ。神が土地を癒し、魔王が害虫を駆除する。このコンビ、意外といけるかもしれない。
作戦は順調に進むかに思えた。商店街の半分ほどまで進んだその時だった。
「……む?」
「……ん?」
トツカ様とルシアさんが同時に足を止めた。二人の視線は、アーケードの最も奥、ひときわ古びた一軒の時計屋に向けられている。
「なんだ、あそこだけ……淀みが尋常ではないぞ」
「うむ。あれは……絶望じゃな。他の店とは比べ物にならんほどの、深い深い絶望が渦巻いておる」
そこが、商店街の負のエネルギーの発生源。悪霊たちの巣だ。
俺たちは顔を見合わせ、静かに頷くと、その時計屋へと歩を進めた。店の前に来ると、今までとは比較にならないほどの冷気が肌を刺した。
「どうやら、
ルシアさんが店のガラス戸を睨む。その瞬間、中からギィィ、と錆びついた蝶番のような音が響いた。
現れたのは、半透明の黒い靄のような人影だった。他の悪霊とは格が違う。明確な敵意と怨嗟を放っている。
『カ……エ……セ……オレ……ノ……ジカン……ヲ……』
「どうやら、この店の元店主のようだな。時計屋だけに、『時間』に強い執着を残しているらしい」
ルシアさんの冷静な分析に、俺は感心するどころではなかった。
「ルシア様! お願いします!」
「任せろ。我が魔炎の糧となるがいい!」
ルシアさんが右手を掲げ、紫色の炎をその手に宿す。だが、悪霊がそれより早く動いた。黒い靄が触手のように伸び、近くにあった古びた郵便ポストを軽々と持ち上げる!
「まずい!」
悪霊は、それを俺たち――いや、俺の真後ろにいた豆腐屋のおばあさん目掛けて投げつけようとしていた!
「小僧!」
「嬢ちゃん!」
二人の声が響く。だが、もう間に合わない。俺はとっさに、おばあさんの前に飛び出していた。
安定志向の俺が、なぜだ。自分でも分からなかった。ただ、困っている人を目の前で見捨てることだけはできなかった。
衝撃に備え、固く目を瞑る。――しかし、予想していた衝撃は、いつまで経ってもやってこなかった。
おそるおそる目を開けると、信じられない光景が広がっていた。俺の目の前で、郵便ポストがピタリと静止している。それを止めているのは、一本の節くれだった杖だ。
「……な、ぜ……?」
悪霊が、困惑の声を漏らす。杖の主――トツカ様は、曲がっていた腰をすっくと伸ばし、静かに言った。
「ワシはな、人々の『時間』を見守るのが仕事での。積み重ねてきた思い出も、これから紡がれる未来も、等しく尊い。それを貴様のような成り損ないに穢されてたまるものか」
その瞬間、トツカ様の体から黄金色の神々しい光が溢れ出した。それは、先ほどまでの枯れた老人の姿からは想像もつかないほどの、圧倒的な神威だった。
「さて、嬢ちゃん。主役は譲ってやったぞ。トドメはお主の役目じゃろう?」
トツカ様が、背後のルシアさんに向かってにやりと笑う。
ルシアさんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに不敵な笑みを返し、紫色の魔炎をさらに大きく燃え上がらせた。
「フン、余計な真似を。――だが、感謝はしておいてやるぞ、老爺!」
神が道を切り開き、魔王が敵を滅する。俺は、伝説が生まれる瞬間を呆然と見つめることしかできなかった。
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