SCENE#140 やぶれかぶれ、今はじまる!
魚住 陸
やぶれかぶれ、今はじまる!
第1章:奈落の底と、覚悟の決意(やぶれかぶれ、始まる)
長年、「中堅よりやや下」の地味な商社で「無難」をモットーに生きてきた佐々木太郎(35)ある日、社長の趣味である盆栽に水をやるのを忘れたという、信じられないほど理不尽な理由で会社をクビになってしまった。その夜、意を決して婚約指輪(給料3ヶ月分、といいたいところだが、安売りで買ったワゴンセール品)を持って向かった彼女の家。
しかし、彼女は開口一番、「太郎の顔を見ていると、明日も無難に過ぎる気がしてゾッとするの…」と告げ、別れを切り出した。太郎の人生から「安定」という二文字が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。
自室に戻った太郎は、茫然自失のまま床に大の字になった。天井の染みが、まるで自分を嘲笑うかのような顔に見える。「クビ…失恋…そして盆栽の水やり…」とブツブツ呟きながら、彼は突如として雄叫びを上げたのだった。
「えぇ~い!もう、どうにでもなれ!」
この絶望から生まれたのは、究極の「やけくそ」、すなわち「やぶれかぶれ計画」だった。彼は財布の中の全財産、かき集めてもたった10万3,450円という情けない貯金を握りしめた。ルールは一つだ。この金を使い切るまで、「人生で絶対にやらない」と決めていた、バカげたことだけをして過ごす。そして、使い切ったら潔くこの世からドロンする、という恐ろしいほど投げやりな決意だった。彼の「どうにでもなれ!」の旅が、今、始まる。
第2章:謎のバイトと、まさかのコスチューム
「やぶれかぶれ計画」初日。太郎は、まず人生初の金髪に染めようと美容院を探したが、勇気が出ず断念した。次に、カツ丼を食い逃げしようと決意したが、店主の顔が優しすぎて断念した。結局、ただの浮浪者のような顔つきで街を彷徨っていた。そんな時、彼は、まるで彼の心情を写し取ったかのような奇妙な張り紙を見つけた。
「急募:やる気なし!変身願望なし!むしろ絶望大歓迎!日払い即金!職種:ザコ戦闘員!」
給料が日払い、というやぶれかぶれな理由だけで、太郎はビルの地下に続く階段を降りた。そこは「ヒーロー&ヴィラン専門のコンセプトカフェ『アジト』」だった。店長の鈴木花子(28)は、黒いロングコートを着こなし、まるで悪の幹部のようなオーラを放っている。花子は太郎を無言で見つめ、一言。
「あなたのその『すべてを諦めた瞳の濁り』、最高です。採用!!」
太郎は抵抗する気力もなく、渡された制服に着替えた。それは、光沢のある黒の全身タイツに、目の部分だけ開いた覆面マスク、そして胸に「D」と書かれたマークがついた、正真正銘の「ザコ戦闘員D(ドジ)」のコスチュームだった。花子店長は言う。
「Dは『ドジ』。あなたの担当は、ヒーローに見せ場を与えるための、情けない負け役です。サービス精神なんて一切いりません。その絶望感をそのまま出してください!」
「どうにでもなれ…」と、太郎は心の中でつぶやきながら、人生初の全身タイツでウェイトレスとして働き始めた。
第3章:サービス精神の暴走と、想定外のカリスマ性
「アジト」カフェの営業が始まると、太郎の「やぶれかぶれ」な態度は、むしろ店の新たな名物となった。来店する「ヒーロー」役の客が、お約束の「ヒーローキック!!」を放つと、太郎は一切の防御を放棄し、本当に魂が抜けたように倒れるのだ。コーヒーを運ぶ際も、「どうせこぼすだろう…」という自暴自棄な予感のまま運び、案の定、テーブルで派手に転倒。しかし、花子店長は怒らない。
「それよ!それ!その『無責任な敗北感』!」
花子店長は、太郎の転倒シーンを動画に撮り、「今日のザコ戦闘員Dのプロの自暴自棄」としてSNSにアップ。これが「究極のリアル・ザコ」として大バズり。「人生に疲れた人が、真のザコ役を演じている」という深読みまでされ、太郎の悲壮な顔(マスクで隠れているが、全身から滲み出ている…)は、連日大盛況の要因となった。太郎自身は、ひっくり返されても、皿を割っても、「どうにでもなれよ…」と心の中でつぶやき続けるだけ。しかし、客からの拍手と、日払いでもらう給料の重みが、彼の「やぶれかぶれ計画」を、皮肉にも遠ざけていくのだった。
第4章:元上司の来店と、新たな「ヴィラン」任務
太郎がザコ戦闘員Dとして働くようになって一週間が過ぎた。カフェの片隅で、彼は見慣れた人物の姿を発見した。それは、彼をクビにした元上司、田中五郎(45)だった。田中は取引先の社長を接待するため、流行りの「アジト」カフェに来店していたのだ。
「まさか…」
太郎は元上司に顔を見られるわけにはいかないと、普段以上にザコ戦闘員になりきることを決意した。田中のテーブル担当になってしまった太郎は、皿を運ぶ際にわざと足をもつれさせて、皿と自分の頭を同時に床に叩きつけ、その上で微動だにしない「死んだふり!」を披露。田中は「なんて不憫なバイトだ…若者よ、大志を抱け…」と深く同情し、太郎にチップとして1,000円札をそっと渡した。
その夜、田中は花子店長に呼ばれた。花子店長は、チップを渡されたこと、そして田中が太郎を憐れんだことを事のほか評価し、太郎に新しい、よりやぶれかぶれな任務を与えた。
「佐々木さん。あなたは『敗北』のプロになったわ。次なるステップは『悲哀のヴィラン(悪役)』です。明日から、そのタイツのまま、街に出て『街の平和を乱す、究極の負け犬』としてビラを配ってちょうだい!」太郎は「本当にどうにでもなれよ…」と、二つ返事で快諾した。
第5章:街を騒がす「やぶれかぶれヴィラン」の誕生
太郎は、花子店長から渡された「ヴィラン用」のビラを握りしめ、ザコ戦闘員Dのタイツのまま、人通りの多い駅前で配り始めた。ビラの内容は、太郎の心の叫びそのものだった。
「人生なんてクソだ!」「どうせ全部無駄だよ!」「夢を追うとか、そんなのもうやめろ!」「真の敗北者たち、ここへ集え!」
このネガティブすぎるビラ配りが、人々の間で衝撃的な反響を呼んだ。他のコスプレをしたビラ配りの人々は笑顔で元気よく配っているのに、太郎だけは、マスクの下で「本当に人生はクソだぜ…」と心底思いながら、魂が抜けたような無気力な動作でビラを差し出す。その姿は「現代の虚無と絶望を体現したアート」として、またたく間にSNSで大炎上…いや、大バズりしたのだ。
『やぶれかぶれヴィラン』として、テレビのワイドショーが取材に来る事態に発展。「現代社会の歪みが産んだ、絶望のアイコン!!」だと、コメンテーターたちが勝手に熱く語り始めた。太郎は取材カメラの前でも、一言も発さず、ただ虚無の目で立っているだけ。この「無言の抗議」がさらに評価を高めてしまい、「やぶれかぶれヴィラン」は、あっという間に街の新しい名物となってしまった。
第6章:10万円の使い道と、失われたプライドの行方
「やぶれかぶれ計画」開始から約一ヶ月。太郎は愕然とする。使い切るつもりだった10万3,450円は、日払いの高額な報酬と、チップ、そしてSNSでの収益(花子店長の計らい)によって、逆に50万円近くに増えていたのだ。しかも、街で「ヴィランだ!」と声をかけられると、なぜか少し嬉しい。自分の「やぶれかぶれ」が、誰かに「面白い!」と評価され、結果的に人に求められているという状況に、太郎は強い戸惑いと、生まれて初めての充実感を感じ始めていた。
そんな太郎の前に、花束を持った田中元上司が現れた。田中は、太郎がヴィランだと気づいていないが、「ザコ戦闘員Dの彼にそっくりだ!」と確信している。「佐々木君!君の自暴自棄、見事だ!その、なんというか、プロの虚無感に心を打たれた!どうか、もう一度、真面目にうちの会社で働かないか?今度は盆栽の水やりは君の仕事から外すから!」と、田中は深々と頭を下げた。
しかし、太郎は全身タイツのまま、静かに首を横に振った。
「田中さん。今の僕は、やぶれかぶれで生きてるんです。クビになって、失恋して、失ったものはプライドだけじゃない。でも、このタイツを着て、自分の『どうにでもなれ…』が人の役に立ってる気がする。僕はもう、真面目な顔して無難に生きるには、体がタイツに馴染みすぎたんです…」
第7章:やぶれかぶれの、その先へ
太郎は、ついに「やぶれかぶれ計画」の最後の目標地点に近づいた。貯金が10万円台に戻ったタイミングで、花子店長に「もうすぐ10万円を使い切ります…」と告げた。花子店長は、黒いロングコートの襟元を直し、静かに笑いかけた。
「それで?次はどうするの?本当にドロンするつもり?」
太郎はザコ戦闘員のマスクを少し上げ、真剣な顔で答えた。
「やぶれかぶれです。ただ、次はもうちょっとだけ、人の役に立つやぶれかぶれがしたい…」
太郎は、カフェを辞め、これまでの経験を活かし、駅前の人通りの少ない場所に小さな看板を出した。
『やぶれかぶれ相談所:人生の解決策は出ません。ただ、絶望を分かち合うだけ!』
彼は、ザコ戦闘員のタイツのまま、街の片隅で「人生相談に乗る、やぶれかぶれなヒーロー(仮)」として活動を始めた。訪れるのは、太郎と同じように「どうにでもなれ…」とつぶやきたい人ばかり。太郎は彼らの話を聞き、「いいですね、そのやぶれかぶれ!」と、ただ相槌を打つ。
ある日、花子店長が、新しいヒーローのコスチュームを持って現れた。それは、黒い全身タイツに、黄色いマフラーがついたものだった。
「佐々木さん。あなたはもう、ただの『ドジ』じゃなくて、『やぶれかぶれ専門ヒーロー』よ。そのマフラーは、未来に向かって投げやりに伸びていく、あなたの希望よ!」
太郎はマフラーを首に巻き、タイツ越しに、心から笑った。なぜなら、人生を投げ出したら、最高の滑り台が、そこに待っていたから…
SCENE#140 やぶれかぶれ、今はじまる! 魚住 陸 @mako1122
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