吾輩は…

@mimbu6-jIvnoz-qupdov

第1話

吾輩は猫である。

名前はもうない。

粗方おおかたのことは忘れて仕舞って、

今となっては飯のことばかり考えている身の上である。ただ、ある日目をました時には、ジメジメしたところでニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。

吾輩は其処で初めて人間というものを見た。

しかも後で聞くとそれは勇者という、人間中で一番獰猛な種族であったそうだ。

この勇者というのは時々魔族われわれを捕らえて煮て食うという話である。

しかしその時はなんという考えもなかったから、別に恐ろしいとは思わなかった。ただかれのてのひらせられてすーと持ち上げられたとき、なんだかフワフワと懐かしいような気がしたのみである。

勇者が吾輩を引き連れて仲間パーティーメンバーの前に見せた処、其奴きゃつらは随分と主人を非難した。

こと、に、無闇むやみに勇者の隣を陣取ろうとする、見るからに馬鹿そうな女魔法使いは、使命がどうの調和がどうだのとやはり馬鹿のようにのたまって居た。しかして勇者の方は、決めたことときっぱりしていて、中々どうしてもののわかる男と見えた。

この勇者の家でしばらくよい気持きもちで居座っている間、勇者は主人となり、隣の魔法使いは主人の細君と成り、息子こどももできた。そうして自分も、家族の内に入った。

我ながらなかなか愛くるしい容貌みめかたち

をしている心算つもりなのだが、街でも何処でも、人間は吾輩を見るなり皆一様に魔物だ魔物だとう。特にひどいのがこの主人の息子で、眠っているところに吾輩が添い寝してやると、すぐに目を醒ましてマモノダ、マモノガキタと矢鱈やたらに泣くのである。

吾輩はそのことで細君に随分追いかけ回され、また主人に随分慰められた。

その子供も一寸ちょっと大きくなったという頃、細君の方が肺を患った。主人も子供も其方そっちにつきっきりで、吾輩に構うことがなかったので、吾輩の方も気にして随分色々やったのだが、結局逝ってしまった。

それからまた数年経って、世中のながれが魔物の方に寄って来た頃、旅に出た主人が何処どこぞの魔王に殺されたと届いた。

そういう訳で一人と一匹の暮らしとなってからは、買物のために街に出ては魔物連れとさげすまれ、冒険者なりわいのために野原に出ては矢鱈やたらな数の魔物に追われという日々であった。

そんで今日もまた何時いつものように魔物狩りをしていたのだが、行成いきなり空が暗くなって、雲の裏から魔族が出てきやがった。

主人の子ーヘクスとか云ったーが足をすくめているのを見て、こうもりみたいな魔族が言った。

「これは驚いた。あの伝説の勇者『蛮勇のティムサーベージ・ティム|』の息子と聞くから、どんな傑物かと思ったら、腑抜けではないか。魔装オーラたかが知れている。…わざわざ私が来たのは間違いだったな。」

がくがくの震え声で、ヘクスが返す。

魔装オーラで力量を判断するってのは…三流のやり方だって親父が-」

言葉の途中で、ぴしっと扇子を振ったような音が鳴り、ヘクスは耳を覆った。-否、耳の方は地面に在るので、耳のったところから流れる血をすくったというのが正しい。

ぐううとうめくヘクスを見下ろして、こうもり魔族が言った。

「これで試しは終った。お前は私の攻撃に反応できないとわかった。…こうして判断すれば、お父上も文句はなかろう?」

蝙蝠公こうもりこうが、つかつかと踏みよると、ヘクスの目鼻口からぬるりと赤い血が垂れる。

「余計な手間をかけさせたのだ。少し遊ばせてもらおう。」

こうもりがすうと手を挙げる。

-その手を、冷えた風がすり抜けていく。

すり抜けたのではない。貫いたのだ。

「…間合いだ。バカが…」

ちりが、次いでつぶてが、空に向かい、瞬く間に渦を巻いた。どうと巻き起こった竜巻かぜが、蝙蝠公こうもりこうを覆い去る。

雲まで登って、幾分か経った後、茶黒かった風が、だんだん白く成ってゆき…

やはり、蝙蝠公こうもりこうはそこに突っ立っていた。

とうに手の傷を治した様子で。

ヘクスの方は唖然として居る。

「ご満足頂けたかな?では、私も。」

肉に肉を衝突ぶつける音からは程遠い、例えるのなら、硬パンをフライパンで潰すような音がした。

フライパンはそのまま、続けて5度、パンを滅茶苦茶にぶん殴った。

パンの方は4回目で気をったらしく、ぐったりしてる。

さて、6回目がなかったのは、吾輩が声を掛けたからだ。

れ、蝙蝠君こうもりくんあんま其奴そいつ甚振いたぶらんで暮給くれたまえ。其奴そいつは、我が主人の息子なのだ。」

蝙蝠公こうもりこうは、少し面食らった様子だった。

「何だ、貴公も魔族だったのか。これは失礼。やけに小さい魔装オーラだったので、気が付かなかった。」

街の人間ものは吾輩が魔族とすぐ見抜くのに、同族ばかりは気がつかないらしい。吾輩は少し落ち込む。

「気がつくかつかぬかはいいが、其奴そいつをもう許してやってくれんか。無益な殺生になる。」

ふん、と蝙蝠公こうもりこうは楽しみに水を差されたという顔でいる。

「有益だろうと無益だろうと、殺すつもりだ。

…それともまさか、貴公がこの人間を護るつもりで居るのかな。大魔族たるこの私から?」

真逆まさか。」

ふ、と笑いが込み上げてくる。同族と話すのも、声を出したのも久し振りで、何だかこそばゆい。

「久方に会った仲間を、気遣って云うのだ。

仲間殺しは、吾輩の好む所じゃない。」

「ハハハハハハハ。」

蝙蝠公こうもりこうが笑って、れから憤怒の形相で、両手両翼をかっぴらき、何かを飛ばした。

その飛ばした何かが、そらでぴたりとまる。

成程なるほど。影に形を与えているのか。はやはずだ。」

第2の撃は、まるで波だったが、今度は渦になって解けた。

きみの傷つけた人間は、我が主人の息子なのだ。私はそれを伝えたし、忠告もしたというのに。…今更逃すこともできないから、きみとはもう御別れだな。」

そのときになって、蝙蝠公こうもりこうはようやっと吾輩のに気がついたらしい。

ばったの如く跳ねたかと思うと、阿云間あっというまに彼方に消えた。

もう芥子粒けつしぶほどにも見えない。

「…間合まあいだ。莫迦奴ばかめ。」

水面のように空が揺れて、其れから矢張やはり水のように流れた。無論、地面したに。

落っこちた空をグワァとひらく。

目口めくちの如く拓いた空は、雲の代りにびっしりと歯を並べている。

「-この魔導ちから-胴無き貌-まさか、魔王-」

「その名は」

くしゃり、とこうもりを咀嚼する。

最後っ屁の、黑いこげごと。

「もう忘れたし、思い出すつもりもない。」

ぼりぼり、ごくんと飲み込んだ。

猫というのは、存外悪食である。


 腹の重さにうめいて、ヘクスは眼を覚ました。

さっきまで自分を痛めつけていたはずの魔族はどこかに消えている。わずかに耳が痛むだけで、怪我ひとつない。-かわりに猫が、お腹の上に乗って居る。

どうやら悪夢はこいつの仕業らしい。

仕返しに、気持ちよさそうに眠る顔をくしゃくしゃにしてやったが、猫はなぁご、と鳴いて、満足そうにするばかりだった。

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