第6話


 黒根は家にいても特にすることがないので、適当に時間を潰すためにプティ・フォワイエに来ていた。


日曜日の午前中、本来なら混む日だが、今日はあいにくの雨で、あまり人がいなかった。そのため今日も、いつものようにあの奥まった席に座ることができた。

しかし、目の前の椅子は、ポカリと空いたままである。


なぜ黒根が暇なのかと言うと、白鳥に父親の仕事を見学しに行く予定があったからだ。

セフレもいないし、一人だった。



 黒根はメニュー表を見る事なく、呼び出しベルを押して店員を呼んだ。

すると、今日やって来たのはこはちゃんではなく、こはちゃんの父親であり、この店のマスターである小花 じゅん、通称"淳ちゃん"がやって来た。


「あれ、黒根くん。久しぶりだね。今日は白鳥くんはいないんだね。」

「お久しぶりです。白鳥はなんか予定あるらしくて。」

「そうなんだ。君たちの片方がいないとニコイチ感なくて気になっちゃね。」

「そうですかね。」


黒根は嬉しいような、そうでないような、なんともいえない気持ちになって苦笑した。



 マスターは、黒根と白鳥が付き合っていることを知らない。


それはマスターが、黒根が他者との体の関係を必要以上に求めるようになった時から黒根のことを知っているからである。


だからこそ、白鳥との事を言う気にはなれなかった。


何気に黒根が体の関係からではなく、会話をしていくうちに付き合う関係になったのは、白鳥が初めてだった。


今まで散々性行為だけして来たくせに、ここに来て普通の恋愛をしているなんてバレたら、どうにも恥ずかしい。


「…黒根くん?ご注文は?」


マスターにそう言われて、黒根はハッとした。

まずった。ついボーッとしていた。


白鳥は、この店の常連であり、白鳥がここに来始めてから黒根もバイトを辞めたので、こう言う些細な行動によって怪しまれたら困る。


疑う余地など、いくらでもあるのだから。

マスターはそう言うことに関して勘が鋭い時があるので、怖い。


「いちごのショートケーキで。」

「かしこまりました。」


マスターの姿が厨房に消えて、黒根はほっと息を吐いた。


 ボーッと店の出入り口を眺める。そこが開いたり閉じたりするたびに、奥まったここまで外の冷気が届く。

足元がひんやりとして、黒根は思わず身震いした。


いつもは目の前に白鳥がいるから、風除けになってくれるけど、今日はいないから寒いな。


 そんなことを思って、昨日の白鳥の顔を思い浮かべた。

…なぜあんなことを聞いてしまったんだろう。


「どうして俺と性行為するのが嫌なの?」


それだけじゃない。


「俺とじゃなきゃいいの?」


思い出して自嘲する。困らせてどうする。いや、それ以前に、そんなこと聞く必要なんてなかったじゃ無いか。


白鳥がしたくなるまで待つって、そう思ったのは自分なのに。何で待てなかったんだろう。

恥ずかしい奴だ。


 いつも考えてしまう。なぜ、白鳥が俺と一緒にいるのか。

タイプも全然違うし、持ってるものも、天と地の差があるのに。


性行為だって。

"あんまりいいイメージない"ってさ。


じゃあ、もし。もし俺が、過去に沢山セフレがいて、幾度も体を汚してきたと知ったら、俺にもいいイメージを持たなくなるの?


………汚いって、嫌うようになるの?



 チクリと胸が痛んだ。…いや、チクリというよりかは、つねられたような痛みだ。

この気持ちが何なのか分からない。これを何というのか知らない。

知る由もなければ、知る意味もない。


なのになぜ、知りたいと思うのか。

俺は白鳥をどう思っているのか。

……わからない。分かりたい。なのに。


分かろうと思えば思うほど、どうしても邪魔で、どうしても忘れたくない面影がが、白鳥の顔を遮る。



 チャリンチャリンと、店の扉が開く時に鳴るベルの音がした。

特に意識せず、自然とその音のした方に目線を向ける。


「お、いたいた。」


扉の前に、厚手のジャケットを羽織った男が立っている。


その声と、そいつの顔を見た瞬間、心臓が爆発するのではないかというほど大きく脈打った。


冷や汗がドバッと噴き出て、額を濡らす。


「…なんで、な、なんでっ!」


黒根は急いで席を立った。

すれ違いさま、いちごのショートケーキを持ったマスターが「どうしたの?」と、驚いていたが、そんなことはもうどうでもよかった。


どうして。


そんな気持ちが頭の中全てを埋めていた。


「ちょ、入ってくんな。」


そう言って、その男の背中を押し、店の外に無理やり押し出す。


「何でだよ。てか押すなし。」

「うるっせぇ。ふざけんな。なんで、何で来たんだよ。」



後ろでチャリンとベルの音がして、扉が閉まった事に一瞬ホッとしたのも束の間、黒根は自分があまりに大きな声を出したので、道を歩いている人たちにジロジロ見られていることに気がついた。


「…とりあえず、人いないとこ。」

そう言って男の腕を掴んで店の前にある歩道を左に進む。

「はいはい。そんなに焦んなって。早く二人きりになりたいってことだよな?」


「ちげーよ、馬鹿。ほんと日本語の通じない奴だな。二度と連絡してくんなっつたろ。会いに来んなとおんなじ意味ってわかんねーのかよ。」


「つめてー。なんかキャラ変わった?それともそっちが本心…的な?」


男の声を無視して、そのまま真っ直ぐ前に進む。

黒根の中で、疑問が怒りへと変わっていった。


本当に何もかもうまくいかない。

白鳥とも、こういう過去とも。

どれともうまく付き合えてない。


 黒根は足を止めた。カフェの近くの人通りの少ない小さな公園にたどり着いたからだ。


ここはブランコも、滑り台もない。

ベンチが二つと、スプリング遊具が一つあるだけだ。

それも、ペンキの剥がれた不気味な猿のキャラクターで、小さな子供は寄りつかないだろうと思う。


朝でも昼でも夜でも、何のためにあるのかというほどここには人が来ない。

来るとすれば、今の自分のように誰かと静かに話がしたい人なんかだと思う。

…それか、恋人とか?


「で、何で来た。早く要件だけ言って。間宮。」


目の前にいる男、ニヤニヤと口元を緩めて笑う間宮は、黒根が大学一年生になる春頃に出会って、そういう関係になった男だ。


とにかく粘着質な男で、ただのセフレである黒根にも非常に執着する奴だった。


黒根が性行為をする相手は自分でないとダメとか、平気でそういうことを言うし、猫が好きだと言ったが、全てのデザインにおいて猫でないと嫌などと、とにかくこだわりが強い。


だからこの間もラインが来た時に、間宮の猫のアイコンが彼の粘着質な性格を思い起こさせて、嫌な感じがしたから先に白鳥に相談したのだ。


あの頃の自分の心情と、間宮の押せ押せグイグイな誘いが重なったら、性行為をする流れになった時に断れる自信がなかった。


 いやそんな事はどうでもよくて。

そもそも間宮にプティ・フォワイエを教えたのが間違いだったんだと思う。


間宮が、「俺とセフレとして会う時以外はどこで何をしているんだ」としつこく聞いてきたので、思わず「プティ・フォワイエってカフェでバイトしてる」と言ってしまったのだ。


適当に「カフェでバイトしてる」でよかったのに。



「会いたいと思うのに理由って必要なのかな?」

「は?」


間宮はそう言うと黒根に近づき、彼が避ける前に自分の唇を無理やり黒根の唇に押し当てた。


「い゛ッ」


押し当てる勢いと、強い力で間宮の歯が上唇に打つかり、黒根は思わず声を漏らした。

じんわりと血の味が口の中に広がる。切ってしまったのだ。


「お、い!やめろ、マジで!!」


間宮の体を引き剥がそうと必死に抵抗するが、ビクともしない。そこでふと思い出した。


そういえば、こいつ、空手を習っていたとか何とか言ってた気がする。


「いやだ、やめっ。」

「黙って。」


余計なことばかり思い出すな。そんなこと考えてる暇ないのに。


間宮のぬるりとした舌が口の中に入り込んできて、黒根はびくりと肩を震わした。

本当に心底気持ち悪い。そして何より気分が最高潮に悪い。


間宮とは、セフレになった時に"キスはしない"と言ってあったのに。忘れたのか。…嫌だ嫌だ。やめろ。やめろって。やめろ。

はなせ。


「………ッ」

「い゛った!!」


ガリっと、黒根は思いっ切り間宮の舌を噛んだ。噛みちぎってやろうと思ったが、予想より堅かった。


 間宮は痛さのあまり口元を抑え、若干涙目になっている。

その隙に黒根はそこから逃げ去ろうと思った。

しかし、間宮の横を走り去ろうとした時、グイッともの凄い力で腕を引かれ、思わずその場に倒れ込んでしまった。


「何すんだよ!やめてほんとうに!!もういいだろ!」

「何も良くない!お前、俺のことブロックしただろ!突然セフレだって辞めるとか言いやがって!!自分勝手なことはな、必ず返ってくんだよ!」


「なっ……!」


間宮はそのまま、転げていた黒根を起こさせ、そして強く抱擁した。


 頭が真っ白になって、黒根は何も言えず、何もできず、硬直する。

そして公園の入り口に自然と目がいって、黒根は息を呑んだ。


真っ白だった頭の中が、真っ黒で塗りつぶされていく。

冷や汗が噴き出して、身体中が冷たくなっていくのを感じた。


「し、ら、。」


そこには、呆然と立ち尽くし、黒根と間宮を見つめる白鳥がいた。




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鳥籠に巣食う 優涼 雪 @YUKI731

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