拙作
terurun
拙作
茶色の、ブラインドを眺めた。
開いても、どうせ同じような屋根が続いているだけで、全くいい景色でもない。ただ、そこから吹き込んでくる風は、気持ち良かった。
埃が付いていた。
手頃な場所にティシュが置いてあったので、一枚取って拭った。しかし結局、埃は端に集まっただけで、全く取れていない。
面倒臭くなった。また自分のパソコンの前に座った。
いい話が書きたかった。昔は、書いては全てwebに垂れ流していたが、大して見られない。俺の書くジャンルの小説は、どうも人気となるには難しいようだ。
高校一年生となって、半年とちょっとが過ぎた時だった。
一人、仲のいい女子が居た。可愛かった。好きだった。
俺が小説を書いていることを知ると、幾度も読ませろとせがんできたので、一番自信のあった短編小説を読ませた。
一万字と少しのヒューマンドラマだった。子を病気で喪った母親の話。周りの景色を目に入れる度、子供との思い出が蘇ってしまって苦しくなり、やがて自殺してしまう。我ながらこれ以上は書けないだろうと踏んでいる自信作だった。
『うーん…………正直私は少し苦手かな……』
その小説のファイルは、消してしまった。二年生となったとき、その女の子と別のクラスになってホッとした。恋慕など何処かへ行ってしまった。
「蚊。」
誰もいないしんとした部屋に、手の平を強く叩きつける音が響いた。手に僅かな血が付いた。
「かゆっ…………」
突如、ふくらはぎの裏に痒みを感じた。ひとしきり掻き毟った後、再びパソコンの前に向かった。しかし、そんなことがあってから、どうも全然書けなくなってしまった。
二千文字くらい書けるときはあった。しかし結局書き終えずに終わってしまうのだ。書いている途中に、自分の書いている話が本当に面白いのか、客観視してしまうようになってしまったのだ。そうなってしまえば、全く筆が進まなくなる。
今日も例にも漏れず。執筆画面は真白いままで、キーボードのバックスペースだけ指の脂で汚れている。
突然、インターホンが鳴り響いた。立ち上がり玄関の方へと歩く。
覗き穴から外を見やると、父が居た。鍵を開ける。
「何の連絡も無しに、ごめんな」
生気のない声が聞こえた。
取り敢えず家に上げる。
「ちゃんと、食ってるか」
「一応、三食摂ってるよ」
「……なら大丈夫か」
父は話しながら、小さなちゃぶ台の前に座った。俺もその向かいに座る。
「俺は、一人暮らししてた時なんか、二食食ってたかどうか……ずっと一人だと、飯の支度も面倒なんだよな」
「俺も……最近は少し面倒になってきた」
「だめだぞぅ。ちゃんと三食食わんと、体が弱ってしまうからな。実際父さんだって――――」
「だって?」
一瞬の静寂。
「いや、そんな話は良いんだ」
父は、俺より奥に視線を向けた。茶色い、ブラインドのある方向である。閉め切っていない窓から、未だに風が漏れ出ていた。
「母さんが、死んだんだってさ」
外は全くの快晴である。しかし電気も点けずブラインドも少し閉めていた為か、部屋の中は暗かった。どんよりとしていた。
はあと、父は一つため息をついた。
「俺も、聞いたのは一昨日の事だ。お義母さんから電話が来てな。けどお前はまだ一人暮らし始めて三か月くらいだし、それに大学とか、色々まだ忙しいだろうから言おうか迷ったが。尤も、今日お前が居なかったら言わないつもりだったんだがな」
父はズボンのポケットからスマホを取り出した。
「明々後日、葬式があるそうなんだが、行くか?」
パソコンの前に置いていたスマホを取りに行き、俺もその日の予定を確認する。サークルの友達と飲みに行く予定だったが、父に気付かれないように断りの連絡を入れる。
「特に予定ないし、俺も行くわ」
「――そうか」
父は少しスマホを操作した後、再びポケットの中へと仕舞った。
「じゃあ明々後日の朝、車でここに迎えに来るから、一緒に行こう」
「わかった」
そしてまた、部屋は静寂に包まれた。
ふくらはぎの痒みが、中々取れなかった。
◇
《――僕は後部座席を独り占めにしていた。ほかの車よりはちっちゃな車だったから大して広くは無かったけど、小学三年生の僕は体も小さいし、その大きさで十分だった。そうやって後部座席ではしゃぐ僕を、助手席に乗っていたお母さんは優しく笑って見ていた。運転していたお父さんは僕がどれだけ暴れているかを、お母さんから聞いたり鏡から見て笑っていた。小さいトランクにはこれから公園で遊ぶためのバトミントンラケットとかグローブとかがぎゅうぎゅうに積まれている。今日は何で遊ぼうかと、お母さんがきいてきた。その日は……確か――――》
「三人でキャッチボールをした」
「そうだったか」
「うん……そうだった」
信号が青に変わった。流石にその時の軽自動車からは買い替えたようで。父曰く同じシリーズの最新より一つ前の車種なんだそうだ。乗り心地は悪くない。
「にしても、今見たら全く稚拙な文章だな」
「まぁ、これ書いたの、小学生の時とかだろう? それにしては上手く書けているんじゃないか?」
「それでも、稚拙な事には変わりないよ」
昔、A4の原稿用紙に汚い字で書いていた小説である。小学生の時から、何かとあれば小説に
カーナビの音声が思ったよりも大きな音で車内に響いた。
「……最近は全くお前の小説を読んでいないからな」
「最近は、あまり書けてない」
「そうなのか?」
「まぁ、色々あってさ…………」
「……そうか」
フロントガラスに落ちた数多の雫が、ワイパーに吸い取られる。湿気が皮膚にまとわりついて、気持ちが悪かった。車窓に結露して曇っているのを手で払うが、しかし視界は未だ雨に支配されている。
「俺は、好きだったんだがなぁ」
目の前で信号が赤に変わった。昔の父なら無理やり渡ってそうだが、今日はやけに安全運転だった。ゆっくりと減速し、停止線より少し前で停車する。
停車している内に、俺の持っていた原稿用紙を取り、一枚ずつ軽く目を通す。
「…………昔のお前は、母さんをこういう風に思っていたんだなぁ」
「今は違う。あんな母親、誰が好くか」
「…………そうだよな……」
父はその原稿用紙を俺に返し、信号が青になるのを待った。
「なら、なんで今日付いてきてくれたんだ?」
「…………父さんこそ、なんで行こうと思ったのさ」
信号が中々変わらない。目の前の横断歩道を、傘を差した母親と黄色い合羽を着た子供が渡っていった。雨にはしゃぐ子供を、母親は笑って見ていた。
「さぁ、なんでだろうな。もうとっくに、あの人に無関心だったんだが」
母親と子供が、横断歩道を渡り終えたみたいだ。同時に、歩行者信号が点滅し始める。
「まぁでもせめて、最期ぐらいは見てやりたかったのかもしれんな。それに一応、別れた後も少額ながら養育費は払ってくれてたし」
「父さんを捨てて他の男ん所に行ったクソ女だけどな。養育費って言ったってほんと雀の涙みたいな額だったし」
「…………まぁな」
信号が青に変わった。斎場まであと十分ほどだ。
「……俺は大嫌いだな、あんな親」
「でも、付いてきてくれたんだな」
「――まぁ、雀の涙とは言え、俺を育てる為のお金な訳だし」
父は、少し微笑んだ。
気付けば、斎場が目の前に近付いていた。
◇
どうやら、母は今の家族と車で旅行に行っていた時に、よそ見をしていたのか前に走っていた大型トラックに追突し夫諸共死んだらしい。ただ、後部座席に乗っていた子供だけは無事だったそうだ。
そう、子供である。
「あの子が……」
父の指さす方向に、一人の子供が居た。歳は恐らく十歳前後と言ったところだろう。そんな歳で両親を亡くすとはなんとも可哀そうである。しかし、とても同情はできなかった。
斎場には当然、母の両親、つまり俺の祖父母も出席していた。流石に俺も父も気まずいので、焼香までしたら帰るつもりである。
しかしそれまでには少し時間があった。
「ちょっと、トイレ行ってくるわ」
「あぁ、わかった。ここで待っとく」
知ってる人と出くわしても嫌なので、少し遠めの、受付外のトイレへと向かった。
手を洗い、後ろのポケットに入れていたハンカチを取り出し、拭う。
少し跳ねていた髪を直し、トイレから出ると。
「おっと…………」
子供とぶつかりそうになった。
「って…………ちょっとまって」
「な、なんですか」
思わず引き留めてしまった。さっきの子供だったのだ。
目が虚ろである。声にも生気が籠っていない。
――一応この子は、扱いとしては俺の弟なのか。
「ちょっと、今いい?」
この子の事を何も慮る事が出来ない。だから、少し話してみたくなった。
「いいですけど」
俺とその子は、少し端に寄った。
「お兄さん――ですよね」
突然その子は俺にそう言い放った。
「おばあちゃんが言ってました。あの人が、お母さんが前に結婚していた人の子供で、お前のお兄ちゃんだ、って」
「――え、おばあちゃんが言ったのか?」
「はい」
流石に、正気を疑った。まぁ確かに、昔母親の不倫を知った時も、大して責めるでもなく、あの祖父母は普通に受け入れていた気がする。やはり母もその身内も、碌な人間は居なかった。
「じゃあ、君もお母さんに前夫が居たって知ってたのか」
「はい。」
この子もこの子で、苦労していたのか。そう思うと、この子に対して同情の念が生まれてきた。
「あのさ。答えたくなかったら良いんだけどさ」
「いいですよ」
「あ、そう。ありがとう」
一応ここはそういう事を訊いても許される場所だろう。
「母さんは……どんな人だった?」
俺にとっては、とんでもないクソ親だ。しかし、その後どうしていたのかは、純粋に気になった。
「……僕にとっては、いいお母さんだったと思います…………すみません、どうしても他人事みたいな言い方になってしまって」
「いや、良いんだ」
そりゃあ、普通両親が突然死んでまともでいられる子供など少ない。この子は自分を客観的に見ることで何とか平生を保っているのだろう。
しかし、いいお母さん、か。
「よく、一緒に公園で遊びました――」
「車のトランクにバトミントンのラケットとかグローブとか持って行って、日ごとにいろんな遊びをしたんです。丁度お父さんも昔野球部だったらしくて、キャッチボールがとても上手で」
「亡くなる一週間前も、同じように公園に行って。その時は確か――」
ポケットに入っていたものを、俺はくしゃりと潰した。
「――キャッチボールか?」
「…………そうです」
驚いたように、俺の方を見た。初めて、目が合った。生気こそ感じられないが、その奥に秘めている物は、当時の俺と、似通っていた。
――そうだ。昔の俺もこうだった。ふと、思い出した。そして理解した。ずっとずっと原稿用紙に書き殴っていた母は今のこの子の母なのだ。ただ息子を愛する、一人の母親だったのだ。
しかし俺は、それでも好きになれない。大嫌いな儘だ。
だから――――
「――――それは?」
「今の俺には必要ないもの、だな。あげるよ」
「あ、ありがとうございます……」
俺はポケットの中に入れていたA4の皺だらけの紙屑を渡した。
途端、心にずっと沈殿していたものが無くなってゆくのを感じた。ずっと足を引きずっていた枷が、取れたような気分だ。
「俺の父さんさ、キャッチボールもバトミントンも、下手だったよ」
あの投球フォームと来たら。笑いを堪えるのすら儘ならない程滑稽なものだった。
「あ、トイレ行きたいんだったな。引き留めてしまって済まない」
「いえ……」
「あの」
「ありがとう、ございました」
紙屑を大事そうに握りしめながら、そう言った。
「また会うことが合ったら、キャッチボールでもするか」
「――良いですね。僕もしたいです」
かく言う俺も、父親譲りの運動音痴だが。
「んじゃ、またな」
「はい」
斎場の向こうの方は騒がしいが、しかしここは静謐に感じた。
雨は止んだらしい。
湿気も、特に感じなかった。
俺はスマホを取り出して、父に電話を掛けた。
『どうしたんだ?』
『折角連れてきて貰ったのに申し訳ないんだけどさ。やっぱ俺帰るわ。もう、いいかなって』
『……そうか。分かった』
心なしか、父の声も先程よりも暖かい気がした。
『またさ、どっかで一緒に外食でも行こうよ。俺が奢るからさ』
『――――』
『――あぁ、そうだな。行こう。だが、流石に俺の分は自分で払うさ。第一、お前そんなにお金持ってるのか?』
『ま、まぁ…………安い店なら……奢れない事もない、かも?』
『ははっ、そうか。でも、奢ってもらうならお前がちゃんと就職してからだな。ちゃんと就職してくれないとお母さんが――――』
『――いや、何でもない。じゃあ、気を付けて帰れよ』
『うん。わかった』
スマホをポケットの中へと仕舞った。
また父と会う時には、保管してくれていた俺の小説を軽々しく手放してしまった事を謝らなければ。俺にとってはただの拙作だが、おそらく、父にとってはずっと保管しておくほど大切なものだったのだろう。
取り敢えず、斎場の外へ出た。自動ドアを出た瞬間に吹き込んできた風が、気持ち良かった。
こういう時は、不意に執筆欲が湧いて出てくるものである。
丁度この近くのバス停から、俺の家の近くまで戻れるらしい。
俺は家に帰って認める内容を思索しながら、帰途に就いた。
雨の匂いが、まだ少し残っていた。
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