第7話 自己の連続性について



 喫茶店の一角、一成いっせいは目の前に座る夏都香かづかの顔色を読んだ。


「…弐子浦にしうら、もしかして面白くないことでもあったのか」


「えっ? あちゃー、浮塚うきづかくんにもバレるレベルで顔に出てたか」


 夏都香は顔を歪める。


「この前、人から『前に言ってたことと違う』って言われてさー。悪いけど私からすれば『あ、そんなことも言ったかもな』って話題だったんだけど、その人にとっては大事な話だったんだろうね」


「話の内容が分からないから深くは刺さらないけど、それだけで別に弐子浦が不誠実だってわけでもないだろ」


「まあ、人の言葉に寄りかかる以上はそれぐらい覚悟しとけよって話だから気にしてないけどさ。そもそも私だって日々変化してるんだから、言うことが変わるなんてあり得ることでしょ」


 夏都香はセイロンティーのカップに手を添えて、僅かに揺れる波紋に目を落とした。


「そんなこともあって、人間って結局、その瞬間で判断すること行動することが全てであって、連続した存在だとは言えないんじゃないかって考えたわけ」


 一成はアメリカンコーヒーを一口飲む。


「…弐子浦の言うとおり、過去の経験とか未来の予定があるからって、現在の判断や行動がただ一つに限定されるわけじゃないけれど——だからって連続していないは言い過ぎだろ。むしろ瞬間的な存在だと言い出すこと自体が、自己が連続したものだって認めていることの裏返しになるんじゃないか?」


 夏都香はにやりと笑った。


「じゃあその連続性ってなんなんだろうね。私は過去に自分が言ったことを翻す。小さいときに何があったかだって、流石に全ては覚えていない」


 自分の頬を撫でて続ける。


「顔かたち? 整形手術をしたら? 体だって成長するし、事故や病気で大きく変化することだってある。社会から『お前は弐子浦夏都香だ』と認められれば、それだけで連続したことになるのなら、どうやって証明するの?」


 喫茶店に僅かな静寂が訪れる。

 一成は一度天井を仰いで夏都香に向き直った。


「——自己を瞬間的な存在であるとして、その場その場で判断する、行動するのは分かる。でもそこにだってへの無意識の信頼があるんじゃないのか? いまの話は『自分が連続しているかどうか』だから、相手が連続しているかどうかまでは広げないけれど」


「まあ、そこは棚上げしましょう」


「それに、記憶がもしも不確かであっても、自分はこんな人間だったとか、将来こうなりたいという意思とか、そういうものだって自己を繋げていくんだ。“自己の連続性”とは、身体でも意思でも、弐子浦の言うとおり不確かなものだとしても、それらに裏付けられたものなんだろ」


 夏都香はにこにこと笑う。


「だったら、記憶喪失とかで全部なくなったらどうするの? 写真もない、日記もない、自分の顔を自分のものだと認識できない。社会から与えられた名前だけで生きていくしかないとしたら、それまでの自分と完全に断絶しちゃうじゃない」


 一成はのポーズをする。


「そうなったときはやっぱり他人次第だ。君はこういう人間だった、私にとってこういう存在だったっていう。それをなぞって生きていくことが、やがては“自己の連続性”の裏付けになっていくんじゃないかな」


 コーヒーカップに手を伸ばして続ける。


「そう考えると結局、人間は自分一人の体や意思だけで連続していく存在なんじゃなくて、他人からも社会からも連続した存在として見なされながら生きていくものなんだろ」


「うーん…」


 夏都香は腕組みをして唸った。


「…もしも他人もいない、社会もいない個人だったとしたら、残念だけどどこかで途切れてしまうかもしれないわね」


 一成はアメリカンコーヒーを飲み干した。


「もしかしたら、無意識のうちに『途切れたくない』って思っている人が、他人や社会と接点を持つのかもしれない。パソコンの非常用バックアップじゃないけれどさ、自分を連続させてくれるものとして」


 夏都香の口元がにやりと歪む。


「なるほどね。じゃあ——浮塚くんが記憶喪失になったときには、私が一番に駆けつけて『浮塚くんはこういう人でした!』って主張してあげるわ。…そうね、今のうちに希望があれば聞いておこうかしら」


「希望って、なんだよそれ」


「聞き取りよ聞き取り。バックアップって言ったでしょ。…まあ、ちょっとだけ手を加えて斬新な設定にしておくかもしれないけれど」


「意図的に中身を改ざんするとか、悪質な機能付きの記録装置だな…」


 うへえ、と一成はため息を吐いた。

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喫茶店で定義は踊る ばよねっと @bayonet_kkym

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