Quiet After the Storm
Epilogue
ランタンの火が小さく揺れた。
潮の香りと焦げた灯油の匂いが混じって、夜の空気に滲む。
私はキャンピングカーの屋根に仰向けに寝そべり、隣で髪を広げているエルの長いうねる金髪を義手でくるくると弄んだ。
軽い義手はよく動くけど、まだ少しだけ冷たい。
それでも彼女は嫌がらず、むしろその感触を確かめるように目を閉じていた。
昼間の光景が脳裏に浮かぶ。
――海。
ゼニス・スパイアでは絶対に見られない澄んだ海だった。
波は透き通っていて、足元まで見渡せる。
午前中、私は泳ぎに必死で、エルはそれを笑いながら追いかけてきた。
「ほらミア、潜水勝負しよ!」
「エル、体力オバケかよ……!」
笑いながらも、久々に息が切れるまで泳いだのは気持ちよかった。
長い入院で鈍った体が少しだけ戻っていく感覚。
切断された左腕には最新の義手。水中でも全然問題なく動く。
シルヴィアからの贈り物――無駄に扇風機やマッサージ機能は付いていないけど、私には十分すぎる。
午後、エルは「日焼けしたい」なんて言い出して、私は仕方なくオイルを塗った。
相変わらずのくすぐったがりで、塗るたびに身を捩って変な声を出す。
「動くなって……」
「だって、変なとこ触るから!」
「背中だろ」
――そのとき、指の下で感じた彼女の体は、もう痩せていなかった。
カリムに取り込まれたあの日の、骨ばった感触はどこにもない。
ちゃんと戻ってきた。それが、何より嬉しかった。
その後は沖に出て釣り。
ボートを揺らす波に揺られながら、糸を垂らしていた時――背後で水音。
ヒレのような影に身構えたら、飛び込んできたのはエルだった。
「びっくりした? 足ヒレだよー!」
笑いながら私に抱きつくその顔は、小麦色に日焼けしていて、やけに子どもっぽかった。
私は腹の底から笑った。彼女も笑った。
――ただそれだけで、幸せだった。
「……ねえ、ミア」
今、横で寝そべるエルが小さく呟いた。
「ん?」
「今日、楽しかったよ」
その声は、まるで泣き出しそうなくらいに優しかった。
「私も……だな。あんな風に笑ったの、いつ以来だろ」
「ねぇ、私たち……ほんとに生きてるんだよね?」
エルの声はかすれていた。
私は彼女の手を握る。義手と本物の手。体温の差がひどくリアルだった。
「生きてるさ。ちゃんと、ここにいる」
エルの頬に一筋、涙が流れ落ちた。それでも、口元は笑っていた。
しばしの沈黙。
遠くで波の音がかすかに聞こえる。潮の匂いと、エンジンオイルの残り香。
それらが今は妙に心地よかった。
「なぁ、明日からどうする?」
私は空を見ながら言った。
「行きたいとこあるか? ……海外でもいいぜ」
エルは笑い、私の胸に頭を乗せた。
「私、どこでもいいよ。……ミアと一緒なら」
「エル……」
「どこにいても、こうして笑ってたい。ずっと……」
その声が震えていたから、私は言葉を返さずに彼女を抱き寄せた。
冷たい義手と温かい右手、両方で。
空を見上げると、満天の星。
北の空には、昔二人で勝手に名前をつけた星座が輝いている。
「……エル。覚えてるか、あの星座の名前」
「“姉妹の矢”でしょ?」
「そうそう」
二人で笑った。
どこまでが現実で、どこからが幻か。
そんなこと、もうどうでもよかった。
怪物に飲まれた夜も、血だらけの戦いも、全部ここに繋がっていた。
それでいい。
私は彼女の頬に触れた。
もう二度と離さないと、心の奥で誓いながら。
「なぁエル、次はさ……山なんてどうだ?」
「虫苦手なくせに?」
「……言うな」
二人の笑い声が夜の空に溶け、海風に運ばれていった。
Blood Sisters ジョウ アイダ @aida95
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