7-9

崩壊する肉の洞窟を、エルは血まみれの私を抱え、一心不乱に走っていた。腕が私の背をしっかりと支え、胸の温もりが骨に響く。

だが、周囲の景色は温もりとは真逆――崩れる壁、溶ける床、粘液が雨のように垂れ落ち、熱を帯びた肉片が肌をかすめた。

背後で轟く地鳴り。カリムの体そのものが崩れながら私たちを追っている。

「ミア、しっかりね!確かね、もうすぐエレベーターだから」

エルの顎から汗が滴り、私の頬を濡らす。どんなに急いでも――エルはエルだ。何でも構わない。生きている。それだけでいい。

動力室の扉を蹴破る。

「こっちよ!!!」

前方、濡れた床の向こうにシルヴィアとイリーナの姿。

「シルヴィア、ミアが――!」

エルの声が掠れていたが、足は止まらない。シルヴィアとイリーナが駆け寄り、三人は昇降機に向かって走った。

「死んじゃいない……まだ……大丈夫だ」

声を絞り出すと、シルヴィアが私の切断面を一瞥し、目を細めて歯を食いしばった。

「昇降機で応急処置をするわ。今は走って」

イリーナは無言で小さな注射器を胸に押し付けてきた。

「打て」

ただ一言だけ残して視線を前に戻す。

「……ありがとよ」

エルが口でキャップを外し、震える手で肩に突き刺した。冷たい液体が筋肉に広がる感触。 その瞬間、腕の痛みは霞み、こわばった体がふっと軽くなった。

私の表情を見て、ホッとするエル。

「ありがとう、あなたは…イリーナね。この借りは必ず…」

エルの声にイリーナは短く息を吐く。

「侮るな、お前の借りなどいらん。…そう思うなら服を着る努力をしろ」

シルヴィアが無言で同意した。裸で必死に走るエルは顔を真っ赤にしたが、足を止めなかった。 左腕はまだ血が止まらない。だが目を開けると、ぎこちない笑顔を見せる。

少し安心した。その時――背後が崩れ、熱い海水が噴き出した。肉と粘液と血が混ざった奔流が、壁を砕きながら迫ってくる。

「時間がない、急ぐわよ」

シルヴィアの声が鋭く跳ねる。昇降機のホールに飛び込むと、繭のような肉壁が崩壊しており、床一面が粘液と肉塊に覆われていた。

残った昇降機はたったひとつ。

その前に――ゾラとダリア。

「急いでッ!」

ゾラの声が響く。背後から迫る濁流の音が近い。

「出せ!!」

イリーナの怒号にゾラが制御盤を叩き、昇降機がゆっくりと上昇し始める。

「行くよ!!」

シルヴィアが叫び、三人は身体をうねらせて跳んだ。足元をかすめる濁流の熱気と、崩れゆく肉体の咆哮。

ギリギリで昇降機に飛び乗った瞬間、真下を濁流が突き破り、肉片を泡を巻き上げて飲み込んだ。

「間一髪、ね……!」

ゾラが荒い呼吸を整え、額の血と汗を袖で乱暴に拭う。その手がイリーナに差し出されて硬く握られた。湿った音が響き、二人の視線が一瞬で通じ合う。

「待ってたわ。兵たちはすでに船に戻した」

「そうか、ご苦労だった」

イリーナは帽子を直し、ゾラの肩に手を置く。

「これは?」

シルヴィアが壁際のワイヤーを見上げ、眉を寄せる。

「あの昇降機が壊れたのよ。それで船のクレーンを流用したのよ。壁に大穴を開けて強引に繋いだ」

ゾラが自慢げに笑い、思い出したようにイリーナにアタッシュケースを差し出した。

「…それと、イリーナ。例のもの、手に入れたわ」

重厚な蓋が開くと、中には一本の注射器――赤黒い渦を巻く液体。

「強化細胞よ。それも、通常の倍――いや、三倍の活性化が確認されてるらしいわ。まさに“新世界”ってやつね」

ゾラが鼻を鳴らして笑う。

「ふざけてんのか……」

隣のダリアがなにか文句を言いかけたが、ゾラは軽くその足を踏みつけ、無視した。昇降機の隅、エルが私の身体を支えながら止血帯を巻いていた。

顔は涙で濡れ、必死に作業しているのが伝わる。 エルはイリーナの大きなコートを羽織っている。長身のエルは、それしかサイズが合わなかった。

「ミア、ごめんね……本当に、ごめん……私の、せいで――」

また泣きだしそうな顔。

「いい。エルのせいじゃない」

私は笑みを作り、首を横に振った。

「それに、まだ生きてる。な?」

その言葉にエルの目から、再び涙があふれる。右腕だって失ってもいい。今この温もりを抱けるなら、それでいい。

「大丈夫だ。ちゃんとした義手を作ってもらうさ。最高級のやつをな。ナイフも銃も内蔵してるような、イカしたやつ」

その時、シルヴィアがすっと近づき、肩に手を置いた。

「心配しなくても、そのくらいは約束するわ。マッサージ機能も付けてあげる。あと、夏場に便利な扇風機もね」

「なっ?」

シルヴィアはわずかに笑い、私の髪をくしゃりと撫でた。薬で感覚は麻痺しているのに、温もりだけは、しっかりと伝わってきた。

イリーナに呼ばれて私たちに笑顔を残して去った。

「シルヴィアは、人間兵器でも作る気なのか……なぁ、エル」

そう言って振り返ると、エルはまだ泣いていた。せっかく助かったのに、こんな顔をさせたくなかった。腕なんて、どうでもいい。――それより、エルにまた、あの笑顔を取り戻させたい。

答えを探すことなく、行動に移そう。

そっとエルを両腕で抱きしめた。正確には肘と曲がった腕。それでも構わない。 動かすだけで気を失いそうだ。

頭を傾けて顎をエルの肩に乗せ、耳元でそっと息を吐いた。その柔らかな髪に触れ、震える背中に手を回す。心臓の鼓動と、微かな香りが、互いを確かめ合う。

身体を寄せる。ぎゅっと、深く、逃がさぬように。どれだけの時間、こうしていなかっただろう――どれほど、あの腕の中を求めたか。エルもまた、しがみつくように私の背中を抱きしめ返した。

互いの呼吸が触れ合う距離。汗ばんだ体温と、香りと、震え。 この瞬間だけで、失ったものなんて、どうでもよかった。

やがてそっと離れ、見つめ合った。その青い瞳の奥に、ようやく光が戻り始めていた。

エルは私の手を取り、両手で包み込み、絡める。言葉はない。ただ生きている、それだけで、心が満たされていく。

――そのとき。

「……あんた達、なにしてんの?」

冷徹とも言える声が、私とエルの世界を断ち切った。振り返ると、ゾラが頬杖をつき、膝を抱えてしゃがんでいた。口元にはうっすらと笑み。

「続けて構わないわよ。……いや、続けていいわよ?」

その声は皮肉っぽくも、どこか楽しげだった。

「こういうフレッシュで、かぐわしき姉妹愛ものってね、そう滅多に見られないからさ。まさかこんな地獄で観賞できるとは思わなかったけど」

私は反射的に身を離し、顔が一瞬で熱を持つのを感じた。

「ち、ちが……!」

何か言い訳をしようとするが、声が裏返ってまともに言葉にならない。だが、エルは違った。まだ私の手を握ったまま、にこりと微笑み、ゾラを真っすぐ見つめた。

その行動に私の顔はさらに熱くなる。 ゾラは唇を吊り上げて笑い、ポケットから小型端末を取り出した。

「じゃ、記念に一枚……いや、動画で撮っとこうか?お土産になるわよ」

軽口を残し、ゾラは肩をすくめてイリーナのもとへ歩いていった。 私は耳まで真っ赤なまま、どう冷やしていいかわからず顔をそむける。

けれど視線の先で、エルが柔らかな笑顔を浮かべていた。

――その笑顔は、さっきまでの血と涙に塗れた戦場には似つかわしくないほど、優しくて。

私は胸の奥がじんわりと温まるのを感じた。

だが、それも長くは続かずに衝撃音と共に終わる。

――昇降機の底部から、地の底を割るような重低音が鳴り響いた。金属フレームが震え、空気が揺らぐ。

ただの爆発音ではない。地そのものがうねったような響きだ。イリーナが反射的に操作盤に飛びつき、下方カメラを映し出す。

全員が手すりに駆け寄り、闇の底を覗き込む。

――そこには、赤い光。

地中で煮えたぎる溶岩のような光が、ぐつぐつと蠢いている。熱気が一気に押し寄せ、肌が焼けるように熱い。

「……溶岩だ。発電所を吹き飛ばした反動が、地下マグマを引き寄せた。この速度なら問──」

イリーナの声は途中でかき消された。

今度は爆音ではなく――咆哮。何かが目覚めたような、低く深い唸りが、地の底から這い上がってきた。溶岩の光が脈打つように揺れ、まるで何か巨大なものが息をしているかのようだった。

「……今の、マグマの音じゃない」

シルヴィアの声はかすかに震えていた。この穴に得体の知れない寒気が這い上がってきた。

突如、突き上げられるように揺れた。鉄骨が軋み、ワイヤーが悲鳴のような金属音を上げる。

「なッ――!?」

下を覗いた瞬間、胃の奥がひっくり返った。――“それ”は地獄から這い上がっていた。

赤黒く焼け爛れた塊。かつて人間だったことをかろうじて思わせる輪郭。だが、今は肉と骨の境界を失い、粘液に覆われた無数の組織が不気味にうごめいている。

「……う、そだろ……」

誰かの震える声が耳の奥で弾けた。

それは溶岩ではなかった。それは――カリムだった。

「見ろ!!このッ……無惨な“姿”を!」

その声は怒りではなく、歓喜で満ちていた。片側の頭蓋は炭のように崩れ落ち、空洞化した眼窩から白濁した粘液がだらりと垂れる。

胸からは触手が十数本生え乱れ、まるで樹木の枝のように脈動し、先端からは鋭い骨の槍が生えていた。全身の皮膚は硬質化し、焦げた脂がひび割れた岩のようにパリパリと音を立てるたび、下層に潜む血管が赤黒く光を放つ。

「お前がやったんだぞォ、ミアッ!!」

その咆哮は怒りを通り越している。全てを喰らい、全てを融合することこそが、奴の“進化”――歪んだ理想。

「来るッ!!」

壁をクモのように這い、蛸のような軌道で跳躍したカリムは、昇降機へ飛びかかった。触手が昇降機の荷台に突き刺さる。鉄板がへこみ、ボルトが弾け飛ぶ。

昇降機全体が横に大きく振られ、全員が手すりを掴んで体勢を崩す。 警報が鳴り響く。操作盤が火花を散らし、構造が悲鳴を上げる。金属が破裂音のようにひしゃげる。

「あいつ……乗ってきた!」

エルが私の身体を抱え込み、庇うように覆いかぶさった。

「撃ちます!全員、伏せてッ!」

ダリアが叫び、グレネードランチャーを数発撃ち込む。爆炎と破片がカリムを包み込み、煙と血肉が四散した――はずだった。

「ハハ!死なんぞ……死なん!」

煙が晴れたとき、そこには再生しきった肉体があった。もはや生物の枠を逸脱した“何か”。鉄より硬い筋組織が黒光りし、焦げた表皮の隙間から蒸気のように熱気が立ち昇る。焼けば焼くほど強くなる――そんな狂気を纏っていた。

「私はッ!次の人類だ!」

その肉体は、もう“生物”ではなかった。鉄にも似た強靭な組織。焦げた脂が、肉の再生を加速する。

そして――荷台の中央から突き破った触手が、一直線に飛び出した。鋭く、太く、蛇のように滑らかで――狙いは――私。

「……ッ!!く、そォ……!!」

咄嗟に避けようとしたが間に合わず、切断された左腕に触手が巻き付いた。

ただ掴むだけではない。侵食していた。触手の先端が針のように変形し、皮膚を突き破って体内に潜り込む。

血管に沿って這い上がる黒い線が、生き物のように蠢いていくのが見えた。焼け付くような痛みとともに、全身の神経が軋む。

私は絶叫したが、触手は止まらない。昇降機のフレームは悲鳴を上げ、ワイヤーがミシミシと軋み、――落ちる、そんな未来が脳裏をよぎる。

カリムは、まだ生きていた。いや、中途半端に“生まれ変わって”いた。そしてその狙いは、私ただひとり――強化細胞を最後に持つ、残された私だけだった。

「ミアァ!」

エルがすぐに反応し、私の胴を掴んで引き戻す。ダリアも横から加勢し、腕を絡めて必死に引っ張った。だが、奴の力は――絶望的だった。

「離れろ!」

シルヴィアが拳銃を乱射し、左腕に巻き付いた触手を撃ち抜く。弾丸が肉を削ぎ落とし、黒い体液が飛び散るが、すぐに再生する。

「チィッ……!」

イリーナが前に躍り出て、射撃で触手の基部を撃ち抜いた。肉片が飛び散り、何本かの触手は動きを止める――が、切断された触手の断面から新たな触手が芽吹くように分岐して伸びてきた。

「この女が……“最後の母体”だッ……!この血さえ取り込めばァ……私は、私はァ!」

カリムの口から漏れた声は、もはや言語ではなかった。泡立つ唾液が垂れ、床をジリジリと溶かす。

「マジで……キモイのよッ!!」

ゾラが咆哮し、対物ライフルを肩に担ぐ。スコープを覗く暇もなく、直感で引き金を引いた。

弾丸が触手の幹を撃ち抜き、肉塊が弾け飛ぶ。

――しかし。触手は即座に再生し、むしろ元よりも太く、硬くなっていた。

「効かないって……ありなの……」

ゾラが目を見開いたまま引きつった声を漏らす。その時――私の左腕の断端に絡みついた触手が動いた。皮膚の下に黒い筋が這い込み、血管を伝って肩口にまで伸びる。

「くそッ!!……っあああああああァァアアッ!!!」

筋肉が痙攣し、皮膚が裂け、血が逆流する。――同化が始まっていた。

「ダメッ……!ミアが、ミアが……!」

エルの絶叫が昇降機全体を震わせる。意識が遠のく。視界が赤く染まり、耳鳴りが頭蓋を揺らす。

――このままじゃ、私自身がカリムになる。理性が、恐怖に押し潰される前に、唇が勝手に動いた。

「……エル……っ」

振り絞るように言葉を吐き出す。

「――殺せッ!私を殺せ!このままじゃ……っ」

声が裏返り、呼吸が詰まる。それでも、エルの瞳をまっすぐ射抜いた。命を懇願する声。生への執着を捨てた、純粋な死の願い。

「そんなこと……できるわけ、ないでしょ!!!!」

エルは泣き叫び、私を抱き締めた。

骨が軋むほどの力で――絶対に手放さないと誓うかのように。

しかし、触手は私の身体をなおも引きずり込む。左腕の断端に巻き付いた触手が、体内へ侵食を進めながら引く力を増していた。

昇降機がガタンと大きく傾ぐ。背後ではもう一本の触手が荷台に這い上がり、金属が悲鳴を上げた。

「もう……時間がない!!」

シルヴィアが叫ぶ。だが、カリムの咆哮がそれをかき消した。

――カツン。

何かが足元に転がった。銀色の、アタッシュケース。エルの目が見開かれた。汗と血で濡れた頬に、希望とも焦りとも言えない光が走る。

「……これだ!!」

その声は、決意というより絶叫だった。

「ダリア!ミアを――絶対に離さないで!!」

「え、な……!? ちょ、待てエル――!」

だが、もう止まらなかった。

エルはアタッシュケースを開けた。中には――彼女自身の血から作られたサンプル。“強化細胞”、最後の一滴。

それは妖しく光り、赤黒い渦を描いていた。迷いなど存在しなかった。

震える手で注射器を掴み、私の肩に押し当てる。

「……ミア、ごめん……少しだけ……我慢してね!!」

冷たい針が筋肉を突き破り、液体が一気に流れ込む。一秒間の静寂――世界が呼吸を止めた。

次の瞬間、爆音のような悲鳴が空間を引き裂いた。

「な……に!?違う、これは、違う!」

カリムの声は絶叫というより、臓腑をひっくり返す獣の吠え声だった。

私の中で――“強化細胞”がエルの血を拒絶した。同化ではない。否定だ。排斥だ。細胞同士が殴り合い、互いを破壊する。

それは即座に、カリムの肉体に逆流した。

膨張、収縮、裂傷――赤黒い肉が泡立ち、骨が変な方向に突き出し、千切れた血管からは煙のような蒸気が噴き出した。

「やめろ!この血は、私のものだ!」

昇降機全体が悲鳴を上げるように揺れた。鉄骨が軋み、床下から嫌な振動が足の骨を震わせる。左腕に絡みついていた触手が――内側から発火するように泡立った。

ブクブクと血のような泡を吹き、生肉が煮え立つ匂いが鼻を突く。皮膚が焼ける音が、耳の奥でじゅうっと鳴った。

「ッああああああああッ!!!」

歯を食いしばっても止められない震え。

「離れろォォッ!!!」

エルが叫び、腕に絡みついた触手を素手で掴んで引き剥がす。肉と異物がねじ切れる音が、骨の髄にまで響いた。 血と粘液が弾け、エルの腕に生温い液体が降りかかる。

その瞬間――私の腕から触手が引きちぎられた。カリムの肉体が絶叫する。声ではない、空気そのものが裂けるような振動だった。全身の肉が波打ち、触手が暴走するように壁や床を無差別に叩き壊す。

血と粘液の飛沫が空間を覆い、 鉄と腐敗臭が混ざった“匂い”が鼻腔を焼き、吐き気を催させる。

「……エル……」

声はかすれていた。涙と血で顔がぐっしょり濡れている。

「もう……終わらせよう。ここで……全部」

エルの青白い唇が、わずかに笑んだ。それは絶望でも諦めでもない――覚悟だった。そして一瞬だけ黙り込み、そして頷いた。瞳から、涙が一粒だけ落ちた。

「絶対に……終わらせる。今度こそ……絶対に」

その時、カリムが笑った。半分崩れた顔。白濁した目。裂けた口。

「まだだ…まだ私は終わらん。お前の世界は!」

巨大な触手が最後のあがきのように私へ伸びる。骨と筋肉が軋み、風圧で髪が逆立つ。触手の先端には歯のような棘――血を求める獣そのもの。

だが――。

「一人で、地獄に堕ちなさいよ!」

エルの絶叫が空気を裂いた。それは恐怖を断ち切るための叫びではない。私を守り抜く、ただ一つの誓いの叫びだった。

その瞬間――四人の指が引き金を絞る。 火花が爆ぜ、薬莢が宙を舞い、硝煙の匂いが一気に広がる。

シルヴィアのショットガンが触手を粉砕し、イリーナのマシンガンが肉を削り、ゾラの対物ライフルが胴を貫き、ダリアのグレネードが腹部を吹き飛ばす。

そして――エル。

銀色のマグナムが轟音を吐き出し、弾丸が正確にカリムの眉間を撃ち抜いた。頭蓋が内側から破裂し、黒い閃光が脳髄の奥で炸裂する。

カリムの絶叫が、狂気と怨嗟と……わずかな哀願すら混じった最期の声に変わった。

「お前たちのせいだ!お前たちッ、このッ、悪魔どもめ」

その声は――地獄の炎に掻き消された。崩壊したカリムの肉体が手すりを破って、真下の溶岩へと叩きつけられた。

火柱が天を突き上げる。肉と骨と夢と絶望、すべてを飲み込む――地獄の業火。

――カリムの最期だった。その光景を見届けながら、エルは泣きながら私を抱きしめた。

私もまた、力なく笑って、ただエルを抱き返すことしかできなかった。

――そして。

耳が痛いほどの静寂。昇降機はゆっくりと揺れ、金属の擦れる音だけが響いていた。

全員が床に手をつき、動かなかった。荒い呼吸。熱い血と汗の匂い。筋肉は限界を超えて震え、指先から感覚が消えていく。

何も考えられない。ただ生きていることだけを確認していた。

昇降機は深い穴を登り続ける。暗闇がゆっくりと後ろに流れていく。

耳の奥で鼓動が響き、肩で掴んだ酸素が、肺を焼くように痛い。

――やがて。

頭上に差し込む、一本の光。ゾラが掛けたクレーンの先、その裂け目から、朝の白い光が零れていた。

「……太陽だ……」

誰のものか分からない、乾いた声。その声に全員が顔を上げる。

眩しい光に、瞳が痛む。それでも視線を逸らさない。その光は、また見ることはできないと思っていた。

「……終わったのか……?」

声はかすれ、消え入りそうだった。エルは、無言でうなずく。その頬を伝った涙が、血で汚れた床に落ちて小さな跡を残した。

わずかに笑い、唇を震わせた。

「……なあ、エル」

「明日の朝飯……頼んでもいいか?」

エルは声を詰まらせ、泣き笑いになった。

「……うん……とっておきの、ポーチドエッグを作るよ!」

昇降機が白い光に包まれていく。血と焦げた肉の匂いがまだ身体にまとわりついていたが、それでも、肩から力が抜け、呼吸が少しだけ楽になった。

新しい朝が、ようやく――訪れた。

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