汚れた硬貨
をはち
汚れた硬貨
真鍋一也は、夜の神社に忍び込むのが常だった。
月明かりに照らされた境内は静寂に包まれ、わずかに風が木々を揺らす音だけが響く。
彼の目的は賽銭箱だ。
賽銭泥棒――それが彼の「趣味」だった。
賽銭から得た小銭を握り、近隣のパチンコ店で遊ぶ。
仕事で稼いだ金で賭け事をするのは愚かだと彼は考えていたが、賽銭なら話は別だ。
「どうせ神様は金なんぞ必要としない」と彼は笑いながら呟いた。
「それに、硬貨を銀行に預けると手数料がかかる時代だ。
俺がこの汚れた小銭をパチンコで使ってやれば、神社の負担が減る。世の中のためだよ」と、
彼は自分を正当化する理屈を並べ立てた。
賽銭箱の中には、何年も放置されたままの汚れた硬貨が溜まっていた。
10円玉は緑に変色し、50円や100円玉は黒く錆びついている。
それらをキレイに洗浄して「救い出し」、世の中に再び流通させるのが彼の役目だと、半ば本気で信じていた。
だからこそ、紙幣には決して手をつけなかった。
それが彼のルールだった。
ある夜、いつものようにパチンコ店を出た一也は、ポケットに手を突っ込んだ。
そこには、覚えのない硬貨が数枚混じっていることに気づいた。
薄暗い街灯の下で硬貨を手に取ると、どれも見覚えのある緑や黒の汚れに覆われていた。
賽銭箱から盗んだような、錆びついた硬貨だ。
しかし、その夜、彼は神社に近づいていなかった。賽銭泥棒などしていないのだ。
「なんだこれ?」
彼は眉をひそめ、硬貨を握りしめた。不気味な冷たさが指先に伝わる。
パチンコで使い切ったはずの硬貨とそっくりだったが、記憶にはない。
気味が悪いと思いながらも、彼はそれを財布に放り込み、家路についた。
翌日、パチンコ店でいつものように硬貨を投入していると、再びあの汚れた硬貨が手に戻ってきた。
投入口から弾かれたわけではない。
確かに使ったはずなのに、ポケットの中でまた現れる。
10円、50円、100円――どれもが錆びつき、黒ずんだままだった。
一也の背筋に冷たいものが走った。
「まさか…」彼は呟き、財布の中身を改めた。
そこには、昨日まで確かにあったはずの紙幣が一枚もない。
代わりに、汚れた硬貨がぎっしりと詰まっていた。
まるで、紙幣が知らぬ間に硬貨に「両替」されたかのように。
それから一也の日常は、徐々に異様なものへと変わっていった。
どれだけ硬貨を使っても、ポケットや財布には同じ汚れた硬貨が戻ってくる。
パチンコ店で使い切っても、コンビニで支払っても、翌朝には再び現れる。
しかも、その数は増えていく。
ポケットが重くなり、ズボンが下がるほどだった。
硬貨はまるで意思を持っているかのように、彼にまとわりついた。
ある晩、ついに我慢の限界に達した一也は、硬貨を全てゴミ箱に叩き込んだ。
「もううんざりだ!」と叫びながら、ゴミ袋を縛り、遠くのゴミ捨て場まで運んだ。
だが、翌朝、目を覚ますと、ベッドの周りにあの硬貨が散らばっていた。
床一面に、緑と黒の汚れた硬貨が、まるで這うように広がっている。
恐怖に震えながら拾い集めようとすると、指先が異様に冷たく、まるで硬貨が彼の体温を吸い取るようだった。
一也は気づいた。
硬貨は増えるだけでなく、彼の「金」を侵食しているのだ。
財布の中の紙幣は次々と消え、代わりに汚れた硬貨が現れる。
銀行口座を確認すると、残高が目に見えて減っていた。
まるで、硬貨が彼の所有する全ての金を「汚染」しているかのように。
ある夜、一也は意を決して神社に戻った。
賽銭箱の前に立ち、震える手で汚れた硬貨を握りしめた。
「返せばいいんだろ? もうやめるから、許してくれ!」
彼は叫び、硬貨を賽銭箱に叩き込んだ。
だが、その瞬間、賽銭箱から低い唸り声のような音が響いた。
暗闇の中で、何かが動く気配がした。
振り返ると、境内の木々がざわめき、月明かりが一瞬消えた。
次の瞬間、一也のポケットが重くなった。ズボンが引きちぎれそうなほどの重さだ。
恐る恐る手を入れると、そこには無数の汚れた硬貨が詰まっていた。
どれだけ捨てても、どれだけ使っても、硬貨は増え続け、彼を追い詰めた。
数日後、一也の姿は町から消えた。
誰も彼がどこへ行ったのか知らない。
ただ、夜の神社では、時折、賽銭箱の周りで奇妙な音が響くという。
硬貨が擦れ合うような、冷たく乾いた音。
そして、境内には、緑や黒に汚れた硬貨が散らばっている。
まるで、次の「誰か」を待っているかのように。
汚れた硬貨 をはち @kaginoo8
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