安楽競争

澱傍織

安楽競争

20××年、奇妙な麻薬が世界中に出回るようになった。

たった一錠で安楽死ができる、というものだ。

蓄積してゆく中毒症状に苦しみ喘ぎ、オーバードーズに陥った末に苦しんで死ぬ。

或いは、劇薬であることを知らずに吸引し過ぎて無知な者が犠牲となる。

そういった従来の麻薬とはまるで異なる、ただ安らかな死を与えるだけの薬。

年々増加する貧困格差、地球資源の枯渇、思想の弾圧によって追い詰められていた人類にとって、その薬は天からの贈物のように注目を集め、取引された。


しかし国家にとってこの薬は、かつて大陸を凌辱したかの麻薬を凌駕する勢いで脅威となった。

特に自殺大国と呼ばれていた日本では自殺者数の増加は深刻なものとなり、若い年齢層の者ほどこの薬に手を出しやすいという状況も国をみるみるうちに先細らせた。

政府は徹底的に流通ルートを洗い出し、神話上の逸話から「セイレーン」と名付けられた安楽死薬の入手を困難にした。

だが、医療上の認可を得ず、安楽死が得られる魔法のようなこの薬は流通量が下がり、どれだけ相場が高くなろうとも欲しがる者が後を絶たなかった。

今ではセイレーンの奪い合いを巡る殺傷事件も、ありふれた光景となっている。


セイレーンが出回った当初、中毒性によって継続的な客を維持する従来の麻薬ビジネスとは真逆をゆくこの薬の存在に、疑問符を浮かべる人も少なくなかった。

客が死んでしまっては意味がない。この薬を作り、最初に流通させた者はいったい何を考え、この悪魔のような発明に手を染めたのか。


とはいえ、世界中に流通した今となっては明白だ。

セイレーンはビジネスとして成功している。どれだけセイレーンで人が死のうとも、それ以上に求める人間が後を絶たず、人口の減少を恐れる国家が規制することで逆に単価が吊り上がる。

苦痛を伴わない死はそれほどに魅力的であり、世界がより恐慌に陥ろうとも人々を熱狂させる。

今朝はお隣さんがセイレーンの所持を疑われて撲殺された。結局、あの人は持っていなかったが……。

持っていたのは私だ。ようやく、手に入れた。

今朝の殺人犯は、偶然それを噂として嗅ぎ付けたのかもしれない。

確度の低い情報のせいで、お隣さんは犠牲となった。

胸が痛むが、この痛みもすぐに消える。

戦争が科学技術を発展させ、兵器の増産で経済を潤し、幾度も文明を次のマスへと進めてきたように、大量の死をばら撒くビジネスが、現代では死そのものを与えるビジネスへ転じたにすぎない。

今日もどこかで誰かが死ぬ。私もその一人として、消えてゆく

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安楽競争 澱傍織 @orinoori

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