扉の向こうの怪異譚

@Hakke_atarumo

囁く階段#1 〜プロローグ〜

 ――日常に潜む異常、都市の片隅で囁かれる噂。 見えないはずの”何か”が、確かにそこに存在する。 理不尽に見えて、理屈がある。 これは、怪異に取り巻かれた現代で、抗おうとする者たちの記録――

 


「また、だ」

 俺――高坂蓮は、スマホの画面を睨みつけた。

 SNSのタイムラインに流れてくるのは、同じ大学に通う友人たちの投稿。いや、正確には元友人たちと言うべきか。

『高坂に気をつけろ』

『アイツと話すと不幸になる』

『マジで呪われてるんじゃね?』

 きっかけは些細なことだった。

 二週間前、俺と一緒にいたゼミ仲間の田中が階段から落ちた。病院に運ばれたが、幸い骨折だけで済んだ。でも、その三日後には別の友人が原因不明の高熱で入院。一週間前には、俺の隣の席だった水野さんが自転車で転倒して、救急車で運ばれた。

 全員、命に別状はない。

 でも、タイミングが悪すぎた。俺と関わった人間が次々と不幸に見舞われる。そう思われても仕方がない状況だった。

「呪いなんて、あるわけないだろ……」

 呟きながらも、心の奥底では確信していた。これは偶然じゃない。

 大学の階段を降りるたび、誰かの視線を感じる。教室に入るとき、ドアの向こうから何かが覗いているような気配がする。そして、時折聞こえる――囁き声。

『れん……』

『たかさか……れん……』

 名前を呼ぶような、呼ばないような。風の音かもしれない。気のせいかもしれない。でも、確かに聞こえる。

 講義が終わり、俺は誰もいない廊下を歩いていた。もう誰も俺に近づかない。話しかけてくる人間もいない。まるで、俺の周りだけ見えない壁があるみたいだ。

「高坂くん」

 背後から声をかけられて、俺は驚いて振り返った。

 そこにいたのは見知らぬ女子学生。いや、見覚えがないわけじゃない。確か同じ学部の二年生で、名前は――

「初めまして。私、森川美月です」

 彼女は不安そうに俺を見上げた。小柄で、肩にかかる黒髪を耳にかける仕草が印象的だった。

「あの、ちょっと相談があって。高坂くんも、同じだと思うから」

「同じ?」

「私も……なんです。最近、変なことばかり起きて。周りの人が怪我したり、病気になったり」

 俺は息を呑んだ。

「それで、SNSで『呪われてる』って噂されて。でも、私、何もしてない。何が起きてるのか、わからなくて……」

 彼女の目には涙が浮かんでいた。


 その瞬間、俺のスマホが震えた。森川さんも同時にポケットからスマホを取り出す。

 画面には、同じメッセージが表示されていた。

『困っているなら、相談室へ。扉は、あなたの一番近くにあります』

 送信者不明。着信履歴にも記録されていない。

「これ……」

「私にも来てる……」

 森川さんが震える手でスマホを見せてくれる。全く同じ文面。同じタイミング。

『扉は、あなたの一番近くにあります』

 俺たちは顔を見合わせた。そして――気づいた。

 廊下の突き当たり、今まで確実に無かったはずの場所に、扉が現れていた。

 古びた木製の扉。現代的な大学の建物には明らかに不釣り合いな、骨董品のような佇まい。取っ手の上には奇妙な装飾――一つ目のマークが刻まれた賽が埋め込まれている。

「何、あれ……」

 森川さんの声が震えている。

 俺も動揺していた。でも、立ち止まっている場合じゃない。このまま何もせず、周りの人間が不幸になっていくのを見ているだけなんて、できるわけがない。

「行こう」

「え?」

「この状況を変えられるかもしれない。少なくとも、何が起きてるのか知る手がかりになる」

 俺は扉に向かって歩き出した。森川さんも、迷いながらついてくる。

 扉の前に立つ。木の質感、賽の冷たさ――全てが異様にリアルだ。幻覚じゃない。

 取っ手に手をかけた瞬間、頭の中に声が響いた。

『ノックはいらない』

 なぜかそう確信して、俺は扉を開いた。


 扉の向こうは――俺たちが知る世界とは、明らかに違う空間だった。

 薄暗い室内に、本棚がずらりと並んでいる。図書館のようでもあり、古書店のようでもある。天井は高く、どこまで続いているのかわからない。窓はないのに、どこからか柔らかな光が差し込んでいる。

 そして、部屋の中央。カウンターの向こうに、一人の男が座っていた。

 銀髪に青い瞳。紺のスーツを着て、ループタイの留め具には――サイコロが光っている。

 男は顔を上げ、少し驚いたような表情を見せた。

「おっと、珍しい。ようこそ、何かお困りで?」

 その声は、どこか人を食ったような響きを持っていた。俺は戸惑いながらも口を開いた。

「あの、メールが来て……」

 スマホを見せようとすると、相談員と名乗る男は首を傾げた。

「メール? そんなもん俺ぁ送ってないが――」

 彼はスマホの画面を覗き込み、目を細めた。

「ははぁん、なるほど。アイツか」

「アイツ?」

「ったく、回りくどいことしやがる。まあいい」

 相談員は椅子に深く座り直し、俺たちをじっと見た。

「で、お前ら。何があった? 最近、妙なことが起きてるんだろ?」

「どうして……」

「そうじゃなきゃ、ここには辿り着けない。この扉はな、『本当に困ってる奴』にしか見えないようになってる」

 彼は軽く指を鳴らした。すると、カウンターの前に椅子が二つ現れた。

「まあ座れよ。立ち話もなんだ。俺は相談員――怪異関連の何でも屋みたいなもんだ」

「怪異……?」

 森川さんが不安そうに呟く。

「ああ、知らねえか。そりゃそうだ、普通は知らないもんな」

 相談員は肩を竦めた。

「簡単に言えば、理屈じゃ説明できない『異常』のことだ。幽霊とか、呪いとか、都市伝説とか――そういうのの総称だと思ってくれ」

 俺は森川さんと顔を見合わせた。

「それで、話してくれ。いつから変なことが起き始めた? どんな現象だ?」

 促されて、俺は自分の身に起きたことを話し始めた。二週間前からの不幸の連鎖、SNSでの噂、そして――

「囁き声……」

「ん?」

「夜の階段で、名前を呼ぶような声が聞こえるんです。誰もいないのに」

 相談員の表情が変わった。

「私も……同じです」

 森川さんも震える声で付け加える。

 相談員は深く息を吐き、額に手を当てた。

「あー、なるほどな?そりゃあ厄介なやつだ」

「知ってるんですか?」

「心当たりがある。お前ら、その囁きを聞いた時――振り返ったろ?」

 その言葉に、俺は息を呑んだ。確かに、振り返った。声の主を確かめようと。

「やっぱりか。悪いが、それは気のせいじゃない」

 相談員は真剣な目で俺たちを見た。


「お前らは――怪異に、選ばれちまったんだよ」


 その言葉が、全ての始まりだった。

 俺たちの日常は、もう元には戻らない。

 でも――ここから、戦いが始まる。

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