切ない白

沙華やや子

切ない白

 美南湖みなこ朝都あさとは燃え上がる火の粉のように激しく、そして地に揺蕩たゆたう水のように煌めき時にセンチメンタルに……優しく、深く愛し合っている。


 朝都あさとには妻子がある。


 ふたりはインターネットのサークルで出逢い、初めは遠い街に暮らす友人同士だった。

 美南湖みなこにもその時家庭があったが、朝都あさとが好きな余りに離婚をした。ふたりはスマホの画像と、電話の声だけで、絡みつくように愛を深めていった。

 果ては、地方に住まっていた美南湖みなこ朝都あさとが暮らす東京まで引っ越してきたのだ。


 美南湖みなこ朝都あさとに妻子があろうとも、好きで……ただただ朝都あさとだけが純粋に大好きで、ふたりは滅多に逢えぬが、逢えば銀河の中でいだき合い、1つずつ星を摘む。いちご狩りのように。……大切に、保証や未来に惑わされぬよう、見つめ合い、手にしたカケラをかざし合う。


 この光があるからふたりは呼吸ができる。


 10月のある日、美南湖みなこは、東京から故郷へ向かう高速バスに乗った。


 前日、シーツにくるまりながら美南湖みなこが言った。「朝都あさと、明日のバスで帰ってきますね」「気を付けて帰っておいで、美南湖みなこ」と彼女の長い髪の毛を手櫛でとかしてやる朝都あさと


 翌日の夕方、美南湖みなこを乗せたバスはなんと……ハイウェイで横転し燃え上がった。


 美南湖みなこは死んでしまった。


 朝都あさとだけを求め続けた、美南湖みなこ朝都あさと美南湖みなこを、この世のたったひとりの女として愛したのだ、最期まで。


 朝都あさとは……自分の体の一部が千切れたように痛がった。

 家族があるから自宅で泣くわけにもいかず、車でお気に入りの川原まで行き思いきり泣いた。


 荼毘だびにふされた美南湖みなこの遺品を整理した、彼女より二十四にじゅうしも長く生きている美南湖みなこの母親が「あたしは読みません。でもきっとあの子は……朝都あさとさんに読んで欲しいだろうから」

 と、美しい菫色の分厚い日記帖を朝都あさとに渡した。


 震える手で受け取った朝都あさとは、美南湖みなこと初めてデートした神奈川の海岸へ行き、日記帖を開いた。数々の愛し合った想い出と、囁き合ったロマンチックな言の葉が綴られていることだろう……。

 朝都あさとはなんだか待ちきれない気がし、まず最初は、途中までザーッとページをめくった。

 そして、今度は最初から1ページずつ丁寧に読んでゆく。


『1月10日 晴れ 良いお天気で気持ちイイ。空気は凍っているが乾燥してるから、お洗濯物がよく乾きそう。今日がステキな一日になりますように』……『5月23日 曇り 春だというのに蒸し暑い。お花の季節で嬉しい。写真をもっと撮りたいな……』『12月12日 雪 空から妖精舞い降りた。テレビを観てると、東京の人はちょっぴり積もっただけで大騒ぎするって。面白い』……。


 朝都あさと美南湖みなこと初めて電話をし、愛らしい声を聴いた日を、ふたりでこの海辺で初デートした日を、しっかりと憶えている。


 しばらくページをめくって行くと、ここだ! ここを開けば……オレたちの想い出が書かれているんだな……それはふたりが初めて逢った日。声だけでずっともどかしかった。やっと逢え、朝都あさとは夜も眠れぬほどときめき、美南湖みなこというさだめの宝石を見つけたことに胸が高鳴ったのだ……。


 しかし、そのページは空白だった。

 ふたりで熱く過ごした3日間は空白として空けてある。


 読み進めてゆくと、そんななんにも書かれていない日が時々現れた。

 朝都あさとだけにわかる。

 それらはぜんぶ、美南湖みなこ朝都あさとが愛し合った日だった。

 そういえば、さっきあった1ページの空白は? ……なにも考えなかったが、もう一度ページを戻り日付けを確認した……。やはりそうだ。

 それは朝都あさとが、地方に暮らしていた美南湖みなこに初めて電話を掛けた日だった。


 夢のない現実的な考えで言えば証拠隠滅なのか。それは否めないが、美南湖みなこは……こうやって空白の中に想いの限りを書き込んだのだ。


 愛が零れている。後ろ指をさされても、失う訳には行かなかった恋慕。

 朝都あさとの涙がボロボロ止まらない。


 こんなに狂おしい空白というものがここにある。

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切ない白 沙華やや子 @shaka_yayako

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