エピローグ

 異変に気付いたのはほどなくしてだ。


 魔法を使った後、しばらくして記憶が混乱する。今日がいつのなのか、ここがどこなのか、何をしていたのか。一時的に分からなくなるのだ。

 症状は短時間で自然回復する。だがまれに半日ほど続いて、寝込んでしまう学生も現れた。


 それは学生だけではなく、教師にも、全世界の魔法使いたちにも、平等に現れたのだ。


「おそらく、『森羅』を開いたことで、全魔法に影響が出たのだと考えられます」


 学院長室でナナク教授が伝える。後ろにはカヴィルとリザンもいた。


「一つの魔法が全ての魔法へ影響する。その仮説を立証できますか、教授」


「魔法は一つに繋がっている。これは長年魔法を研究している者なら誰でも、言葉ではなく肌で感じていることだと思います。学院長もそうではありませんか」


 学院長は顔の前で手を組み、少し考えた。


「大魔法使いアマルナは、どんな魔法も使いこなせたといいます。なぜかとたずねた弟子へ、それは魔法が一つであるからと答えた。そう伝えられていますね」


「私は『森羅』こそが最初の魔法だったと考えます。死から生へと辿る。それが人の求めた魔法の起源に思えるのです。古代に神格化された王や神は、『森羅』を扱える魔法使いだったのかもしれません。ですからすべての魔法の祖である『森羅』が、派生した魔法と繋がっているというのは、ごく自然な考えといえます」


「これから検証するべきですね」

「仰る通りです。それとは別に、カヴィルからもよろしいでしょうか」


 学院長が頷くと、カヴィルが一歩出る。


「私からは『森羅』を開いた者として、あくまで主観の話になります。『森羅』は、他の魔法とは全く違います。例えるなら、未知の魔法生物を相手にしているようでした」


 それはナナクにとっても、リザンにとっても経験の範囲を超えることだった。

 基本的に魔法は無機物を生成するものであり、魔法陣は構造体である。魔法が生きているなど、感じることはない。


「『森羅』にはまるで意志があるような感じさえします」

 

「魔法が……意志を持つですって?」


「これは後から知ったのですが、あの時、第三層で出力が不足すると分かっていたリザンは、自分の命を魔力に変換しました」


「推測はしていました。五層構造の魔法陣では、リザン一人の魔力量には無理があるものね」


「リザンの魔法陣と繋がった『森羅』は、リザンの命を喰った。その時、因果など関係なくジャジを救いたいというリザンの純粋さと、共に過ごした喜びの記憶を受け取ったんです」


 カヴィルはリザンをちらりと振り返る。安心しろという目をしていた。


「長い長い古代の眠りから醒めた時、最初に得たものがそれだとしたら。あまりに鮮烈で愛おしいと感じませんか」


 学院長はカヴィルを凝視している。魔法が意思を持つなどあり得ない。だが、その常識に囚われまいと己を戒めているようだ。


「だから『森羅』はすべての魔法を利用して、リザン以外の人の記憶に接続したがっていると考えます」


 魔法が人の記憶や思いを欲しがっている。ぶっとんだ発想だが、ナナク教授は神妙な面持ちで頷いている。この場に至るまで、二人が何度も夜中まで議論を交わしているのを、リザンも知っていた。


「確かに主観ですね。少なくとも今の私には分からない感覚です。しかし否定する根拠も私は持ち合わせません。今後、教授の仮説と合わせて立証していくことはできますか」


「もちろんです。実は、『森羅』がうまく発動するかは半信半疑でした。当然、試したことはありませんでしたので。でもうまくいったのは、リザンの命の代償があったからでした。私の『森羅』はまだ不完全です。だから『森羅』はこれから、リザンを求めると思います」


 学院長の視線がリザンへと移る。本気で心配してくれている、慈愛のこもった目だ。そして威厳のある声で告げる。


「ナナク教授、カヴィル、リザン。二度と『森羅』を使うことは禁じます。これを破れば、もう私では庇いきれません。いいですね」


「理解しています」

 

「しかし事態が事態ですから、研究は許可します。全魔法に影響を及ぼしていることを立証し、発表しなければならない時が来るでしょう。その時、世界が破滅へ向かうことのないよう、私とあなたたちには対処していく使命があります」


 三人は頭を下げる。

 ——これは、リザンの身勝手が招いた結果。そして使命なのだ。


「必ず『森羅』を解析し、手なずけてみせます」


 顔を上げたリザンは、まっすぐに言い放った。

                  ≪END≫


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円環サンクチュアリ 乃木ちひろ @chihircenciel

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