16 禁術ー④
謹慎棟は島の北西部にある、廃れた納屋のような建物だった。部屋に荷物を取りに戻ることは許されず、ジャジやラムゥに会うこともできていない。
教室から廃棄になった机椅子と、湿った寝台だけがある個室で、リザンは立ち尽くしてしまった。一人きりの部屋が、随分と久しぶりに感じたのだ。この島に来るまでは、ずっと一人だったというのに。
寝台の横の壁からゴン、と鈍い音がする。はっとして駆け寄り、壁を叩き返した。
「カヴィル?」
「頭ぶつけた。ずいぶん薄い壁だな」
狭い寝台だ。横になろうとしてぶつけた様子を想像して、リザンは笑った。それから、ずっと言えなかった言葉を伝える。
「ごめん。俺のせいで、カヴィルにまで迷惑かけて」
「そんな予感はしてたよ。部屋を抜け出した時に声をかけるべきだったかな」
「起きてたの?」
「眠れるわけないだろう。ラムゥも起きてたよ」
「そっか。ラムゥ、怒ってるだろうな」
「おれもぶん殴られる覚悟はしてる」
しばらくして、反省文と大量の課題が届けられた。黙々と取り組めることがあるのは、せめてもの救いだった。たまに壁越しにカヴィルの口笛が聞こえて、他愛もない会話を少しだけ交わす。雨の日は小さな格子窓から吹き込み、部屋の中に水たまりができた。
謹慎棟から退出を許されたのは、十日後だ。
少しやつれた様子の二人に、学院長が言い渡す。
「二人とも学院残留を許可します。リザンはこのまま学生生活を続けなさい。カヴィルは正式に卒業とし、来年より講師として研究室を与えます。異議は認めません」
このまま野に放って好き勝手に研究したり、禁術に繋がる魔法を使われる方が厄介と判断されたのだ。望むものは与える代わりに監視下で大人しくし、研究成果は包み隠さず報告させる。そういうわけだ。
しかし学院内での立場はそのままでも、四人の関係性はそのままではなかった。
謹慎の間に、ラムゥはロト寮からファ寮へと引っ越していた。ぶん殴られることはなかったが、禁術に手を出した二人とはもう話したくないと語っていたらしい。構内で会っても、そっけない挨拶を交わすだけだ。
そして残っていたジャジも、学院を去るという。
「実家とは折り合いが良くないんじゃなかったの?」
「うん。だから世話になるのは一瞬だけだよ。できるだけ早く仕事を見つけて、自立できるようになるつもり」
ジャジの家は裕福な商家だ。独立するのにきっと、それなりの支援は受けられるのだろう。
「うん。元気でね」
もっと気の利いたことを言いたいのに、それしか出てこない。
「リザン。生き返らせてくれたのは感謝してる。家族は喜んでるし、すごい奇跡だ。でもごめん。どうしても素直にありがとうって言えないんだ。どうしても……」
感謝と罪悪感、困惑と恐れ。色んな感情が混ざって歪んだジャジの顔は、一生忘れないだろう。
「そんなのいいよ。ジャジが元気で、幸せでいてくれれば」
「そうだ、これ返さなきゃ」
ジャジが取り出したのは、赤い竜石だった。
「棺に入れてくれたんだよね。ずっと返しそびれちゃって」
「ジャジが持っててよ。餞別だから」
リザンは手で押しとどめる。
——離れ離れになっても俺たちのことを覚えていて。
そう言いたかったが、言葉にはならなかった。
季節は冬になっていた。
早くも雪がちらついている。二つ寝台が空いてしまった部屋で、外を見ていたカヴィルが「今夜は積もるな」と窓を閉めた。
「後悔してるか?」
リザンに問いながら、暖炉の三脚の上で温めていた銅の小鍋を持ち上げる。三度繰り返し、煮出したコーヒーを素焼きのカップへ注ぐ。「飲む?」と聞かれ、うんと頷いた。暖炉の前で座り込むと、蜂蜜を足したカップを手渡される。
ジャジもラムゥも、カヴィルが淹れてくれるコーヒーが好きだった。同じ豆や蜂蜜を使って自分で作っても、なぜかこの味にはならないのだ。
「してないよ。望んだ結果とは違うけど、ジャジが生きているならいい」
「因果律を反転させたとしても、必ずしも望む結果が得られるわけじゃないか。難しいな」
「カヴィルこそ、これで良かったの? 家にも帰れないんだよ?」
「おれは奴隷の子なんだ。意外でしょ。こんなに頭がよくて明るいイケメンなのに」
軽い口調だったが、リザンは笑えなかった。
リザンの故郷では、奴隷制度はとうの昔に廃止されている。だからこそ、その言葉の重さが胸に刺さった。
「母親が主人から乱暴されてるのを見て、怒りで魔法を暴発させた。そいつと屋敷と他の奴隷たちも、一帯が跡形もなく消し飛んだよ。母親もな」
コーヒーを含み、カヴィルは一拍おいた。リザンへ少しだけ微笑む。
「悪魔だと袋叩きにされて死にかけたのを、学院長が救ってくれた。だから故郷も家族もない。ここが家なんだ」
その家すらも手放す覚悟で、禁忌を冒してくれたというのか。 リザンは学院に残らせて欲しいと頭を下げながら。
「ごめん」と口を開きかけたリザンを遮るように、カヴィルが聞く。
「リザンこそ帰らなくていいのか」
「帰りたくなんかない。俺の家族の理解のなさは話したでしょ」
「それでもだよ。家族がいるにはいるんだから」
以前、夜中に火竜のミシュを一人待っていた時——カヴィルの横顔は、あの時と同じだ。
「俺は帰らないよ。カヴィルといたい」
ふっと笑い、カヴィルはカップに口をつけた。リザンも同じように笑って、コーヒーを飲んだ。
窓の外では、うっすら地面が白くなり始めている。雪が降ると、実家では一つしかない暖炉の前に家族全員で固まって過ごした。そんな時もリザンは、いつも少し離れたところで一人寒さに耐えていたものだ。
望んだ四人には戻れなかった。でも二人はもう、一人ではなかった。
大魔法使いアマルナが描いた世界は、苦しみや悲しみがありながらも温かい。凛としたターコイズブルーのドームの内側には、見えないほど細かい幾千万の喜びと喪失が蠢いているのだ。
一人で見た時は、どうしたら美しい世界へたどり着けるのか分からなかった。
生も死も蠢く世界が美しいかどうかは、正直分からない。けれど遠くから見上げるしかなかったあの頃よりも、今は少しだけ近づけた気がする。
一人ではできなくても、二人ならもっと近づけるはずだ。
暖炉の炎が揺らめいて、リザンの金色の瞳を照らした。
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