第24話:手料理

 リナとキナに野営の準備を任せ、俺はゲコとルフを連れて食料調達に向かった。

 VIT1の俺だが、装備とスキルのおかげで回避率は100%。敵の攻撃が当たることはない。だが、それはあくまで「死なない」というだけだ。ATK1の俺では、モンスターを倒して肉を手に入れるのは、あまりにも非効率すぎる。

 だからこそ、今夜の目的は戦闘ではなく、もっと平和的で、効率的なものだ。


 目的地は、この森の奥にあるという、世にも奇妙な湖。

 マップ情報によれば、その湖は水ではなく、黄金色に輝くオリーブオイルで満たされているらしい。月光を浴びて、水面がゆらゆらと揺らめいているのが見えた。周囲には、食欲をそそる芳しい香りが漂っている。


「よし、お前たちはここで待ってろ」


 俺はインベントリから、初心者用の釣竿を取り出す。

 狙うは、このオイルの湖にのみ生息するという、珍しい魚『オイルサーディン』だ。焼けば絶品らしい。ゲームといえど、食事は重要な楽しみの一つだ。


 俺がルアーを投げ込もうと、水面を覗き込んだ、その時だった。

 ぴちぴちと、銀色の魚影がオイルの上を跳ねた。

 それを見た瞬間、俺の隣で静かに待機していたはずのゲコとルフの目が、カッと見開かれた。


 二匹は、俺の持つ釣竿と、湖面を跳ねる魚を、交互に見比べている。

 その目は、明らかにこう言っていた。


『ご主人様、あんな小さな棒で、いつまで待つつもりだ?』と。


「あ、おい、待てお前ら!」


 俺の制止の声は、全く届かなかった。

 野生の本能が、ゲーマーの常識を遥かに凌駕する。


 ザッパァァァン!という、油が豪快に跳ねる音と共に、ゲコとルフは躊躇なく湖へと飛び込んだ。

 釣る?違う。狩るのだ。

 湖は、あっという間に二匹の狼が巻き起こすしぶきで大騒ぎになった。ゲコが獲物を追い立て、ルフが回り込んで仕留める。その見事な連携は、戦闘だけでなく、狩猟においても健在だった。


 数分後。

 全身をオリーブオイルでテカテカに光らせたゲコとルフが、口に何匹ものオイルサーディンを咥えて、意気揚々と陸に戻ってきた。その目は「褒めてくれ」と、きらきら輝いている。


「…………」


 俺は、一振りもすることのなかった釣竿を、静かにインベントリへ戻した。


「……まあ、結果オーライ、か」


 俺は呆れつつも、そのとんでもない猟果に満足した。だが、一つ問題があった。この二匹、頭のてっぺんから尻尾の先まで、完全にオリーブオイルまみれだ。


(このままキャンプに帰ったら、リナに何を言われるか……)


 俺が腕を組んで悩んでいると、ゲコが俺の足元にすり寄り、ブルブルッ!と体を震わせた。黄金色の油が、豪快に周囲へと飛び散る―――と、俺は身構えた。


「うおっ!やめろ!」


 だが、予想していた油の飛沫は、一滴も飛んでこなかった。

 代わりに、ゲコの体から、淡い銀色の光がふわりと放たれたのだ。

 月光を浴びたその光は、まるでオーラのようにゲコの全身を包み込み、体にまとわりついていたオリーブオイルを、光の粒子に変えて蒸発させていく。


 シャラララ……と、風鈴のような澄んだ音がして、光が収まった後。

 そこにいたのは、油で汚れる前よりもさらに美しい、艶やかな銀色の毛並みを取り戻したゲコの姿だった。隣にいたルフも、同じように体を震わせると、一瞬でその身を浄化してみせる。


「…………これが、月光狼の特性か」


 俺は、あまりにも幻想的な光景に、呆然と呟いた。

 テイムした時に読んだステータス欄の片隅に、パッシブスキルとして《月光の浄化》と書かれていたのを、今更ながらに思い出す。便利なスキルを持っていたものだ。


「まぁ、何はともあれ、これでベタベタで帰る心配もなくなったな」


 俺はすっかり綺麗になった狼たちを連れて、リナたちが待つキャンプ地へと戻った。


 焚き火の暖かな光が見えてくると、リナがこちらに気づいて手を振ってきた。


「おかえりなさい、マソスさん!すごい、大漁じゃないですか!」


 リナは、狼たちが得意げに吐き出した、銀色に輝く魚の山を見て目を丸くした。


「ああ。こいつらが、まあ、頑張ってくれてな」

 俺がそう言うと、ゲコとルフは「当然だ」とでも言うように、ふんと鼻を鳴らした。


「さて、どうやって食うか。串に刺して焼くのが一番手っ取り早いか」

 俺がそう言って、ナイフを取り出そうとした時だった。


「待ってください、マソスさん!」

 リナが、嬉しそうな、そして少し得意げな顔で俺を制した。彼女は、俺たちが獲ってきた魚を一匹つまみ上げると、その銀色の鱗をまじまじと見つめた。


「やっぱり、これ『オイルサーディン』ですね!よかった、私、これの特別な調理法、知ってるんです!」


「特別な?」


 俺が聞き返すと、リナはにっこりと笑い、インベントリから手際よく調理器具を取り出した。小さなフライパンに、使い込まれた調理ナイフ、そして、様々なスパイスが入った小瓶のセット。


「えへへ、実は私、ユニークレシピ【オイルサーディンのハーブ香草魔力焼き】っていうのを持ってるんです。始まりの街の料理ギルドで、ちょっとしたクエストをこなしたら貰えて」


 そう言うと、リナは慣れた手つきで魚を捌き、森で摘んできたのであろう数種類のハーブを刻んで、魚の身に丁寧にまぶしていく。

 そして、フライパンを火にかけると、魚から染み出た天然のオリーブオイルが、パチパチと心地よい音を立て始めた。


 ジュウウウッという音と共に、ハーブの爽やかな香りと、魚の焼ける香ばしい匂いが、キャンプ地いっぱいに広がる。

 そのあまりにも食欲をそそる匂いに、キナがごくりと喉を鳴らした。ゲコとルフも、そわそわと落ち着きなく尻尾を振っている。


 やがて、こんがりと黄金色に焼きあがった魚が、シンプルな木の皿に盛り付けられ、最後に何やらキラキラとしたものを振りかけた後、俺たちの前に差し出された。


 俺は迷わず皿に手を伸ばし、熱々の魚の身を一口大に崩して、フォークで口元に運んだ。立ち上る湯気は、ハーブの香りを凝縮させているようで、深く吸い込むと鼻腔の奥まで清々しさが届く。


「これ……。本当に料理ギルドのクエスト報酬か?」

 俺は思わず、そう呟いていた。


 そのまま魚を口に含む。パリッという、薄い皮が心地よく弾ける音が鼓膜に響いた。その瞬間、皮の内側から、信じられないほどふっくらと柔らかい身と、熱々のオリーブオイルのコクが、一気に舌の上に広がってくる。


「……うまい」


 まず濃厚な魚の旨味が口を満たすのだが、すぐにハーブの鋭い香りが全てを切り裂いて、口の中をリセットする。まるで脂の濃い料理を食べた後の、森の朝露のような清涼感だ。そして、最後に舌に残る、この微かな魔力特有の甘さが、全ての味の層を優しくまとめ上げている。


「ただ焼いただけの魚とは、全く違う。ハーブの風味が魚の旨味を最大限に引き出し、後味は驚くほどさっぱりしている。……これが、ゲームの料理か。とんでもないユニークレシピだな、リナ」


 すると、マソスの視界に、システムメッセージが表示された。


《あなたは『オイルサーディンのハーブ香草魔力焼き』を食べた!》

《満腹度が最大まで回復しました》

《一時的なバフ効果『活力の源』(VIT回復量アップ 大)が付与されました》


 俺が驚いていると、隣のキナも、おそるおそる一口、魚を口に運んだ。

 そして、次の瞬間、その大きな瞳をキラキラと輝かせ、夢中になって魚を頬張り始めた。その姿は、年相応の、食いしん坊な子供そのものだった。

 リナは、そんな俺たち二人の様子を、満足そうに、そして嬉しそうに眺めていた。


 焚き火を囲み、同じものを食べ、笑い合う。

 俺たちは、確かにただの寄せ集まりだったはずだ。

 だが、この瞬間、俺たちは、初めて本当の意味で「パーティ」になれたような気がした。


 和やかな時間が流れる。

 次の街への期待に胸を膨らませていた、まさにその時だった。

 俺の視界の隅に、半透明のウィンドウが点滅した。


《警告:連続プレイ時間が六時間を超過しました。現実世界での長時間の休息を強く推奨します》


 警告の内容は、俺の脳裏に焼き付いたたった一つの数字を即座に呼び起こした。


 VIT1の俺にとって、九時間経過で付与される『システム疲労』のデバフ――入力遅延や視界のブレは、文字通り死に直結する。たとえ回避率が100%であっても、システム側の強制的なペナルティによる操作ミスだけは、絶対に回避できない致命傷だ。このままプレイを続ければ、キナとリナを危険に晒してしまう。


 迷いはなかった。


 俺は、食後のハーブティーを飲もうとしていたリナに向き直った。

「リナ、悪いが少しの間、キナを頼む」


 リナは驚いた顔で俺を見た。

「え、マソスさん、どうしたんですか?急に」


「ああ、ちょっと連続プレイ時間の警告が出たんでな。システムからの休憩指示だ。すぐに戻ってくる。悪いが、頼んだぞ」


 その言葉に、リナはにこやかに微笑む。

「……わかりました。任せてください!」


 リナの承諾を確認した俺は、すぐにログアウトメニューを開いた。ベテランゲーマーとして、この絶対的なリスクを冒すという選択肢は、存在しなかった。







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