転校生は元少年兵

アジャイル.txt

プロローグ ~帰る国~

乾いた夜風が、ライフルの薬莢から漂う硝煙の匂いを運んでくる。俺はそれを肺いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出した。もう何度繰り返したか分からない、戦いの後の儀式。


目の前の焚き火がパチリと音を立て、闇をわずかに揺らす。その炎で熱せられた年季物のポットから、どす黒い液体を使い古しのマグカップに注いだ。立ち上る、焦げ付くような豆の香り。


ここに来たばかりの頃、初めて飲まされたこのコーヒーを、苦くて不味いだけの泥水だと思った。

だが、豆を挽き、薪で沸かした湯で淹れるこの一杯は、いつしか俺のささやかな楽しみになっていた。5年という月日が、味覚だけでなく、俺のすべてを変えてしまったらしい。


「ハル、一杯もらっていいか?」


建物の影から現れた熊のような大男が、無精髭を撫でながら言った。マイクだ。

俺は無言で予備のカップを取り出し、なみなみと注いで差し出す。


マイクはそれを受け取ると、俺のカップにこつんと軽くぶつけた。

「……終わったんだな。」


ふぅ、ふぅと念入りに息を吹きかけてから、勢いよく口に含んだ。

「あっっちぃ!」

ずうたいに似合わず猫舌なこの男は、案の定、舌をやけどしたらしい。


一度飲むのを諦めたマイクは、カップを揺らしながら本題に入る。

「お前、これからどうすんだ?」


「……さぁな」俺は焚き火に視線を落としたまま答えた。この5年間、両親を殺した奴らの顔だけを道標に走ってきた。その復讐を終えた今、どこへ向かえばいいのか、自分でも分からなかった。炎の向こうで、仲間たちの騒がしい声が聞こえる。


マイクは短く息を吐く。

「そういうお前らはどうなんだ?」俺は問い返した。

「ここの〝仕事〟も終わりだからな。俺たちはダンテのツテで、別の傭兵団に移る。」

マイクはそう言うと、ふっと焚き火に視線を落とした。揺れる炎に照らされたその横顔は、戦士のそれではなく、年の離れた弟を思う兄のようにも見えた。


「お前も来るなら構わねぇがよ…ハル。お前、日本人だろ?しかもまだガキとなれば、国が面倒見てくれんじゃねぇのか?」


日本人。その言葉が、妙に遠く聞こえた。

そういえば、ここに来るまで俺はただの小学生だった。あれから5年。小学5年生だったから、今は15か。15歳。日本では、高校一年生と呼ばれる年齢。その言葉の響きは、まるで遠い異国の言語のように、ひどく現実感を欠いていた。


「俺たちは、帰る国がなかったり、とっくに戦場と結婚しちまったような連中だ」

マイクは、少しだけ冷めたコーヒーを一口すする。

「だが、お前は違うだろ?」


「・・・」


マイクは口元を少し緩めてから立ち上がり、熊のような大きな手でおれの頭に手を置いた。

「まぁ、帰るってんなら近くの大使館まで送ってやるから声かけろよ」

そう言い残して仲間たちの騒ぎ声がする方に去っていった


おれはイスに深くもたれ、空っぽになったカップに視線を落とした

「帰る国か...」

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