Love me little,love me long.

杜隯いろり

穏やかに

揺れる鉄道。

その鼓動はどうやら、ずっと昔に感じていた母親の胎内と似ているらしい。

うとうと。

開いているはずの私の眼が、何も捉えていないのを

意識のどこかで知覚し始める頃。

あれ、私は何故この電車に乗ってるのかしら。

ふと、そう思った筈なのに、その刹那の後の私はそれが当たり前のように感じていた。


思えば彼は、ほとほと無口ではあったけれども、

私や、子供たちや、もう死んでしまったけれど、

子供の拾ってきた猫のことを、片時でも忘れたことはなかったんじゃないかしら。

学生の頃、初めて彼を一目見た時のことを思い出す。

特別容姿が際立っているわけでもなく、決して表向きの柔らかな人では無さそうだったけれど、私の贔屓目には、後にも先にも、あれほどどす黒い学ランと深く被った学帽の似合う精悍な一七歳は見たことがなかった。

ぱっ、と眼が合った時、私は人生であれほど自分の中の、芯、とでも言うのかしら。見透かされたような気持ちになったことはないわ。

ああ、あの頃はね、お見合いで結婚する人が少しずつ減ってきていた時代だったから。

その一度っきり。たった一目で私は決めたの。

でも酷いのよ。

あの人、一度だって正面切って「愛してる」なんて言ってくれやしなかった。

お付き合いを始めて二年と少し。

結婚の話になった時だって、あの人は「女性にプロポーズはさせられないから」って、ただそれだけ。

あの人が我を忘れて怒ったり、箍が外れたように笑ったり、長雨のように泣いたりしていたのは殆ど見たことがない。

私がどんなに感情的な言葉を投げかけても、彼は「うん」とか、「そうか」とだけ言って、結局手を挙げられかけたこともない。

どんなに体を壊し掛けても、私が止めても会社に行く癖に、私が臓器を患った時はぱったりと休んで、手術が済んで身体が戻る迄、毎日同じ、少し水の多すぎる粥を作ってくれたっけ。

あんまりに静かな愛だから、浮気の一つくらいしてくれた方がわかりやすいのに、と思ったこともあった。

そういえば、一度だけ、私が初めての子を身籠った時だけ、彼は両手で私に縋って「ありがとう、ありがとう」と泣いてたかしら。私は産後でそれどころじゃなかったけれど。

ああ、悔しいわ。

私はこれだけ、あなたがしてくれた全てを覚えているのに。あなたはあなたの感情を、ちっとも見せてくれやしないじゃないの。こんなの若い子の片想いと一緒だわ。


ごとごと。

今、電車の揺れだけが外の世界と私を繋ぎ止めている。突然、左の肩に不自然な重みを感じる。

見ると、そこには昔と変わらない十七の彼が、幼子が母に身を委ねるような全幅の信頼を以て眠っている。

そんなに身体を預けられちゃ重いわよ。

私はもうそんなに若くないの。

胸の内でそうかこちながら、私も目を瞑る。

斜陽が私たちの頬を差す。

電車が速度を落とした。

あなたはそれに気づいて立ち上がり、ゆっくりと、或いは寂しそうに扉へと歩く。

ああ、行くのね。

さよならのキスの一つでもしないのかしら。

しないでしょうね。

何かが口を衝いて出そうになったのを飲み込んで、私はまた目を閉じた。

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Love me little,love me long. 杜隯いろり @m_irori

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