夜の海を歩く

雨月 日日兎

夜の海を歩く

 夜の海を歩く。

 寄せては引く波に足首を浸しながら、冷たい塩水の中を歩いた。真っ白なロングスカートは濡れそぼり、肌に纏わりつき邪魔をする。えいや。蹴り上げた雫が月明かりに光った。

「こんばんは、よい夜ですね」

 ふいに聞こえた声は海の方からのもの。穏やかなその声がシルクハットを持ち上げ会釈した。夜に輪郭を浮かび上がらる、膝まで海に浸かったタキシードは上等そうだ。

「こんばんは、竜宮城へのお誘いですか? 亀も助けてないのに」

「ご安心を。私はただの海月ですので、ご案内するのは海の城ではございません」

「ふぅん。知らない人にはついて行っちゃいけませんって言われてるだけどね」

 チカチカ、頭上で星が瞬いた。薄明かりの下で笑う海月は人の良さそうな顔つきである。

「あなたは良い人そうだから、もう少しお話聞いてあげるわ。竜宮城じゃないなら、どこへ連れて行ってくれるの?」

「人ではなく海月ですが、ありがとうございます。ご案内先は海の底の底、深い深い夢の中でございます」

「夢?」

「えぇ、荒唐無稽で支離滅裂。起承もなければ転結もない。破綻した物語の羅列の世界。はたまた喜びに怒り、哀しみに楽しさが全てが混じった混沌のことでございます」

「あら、面白そうね」

 両手をぱちりと合わせ、上擦らせた声に海月は満足気な顔で頷いた。きっと勘違いさせてしまったのだろう。申し訳無さに眉を垂れさせ頭を下げた。

「でもごめんなさい。今夜は海辺を歩きたい気分なのよ」

「おやそれは、こちらこそ無粋な誘いを申し訳ございません。それでは良い微睡みを」

「えぇ、ごきげんよう」

 スカートを摘んで下手くそなカーテンシー。海月の名の通り溶けて姿を消した彼に手を振って、また波際を歩き出した。

 頬をなぞる風が塩辛い。足の甲を滑る砂は滑らかに。月明かりが海面を斑に照らす。

 今日は良い夜だ。

 戯れに海を蹴り上げた。

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夜の海を歩く 雨月 日日兎 @hiduki

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