麗しき暗殺者

岸亜里沙

麗しき暗殺者

一日の勤務を終え立ち寄った、行きつけのバー。注文したバーボンをちびちびと飲みながら、男はマスターと雑談をする。

男の名は芳賀はが俊彦としひこ。芳賀は業界最大手の宿泊グループの会長を務める男だ。

ここのバーの中だけは、会長という肩書きから解放され、一人の男、芳賀俊彦になれる唯一の場だった。

いつものようにカウンター席に座り、芳賀が一人で酒を飲んでいると、入り口から一人の女が入ってきた。明るい派手めの化粧メイクに金髪のロングヘアー。薄紫色のワンピースの裾からは、あでやかな白い素足が覗く。毳毳けばけばしい見た目とは裏腹に、たたずまいは上品さをかもし出ている。

芳賀が思わずその女に目を向けると視線が合い、女は芳賀の隣にやって来て話しかけた。

「ご一緒しても、宜しいかしら?」

「もちろん。どうぞお掛けください」

そう言いながら、芳賀は軽く微笑む。



朝、強烈な頭痛で目が覚めた芳賀は、よたよたと起き上がると、大きなダブルベッドのふちに座り、頭を押さえた。

久しぶりに大量の酒を飲んだ為、二日酔いになったようだ。芳賀がちらりとベッドに目を向けると、自分の隣に寝ていたはずの女が見当たらなかった。

「まさか・・・」

芳賀は急いでテーブルに置いてある自身の財布の中身を確認するが、紙幣もクレジットカードも全てそのままだった。パテック・フィリップの高級腕時計も、テーブルに置かれたままだ。

「トイレに行っているのか?」

芳賀は呟きながら立ち上がると、部屋中を確認する。しかし女の姿だけがどこにもなかった。まるで昨夜の出来事が、全て夢だったかのように。

だが部屋に残存ざんぞんする、女がつけていた香水の残り香が鼻腔内に侵入してくる度に、芳賀はこれは夢ではないと悟る。

ちょうどその時、ベッドの枕元に置いておいた携帯電話が鳴っているのに気づく。それは会社からの電話だった。



バーを出ると、芳賀と女は立ち寄った二軒目の居酒屋で酒を飲み交わす。

猫を思わせる大きな瞳はんだ漆黒しっこく

ブラックホールのように男を引き寄せ、その魅惑的な眼差しで見つめられたら、もうとりこ。抜け出せなくなるだろうと、芳賀は感じた。

女の父親程も年齢としが離れている自分に、好意などを抱くはずはない。きっとただ一人で飲み歩くのに飽きて、気まぐれで近寄っただけだろうと芳賀は思っていたのだ。

しかし小聡明あざとい程、豊満なバストを強調するかのように、女は芳賀に胸元を見せつける。

妻も自分も年齢としを重ね、セックスレスになって久しい。それでも芳賀は妻を愛し続けていたが、突如として目の前に現れた魅惑的な女に、理性は揺らぎかけていく。

女は顔を赤らめながら芳賀の肩にそっともたれかかると、芳賀は女の髪を優しくでた。



「はい、芳賀です」

芳賀が電話に出ると、それは広報部の八代やしろからだ。

「会長、お休みの所すみません。今、どちらにいらっしゃいますか?」

芳賀はさすがにラブホテルに居るとは言えず、都内に居るとしか答える事が出来なかった。

「すみません、あの・・・、週刊誌の方が会社に訪ねて来まして、それで・・・、会長の不倫についての件で情報を集めていると言っていました・・・。そのような事実はございませんとだけ回答をしておきました。ただ・・・」

八代は戸惑ったように話していたが、そこで一旦話を止め、静かにひとつ息を吐くと話を続ける。

「ただ、会長と若い女性が二人で写っている写真を持っていまして、そちらも見せられました。・・・そちらについては、詳細は分かりかねると回答を致しました。何度か会長にお電話を差し上げたのですか、お出にならなかったので・・・。申し訳ございません、会社としてそのような回答を致しました」

「そうだったのか。すまない。この後少し会社に顔を出すから、詳細を聞かせてくれ」

かしこまりました。お待ちしております」

電話を切った芳賀は、二日酔い以上に酷い頭痛を覚え、頭を抱える。

昨夜の女は、もしかしたらライバル企業の者だったのかもしれないと、考えた。

自身の記事が週刊誌に載れば、会社の株価は暴落し、損失は計り知れない。

そして何より、妻や子供たちに与えるであろう精神的苦痛は、察するに余りある。

一夜のあやまちにより、芳賀の順風満帆な人生は、音を立てて崩れるのだ。

「ハニートラップに、私は引っかかったのか・・・」



立派な絵画が飾られた応接室は広々とし、大理石が敷き詰められた床は、ピカピカに輝いている。女が立派な皮のソファーに座っていると、一人の男が応接室に入ってきた。

「依頼されてた会社の会長をたぶらかして、罠にめたわ。情報はもう週刊誌には売ってあるから、その内記事が出るんじゃない?」

女は笑う。

「そうか、ありがとう。これで我が社の業績も上がるだろう。これは約束の報酬だ」

ソファーの前のテーブルに、札束が置かれると女はそれを受け取り立ち上がる。

「あなたもクズね。自社の業績を上げるために、他社をおとしめようなんて」

男も冷徹に笑う。

「これは、戦争なんでね。どんな手を使ってでも勝つ。それがさ」

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麗しき暗殺者 岸亜里沙 @kishiarisa

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