エピローグ

第9話 犠牲を払ってでも

 部屋に入る。暑苦しいクリーンルーム服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。マンションの一室で大量の赤を流すのは気が引ける。今日中に封筒の中身を見て、USBを調査しよう。一睡して、自主と内部告発を行うことに決めた。

 私はクリーンルーム服を洗面台の近くに畳んでおいた。

 まず、封筒の中身を見ることにした。


 差出人は『布施京生』だ。

 今日、私が直接手を下した相手である。

 封を切ると、中には几帳面に折られた手紙が入っていた。

 鉛筆で手書きされたもの。

 紙に張り付いた黒鉛が室内灯を反射して白く光っている。


「京生さんって、字が綺麗」


 なんて、私は自分の罪を置いておいて感心してしまう。

 手紙を見た。


『この手紙を読む頃には、僕は亡くなっていると思う。そして、社内はぐちゃぐちゃになっている。もしそうであれば、芽亜ちゃんは逃げて。戦うつもりが少しでもあるなら、療養として入院している僕の父に会ってほしい。父が病気なのは本当だが、前社長として少しは戦う力が残っているはずだから』


 その言葉は優しい京生さんのものだった。一体何と戦うつもりだったのか?

 私がバールを振り下ろすまでに、私と京生さんは話し合う方法があったのか。

 分からない。後悔する時間もない。内部告発して、自首をする。夜明けまでしか、私には時間がない。


 さらに、読み進める。


『社員にスパイがいて、目的は分からない。会社の技術を奪い、僕の会社を崩壊させる予定であることは分かったのだが。戦うつもりなら、いつか社長室に入ってほしい。きっと悪事の証拠が集まっているだろう。芽亜ちゃんであれば、その優秀さから、布施京生の信頼を勝ち取ることができるかもしれない』


 え?

 ……僕の、ではなくて、『布施京生』の信頼?

 他人事のような言い方。京生さんは何と戦って、どうして私に手紙を出したの?


『ただ、僕が一番に願うのは、芽亜ちゃんの無事だ。謎の組織の介入を確認して、僕と父の判断で、社員の個人情報の一部を社内でもアクセスできないようにセキュリティを敷いた。だが、破られるのも時間の問題だ。時間稼ぎをしている間に、できるだけ遠くに逃げてほしい。会社はもう乗っ取られているだろう。僕は死に、新たな布施京生が既にいるかもしれない』


 新たな『布施京生』?


『その場合、見分けることができるのは芽亜ちゃんくらいだ。僕と芽亜ちゃんしか知らないことはたくさんあると思っている。もしかしたら、芽亜ちゃんへの話し方や呼び方、立ち振る舞いがおかしいかもしれない。だとしたら、そいつは偽物だ。僕の独自の調査で、人間を再生させる方法を予想した。芽亜ちゃんは興味があるんじゃないか? 研究好きで、半分マッドサイエンティストみたいなものだから』


 誰がマッドサイエンティストなの。

 京生さんの手紙を読んで確信する。京生さんは謎の組織に既に殺され、何かしらの技術で再生した。それは『布施京生』であって、京生さんじゃない。食肉を扱う部署の社員も一度殺して再生することで、離職者を少なくして混乱を押さえたのだろうか?


 京生さんは京生さんだった。

 なのに、どうして苦しいのか。私が傷つけた存在は京生さんじゃなかった。

 なのに、どうして涙が止まらないのか。私が否定した存在は京生さんじゃなかった。


 そっか。


「どれだけ間違ったことをしていても、それがあなたでいてほしかった」


 京生さんは間違っていなかった。あれは京生さんじゃなかった。

 京生さんは京生さんでいてくれて、ホッとした。

 でもね、京生さんが殺されたことに気づかずに、京生さんが社長になった会社で、私は馬鹿みたいに頑張ろうって思っていて、そのことが悔しい。


 手紙には、京生さんが予想する再生の技術について記述されている。詳細はないが、おそらく食肉を扱う部署の技術が漏洩していること、細胞の初期化技術で臓器を作製する研究を行っている企業があって、その企業の裏で再生の技術が研究されていること、予想としては死亡した人間に対して、細胞が生き残ったすべての箇所でコールドスリープの状態にし、作製した臓器や脳を移植し、場合によっては体内で細胞の増殖、分化(細胞に機能を持たせること)修復を行うことが記されていた。


 私の想像と合致しているが、この予想だけで告発はできない。

 京生さんが言うように、自分の無事を考えて逃げるとしても殺人罪が認められれば、警察にも捕まってしまう。私は戦うために、謎の組織からも、行政機関からも逃げなくてはならない。それでも私は、……。


 手紙の続きを読む。

 消しゴムで何度も消した跡が見えた。

 文字が滲んでいるが、手紙一枚を使って書かれた言葉は、はっきりと読むことができた。

 私は覚悟を決める。

 戦う、これから先、どれだけの犠牲を払っても、進む道に何があるとしても。

 私の人生はそのためにある、そのためだけにある。


『僕は心の底から、芽亜ちゃんを愛してる』


 京生さんの想いを感じた。

 文字を指でなぞっていく。

 

「もっと早く言ってください。……私たち、両想いだったんですよ。私も、京生さんを愛しています」


 気持ちを落ち着かせて、PCを開く。

 USBには再生を施した人物と、いつ、どこで、どの工程を経て再生したか、および経過観察についての情報があった。


 戦おう、まずは京生さんの父に会いに行く。

 戦うことだけが、私の想いの答えだ。京生さんとの共同作業だ。

 私は手で涙を拭いて、これからの戦いに備え、ひと眠りすることにした。

 

 夢の中で、私と京生さんは居酒屋でビールを飲んでいて。

 酔って饒舌になった京生さんの話を、私は笑って聞いている。

 

 私と京生さんの夢と野心の話、そして、私の大きな恋は終わってしまったのだ。



(完)



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