無害

祐里

活きが良くて元気

 OLになり、一人暮らしを始めて五年。家事もだいぶ板についてきた。

 洗濯はだいたい週三回、夜に済ませてしまう。仕事帰りにスーパーで買い物をした日には洗濯はしない。面倒なことは一日一回でたくさん。


「さて、洗濯洗濯」

 テレビもつけていない静かな部屋、独り言も板についているのがちょっと悲しい。洗濯機の蓋を開けて衣類を放り込む。それから、香りのビーズ。会社の同僚の一ノ瀬いちのせくんが使っていると聞いて、真似して使い始めたものだ。

 洗濯物の上にざらざらと撒いたビーズの中に、何かがわずかに動いているのが見えた。目の錯覚かな。パソコンの使いすぎで目が疲れているのかもしれない。そう思って確認してみると、ビーズの粒と同じくらいの大きさの白い虫が一匹、もぞもぞしていた。

 気持ち悪い、捨ててしまおうか。でもどうせ洗濯したら死んでしまうだろう。死骸はゴミを集めるネット部分に入るだろう。面倒なことはしないに限ると、私はそのまま洗濯を開始させた。


 洗濯機を回している間にアニメの続きを見てしまおうとサブスクアプリのアイコンをタップしようとした瞬間、ふと何かが動いた気がした。何が動いたのかわからず、スマホから目を離して操作の手を止める。

「……これ、かな……?」

 どうやら部屋の隅にある消臭剤のようだ。容器の中には透明な消臭ビーズがぎっしり詰まっているはず。部屋の温度が急激に高くなって溶け出すということがない限り、視認できるくらい動くことはないのではないか。そう思って確認してみると、容器の中に消臭ビーズと同じくらいの大きさの白い虫が二匹、もぞもぞしていた。

 気持ち悪い、捨ててしまおうか。でも、まだ使い始めて三日くらいしか経っていない。それに、どうせこの化学物質でできた消臭ビーズの中では長くは生きられないだろう。この物価高のご時世よけいなお金は使いたくないと、私は容器をそっと部屋の隅に戻した。


 翌日、会社に出勤して仕事を始める。

「これ、シュレッダーかけといてくれる?」

「はい」

 先輩から渡された書類をシュレッダーに差し込むと、すぐに止まってしまった。

「あー、もういっぱいか」

 シュレッダー済みのゴミが満タンになってしまっている。仕方なく機械の一番下をガコンと開けると、中に何か動くものが見えた。細かい紙くずが静電気で動いているように見えるだけかも。そう思って確認してみると、紙くずと同じくらいの大きさの白い虫が三匹、もぞもぞしていた。

 気持ち悪い。でも、どうせ幼虫の居場所になっている紙くずは捨てるものだ。誰かに伝えたところで「捨てておいて」と言われるだけだろうと、私は紙くずが詰まったビニール袋の端を結んで口を締め、ゴミ集積所に持っていった。


 ゴミ集積所からの帰り道、考える。昨日から虫をよく見るのはどうしてだろう。もう季節は冬になろうというのに。見たのは全部、幼虫っぽい虫だった。蛹になって越冬する種類なのだろうか。それにしたって多すぎる。

「……ま、いいか。今のところ害はないし」

 一人のエレベータで呟くと、ポケットのスマホがぶるぶる震えた。取り出した画面には、一ノ瀬くんからのメッセージが表示されていた。

『明日二人で飲みに行かないか?』

『いいね。どこかおすすめのお店ある?』

 一ノ瀬くんからの誘いがうれしくて、私はエレベータを降りてすぐ返信した。


「え、一ノ瀬くんかわいいもの好きなんだ?」

「うん。ちょっと恥ずかしいけど、こういうキーホルダーとか」

 レトロ調居酒屋の店内で一ノ瀬くんが照れ笑いしながら見せてくれたものは、ビーズアクセサリーだ。

「へぇ、いいね」

 ふと、ビーズで作られている丸っこいフォルムの猫に、何か動くものが見えた。週末は特に目が疲れるんだよね。そう思って彼の指からぶら下がっている猫を確認してみると、ビーズと同じくらいの大きさの白い虫が四匹、もぞもぞしていた。

 気持ち悪い。でも一ノ瀬くんが気に入って使っているものにケチを付けるのは良くないのではないか。それにどうせ自分のものではないのだからと、私は特に虫についてはリアクションせず、「猫ってかわいいよね」と言ってカシオレを一口飲んだ。


 二人きりで飲むのは初めてだったけれど、楽しい時間を過ごすことができた。私は「ちょっとトイレ」と席を立ち、店内奥のトイレに向かう。個室に入ると、目の端に何かが動く気配がした。まだ二杯しか飲んでないのに、もう酔っ払ってしまったのだろうか。そう思って確認してみると、身長より高い位置の壁に、壁紙の繊維と同じくらいの大きさの白い虫が五匹、もぞもぞしていた。

 やっぱり気持ち悪い。でもこの個室は広いし、動きが鈍い虫だからどうせ自分の方には寄ってこられないだろう。それに勝手に潰したりしたら居酒屋の壁を汚してしまうかもしれないと、私はそのまま用を足して個室を出た。


「俺が誘ったんだから、払わせてよ」

「割り勘でいいじゃない」

 なんてお約束の会話をレジから少し離れたところでしていると、レジの脇に置かれている楊枝が目に入った。一本一本ビニール袋に包まれている楊枝の中に、何か動くものが見える。またか、今度は何だろう。そう思って近付いてみると、楊枝に似た細長い虫が六匹、もぞもぞしていた。

 何度見ても気持ち悪い。でもどうせ楊枝を使うつもりはないし、一ノ瀬くんがさっさと支払いに行ってしまったからこれ以上レジに近付く必要もないと、私は彼にお礼を言ってすぐに居酒屋の外に出た。


 飲み屋街は賑わっていて、そこら中で酔っ払いたちが声を張り上げて何かしゃべっている。そんな路地の一際目立つチェーン店の看板に、何かが動いている気がした。まさか、看板の文字まで動くの? そう思って見上げてみると、筆書きフォントによく似た黒い虫がたくさんもぞもぞしていた。

 虫を数えるのは疲れそうだし、気持ち悪いと思うことにも飽きてきた。どうせ看板なんかお店のもの、その真下に行かなければいいだけだと、私は居酒屋から出てきた一ノ瀬くんに「ごちそうさま」とにっこり微笑みかけた。


 一ノ瀬くんと駅まで一緒に行く途中、色々な場所で色々なものがもぞもぞ動いているのが見えた。

「今日は活きが良いね」

「えっ? 活きが良い、って……?」

「あ、ニュースで言ってたの見てない? 虫が活発化して、景気が良くなるかもしれないってさ。俺らの給料も上がればいいんだけど」

「そ、そうなんだ」

 家にいるときはアニメや映画ばかり見ていて、ニュースなんか気にしていなかった。せめてネットのニュースサイトくらいは見ておかないと。

 そうして私は一ノ瀬くんと駅で別れた。


 ◇


 一ノ瀬くんと付き合い始めて、二ヶ月が経った。

 待ち合わせ場所に来た彼に新年の挨拶をして、一緒に神社へ向かう。

「俺は二年参りでもよかったんだけど」

「それは眠くなっちゃうからダメ」

「子供みたいだね」

 仲良く話しながら神社の鳥居をくぐり、玉砂利を踏みながら歩く。

「ああ、ここのも活きが良いわね」

「景気が上向いてるから虫を潰してしまってもただちに影響はないって、経済産業省のホームページでも言ってたよ」

「そう、よかった」

 私は一ノ瀬くんの顔を見る。こんな素敵な人と付き合っているなんて、夢みたい。すごく幸せ。

 晴れ着用の草履で踏みしめる玉砂利は虫が多く、歩くたびにぐちゃぐちゃ音を立てて潰れていく。

「あ、一ノ瀬くん、ちょっとじっとしててね」

「何かいる?」

「うん。大丈夫、すぐ済むから」

 私は彼の剃り残しの髭のように見える黒い虫を指でつまみ、地面に放り投げた。

「そんなところにもいたのか」

「すごく元気な虫だったよ。ぷちって潰れたから」

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無害 祐里 @yukie_miumiu

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