一口

ヤマ

一口

 駅前にある小さなラーメン屋さん。

 そのカウンターに二人で並んで座るのは、いつものことだった。


 木目の少し黒ずんだ天板。

 座るときに軋む椅子。

 壁には色褪せたメニュー表が並び、フロアには絶えず湯気と香ばしい匂いが漂っている。


 子供の頃から、一緒に寄り道をしては、ここでお腹を満たしてきた。


 だから。


 簡単に言えるはずだった。


 *


 私は天津飯、彼はラーメンを頼んだ。

 メニューは見ずに、いつもの注文。

 店員さんにも、「いつもの」で通じるくらいだ。


 やがて、彼の前に丼が置かれた。

 立ち上る湯気が、ふわりと私の方に流れてくる。

 醤油の香りに鼻をくすぐられ、心の奥で「少しだけ欲しい」という思いが浮かび上がる。


 すぐに、私の前にも皿が置かれ、注文が揃うのを待っていた彼と共に、「いただきます」を言った。


 彼が、ラーメンに口を付けるのを横目で眺める。



 ずっと、ただの幼馴染みだったのに――



 最近、自分が彼を意識していると気付いてから、妙にぎこちなくなってしまった。

 子供の頃なら、気軽に「ちょうだい」と言えていたのに、今はどうしても躊躇われる。


 いくつかの思い出が蘇る。


 駄菓子屋で買った、一枚のおせんべいを順番に齧って、笑い合ったこと。

 部活帰り、二人でここに寄り道して、少ないお小遣いを出し合い、一杯のラーメンを分け合ったこと。


 些細だけれど、確かに心が満たされた瞬間。


 それが、今はできない。


 そのことが、胸に小さな痛みを残す。


「どうした?」

 レンゲを持つ私の手が止まっているのに気付いて、彼が言った。

「冷めるぞ」


 そう言って笑う彼に、私は笑い返す。


 天津飯を口に運びながら、彼の動きを目で追ってしまう。


 ラーメンのスープが揺れて、光を反射するたび、胸の奥がきゅっと、小さく痛んだ。


 喉まで出かかっては、言葉が引っ込む。

 頼めば、きっと分けてくれるだろう。

 けれど、それを口にすれば、今のままでも十分満足している自分が壊れてしまいそうで、なんだか怖かった。





 ――やがて、両方の器は、綺麗に空になった。



 言えなかった。

 たった一言、「一口、ちょうだい」が。



 湯気のような、もやもやとした感情は、心の中に漂ったまま。

 気持ちは、晴れない。





 お会計をして外に出ると、夜の空気はひんやりと澄んでいた。

 街灯に照らされた歩道に、影が揺れる。

 遠くの電車の音。

 秋の虫の声。


 少しだけ、切なくなっていると、彼が何気なく言った。


「相変わらず、美味いなぁ。、久しぶりに餃子、頼もうぜ」


 その言葉に、沈んでいた心が、じわじわと浮かび上がる。



 ――次が、ある。



 私は、頷いた。


「……にんにくは?」

「もちろん、ありだろ」

「……わかってるじゃん」

「……というかさ、俺から言ったものの……、女子的に匂いとか、どうなの?」

「あー、よくないなー、そういうの」

「……これは失礼」



 軽口を叩き合って。

 笑い合いながら。

 私たちは、帰り道を歩く。





 次は、私の方から――


 一口、あげよう、と思った。

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一口 ヤマ @ymhr0926

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