七話 鬼と白狐

白狐が姿を消した後、鬼妙丸は一人とぼとぼと歩きながら山の奥へと歩くと、のぼり坂がなだらかになり広い平地にたどり着いた。

背後には滝の音が響きわたり、芝生の平地の先に大きな洞穴があった。

鬼妙丸は洞窟をしばらく眺めてつぶやいた。

御師おしさんはいないか・・・・」

今から三年前、鬼妙丸は、この『御師さん』と呼ばれる者に山で暮らす為の術と、剣術を学んでいた。

鬼妙丸が先程の村の男二人を容易たやすく倒すことが出来るのも、師に剣術を仕込まれたからであった。

そんな暮らしの中、鬼妙丸は師が放つ〝気〟の様なものを感じ取ることが出来きるようになった。あくまでも直感的なものではあるが、目の前にある洞穴からも、その周辺からも、その師の放つ〝気〟を感じることが出来なかった。

鬼妙丸は師と出会った三年前のことを思い出していた。


鬼妙丸の思い出の始めは暗闇だった。

(俺は何をしている?)

長い沈黙の後、心の中で囁いた。

(ここは、どこだ?)

不安が募る中、自分身体の感覚が少しづつ戻り、皮膚に涼しく優しい風が触れたことを感じた。

鬼妙丸はゆっくりと眼を開けてみた。

眼を開いてもそこは薄暗く、静寂に包まれていた。

耳を澄ますと、どどど・・・・という滝の音がきこえる。

やがて、この薄暗さにも目が慣れてた鬼妙丸は仰向けの状態で目を左右に動かした。

あたり一面がゴツゴツとした岩で囲まれてる。

わずかに外の光と思われる明るさで、ここが洞窟の中ではないかと察した。

少年はこの洞穴の中でムシロの上に寝かされていた。

起きあがろうと上半身を起こそうとした少年の身体中に痛みが走った。

少年の肩や両腕、胸や背中に傷を負っていた。

「痛えぇ」

痛みに耐えかねて、少年は再び上半身を倒して顔を歪めた。

少年は考えた。

(俺はいつから此処に・・・・いったい何故ここにいる?)

背中の痛みが増して、身体を横向きにして身体を丸めた。

(なんだこの傷は?なんで俺はこんな怪我をしている・・・・?)

徐々に少年の心の声は大きくなりはじめた。

(・・・・ちょっと待て!!)

重なる疑問の中少年は思った。

「お、俺は誰なんだ・・・・?」

少年は困惑こんわくした。

少年は自分がどこから来て、誰なのか、そして自分の名前も思い出せないのだ。

唖然として動けない状態が続いた。

しかし、ふっと我にかえった少年は思った。

(とにかく自分はひどい怪我をして傷だらけだが、命だけは助かった。そして、ここは巨大な熊が何体も居住できるほどの洞穴の中である事だけはわかった)

それからどのくらい経ったかは分からなかったが、少年は喉の

渇きをおぼえて、上体起こして起きあがろうとした。

その時だった。

「目が覚めたか小僧・・・・」

背後から、獣の唸り声の様な低く重々しい声が聞こえた。

鬼妙丸が驚いて振り向くと、洞穴の奥の暗がりに一人の男の姿が闇に混じる様にうっすらと見えた。

「うっ!?」

少年は思わず声を漏らし、眼前いる男の姿に肝を冷やした。

外へと続く洞穴の出口から、陽の光が差し込こんだ。

その光によって男の身体の半分ほどが映し出された。

男は、岩壁いわかべにもたれかかるように胡座あぐらをかいて座っていた。さやに収めた大きな太刀を左肩に立てかけて腕を胸の前で組んでいる。

目覚めたばかりの少年の眼はぼやけ気味であったが、その男の身体は座った状態であっても、大人の背丈はありそうな大きさで、着物に包まれている上半身は分厚く、重い岩石を思わせ、首の太さは牛や馬のような四足歩行で、重い頭を支える為の太い筋肉を連想させた。

裾からのぞく肘から先の前腕部分は大木を仏師が丹念に彫って造り上げた仁王像の腕のごとく筋繊維がくっきりと表れて太くたくましい。

その肉体からみられる異常なほど発達した筋肉は、人間がいくら鍛錬を重ねても、到底辿り着けない強靭さが感じさせた。

少年は恐るおそる顔の方に視線を上げると、その男と眼があった。

男のその眼光の鋭さに、少年は身動きが出来なかった。

肌の色は日に焼けているものの、見た目は人の質感や色は大人の男と大差はない。

しかし、男の面相は、尋常ではない凶暴さをはらんでいた。

その眼は大きく吊り上がっていて、人と思えぬほど不自然な赤い瞳をしていた。

鷹のくちばしの様な尖った鼻柱。

口は硬く一文字に閉ざされたままではあるが、開けば人の手足など噛みちぎることが出来そうなほど大きい。

山の中で暮らしている割には男の髭は揃っていた。

口髭は無く、顎の先端部分だけ黒い髭を喉元まで伸ばしている。

髪は黒く生えそろい前髪を全体的に後方に流し後頭部で結んでいる様だ。

男の前髪の生え際には、やや前方に飛び出た二つの突起物が見えた。

始めは髪飾りか何かとも思った。

それとも髪の一部が逆立っているのかとも思ったが、男の二本のそれは、赤黒く、磨かれまっすぐ伸びた巻貝の様に光沢をおび、しかし石の様な硬さを感じさせた。

過去の記憶を失っている少年も、この姿を知っていた。

遠いどこかで誰かに教えてもらった様な気がした。

人ではない恐ろしく凶暴なこの者の呼び名が頭に浮かんだ。

「鬼・・・・・」

少年は思わず声に出てしまった。

目の前の鬼は少年の言葉に動じる事なく無表情であった。

少年に対し、男は顎をしゃくった。

鬼の目線が少年の膝のあたりに向いていた。

少年が視線をおろすと竹で作られた水筒と腕に麦飯が盛られ、焼いた川魚が置かれていた。

鬼の姿に気を取られていた少年は、突然空腹をおぼえてゴクリと喉を鳴らした。

「食え」

鬼は一言だけ口を開き、また視線を下ろして眼を瞑っていた。


こうして少年は鬼と暮らす事となり山での生き方を学び、剣術も学んだ。この鬼である師匠が、何処で、剣術を学んだのかは知らないが、三年間の稽古において少年は一度も鬼の身体に一本どころか木刀を触れさせることが出来ていないのだ。

そして、鬼は少年の身体の傷が癒えた頃、『出かけてくる』と言い残し数日いなくなることがあった。

数日経つと鬼は現れてここで数日暮らし、また姿を消して、しばらく帰ってこなくなる。

鬼が少年の前に現れるのは早ければ三日ほど、長くなれば十日を過ぎることもある。

少年は、何処に行くのか、何をしているのかと尋ねても、鬼は無言なのがつねであるため、なんの目的でいなくなるのか未だに謎であったし、いつ帰ってくるのかも分からないのだ。

帰ると言っても、少年がこの山に住んでいるだけで、鬼にとっては隣の山もその隣の山も鬼の領域のであり、そもそもここが自分の家であるという概念が鬼にあるかどうかは定かではない。

一人途方に暮れる少年の前に、あの奇妙な白狐に出会ったのもそんなときであった。

白狐は話をしない鬼に代わって、少年に山の掟や、山に住むモノの事を教えた。

そして名前の無い少年に『鬼妙丸』と名をつけたのも、この白狐であった。

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鬼妙丸 きみょうまる ナルミ ヨウ @yokukakureiwa

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