深きヤマノモノ

鬼妙丸は追跡してきた村の男二人を返り討ちにした。

二人の男はどちらも闘いにおいてまったくの素人だ。

ここで言う闘いの素人とは、剣術や槍術といった武器での立ち合いにおける命のやり取りの経験がない者の事だ。

たとえ、取っ組み合いの喧嘩が強かろうと、決まりごとの下で繰り広げられる相撲で敵無しであったとしても、〝命のやり取り〟を知らなければ、素人同然となる。

鬼妙丸は、この二人を今この場で倒すことは容易たやすいと思った。

しかし、まだ幼さの残る少女、サエの目の前で男たちをねじ伏せる事に、いささか躊躇ためらいがあった。

鬼妙丸は気を落ち着かせ二人に背を向けてその場を去ることにした。

「まちやがれ!」

と言う声が聞こえたが、鬼妙丸は気に止めることなく走った。

走りながら背後に気を向けると、足音が聞こえる。

男たちはどうやら鬼妙丸を追って来ているみたいだ。

そのまま走り去ろうとした鬼妙丸は、はっと顔をあげて一度走る速度を緩めて考えた。

(俺は迂闊うかつにも奴らに仮面であることがバレてしまった。もし、この二人をこのまま帰せば、鬼の正体は実は人間だと周囲に話てまわり〝奴は尻尾を巻いて逃げ出した〟と、得意気に言いふらすことだろう。そして鬼の伝説はただの作り話しやデマとなり、村の者達は、再びこの禁域の山に足を踏み入れるだろう。)

思い直した鬼妙丸は、逃げることをやめて木の上で二人を待ち伏せしてすきをつき木刀で襲いかかった。

不意打ちで一人、もう一人を振り向きざまに腹部に一撃を喰らわすと勝負は一瞬で決まった。

鬼妙丸の足下で悲鳴を上げている二人を尻目に鬼妙丸は、その場から離れた。

村と山のさかいにある川は、大人の足で二十歩ほどある。

その間に大小からなる岩が水面から覗いていた。

大人の背の高ほどの岩もあれば、足一つ乗せれるほどのもの巨大な熊ほどの岩もある。

鬼妙丸はその岩の上を、鹿が跳ねる様に飛び移りながら向こう岸へと難なく渡った。

そして、鬼妙丸は緑の覆う山の奥へと走り去った。



鬼妙丸は森の奥深くまで走り、眼前にあらわれた崖を慣れた身体の使い方で、岩の凹凸に指先やつま先を使って、まるでヤモリか蜘蛛が壁を這うように急斜面の崖を滑らかな動きで登りきった。

山道をを歩いて登るより断然早く先に進めるからだ。

村との境の川からこちらは鬼妙丸の庭のようなもので、数々の樹々や岩、崖ですらも、この少年の遊具そのもでもあった。

しかしどうしてか、今日の鬼妙丸は、この慣れているはずの道で、いつも以上に息が荒れている。

久々に人と対峙した事による精神の乱れか、村の者に人であることに気付かれた不安からか、息が上がり顔全体から嫌な汗が噴き出していた。

額の汗をぬぐい、しばらく歩くと清らかな水が流れる川についた。

川の上流からは滝の音が聞こえている。

頭上をおおう木の枝からは青々としたケヤキの葉が陽の光をさえぎり、あたり薄暗くなっていた。

鬼妙丸は被っていた鬼の面を外すと川の水を手ですくい顔を洗って水面に直接口を近づけて水をすすった。

口を腕でぬぐって一息つきついた鬼妙丸の背後から声が聞こえた。

「ずいぶんと気が高ぶっているな」

人の声。

聞きなれた声だった。

鬼妙丸が振り向くと、そこには一匹の狐がいた。

「アンタか・・・・」

鬼妙丸は狐に向かい人と会話をするように言った。

狐の毛並みは白く、ツヤツヤと美しく生え揃っていた。

その白狐びゃっこが鬼妙丸に向かい一歩一歩と前に進むと、その白く覆われた毛並みが、木漏れ日にあたり白銀のような輝き放っている。

狐は人間の言葉を操り鬼妙丸に意思を伝える事が出来るのだ。

「お主、近ごろ頻繁に村に近づいているようだな」

そう白狐に言われると鬼妙丸は、気まずさを隠せず白狐から眼を背けた。

白狐の品格ある女性の様な声は、その中に老齢な男の重々しさも感じさせた。

「人里が恋しいか鬼妙丸?」

「そ、そんなんじゃねぇよ・・・・」

鬼妙丸はすぐに答えた。

村人あいつらが川を渡って獣を取るために罠をいくつも仕掛けてやがったのさ」

そう言う鬼妙丸を白狐はじっと見ているだけだ。

「だからよ、奴らにこの山の鬼の伝説を教えてやろうとして・・・・だから・・・」

鬼妙丸は続けて言うと白狐が言った。

「だから村人を襲ったのか?」

「そうさ・・・・」

「お前ごときが鬼を演じたか、愚かな」

「何ッ!?」

「奴ら人間はどこまでも横柄で欲深い、いずれまた山に入り込むことであろう。それは警戒せねばならん。しかし、お前の未熟で安直あんちょくな正義感がこの山のモノたちの安寧あんねいおびやかすかも知れぬのだぞ!」

白狐は鬼妙丸を叱るように強い口調で言った。

「・・・・ッ」

鬼妙丸は返す言葉が見つからなかった。

白狐はこの山に二百以上年暮らしている。

かつては村の者とも親交していたこともあったが、長い年月が経ち人々は白狐をあやかしの類と恐れたり、物珍しさや好奇の眼で眺め、いつか捕獲されそうになった過去もあった。

そして白狐は、もう人の前に現れまいと誓い、この山に籠る事にしたのだった。

「鬼妙丸よ、お前はただ許されているだけだ・・・・」

白狐の〝許されている〟という言葉が鬼妙丸の心に突き刺ささった。

人である鬼妙丸が、何故この鬼の山の中で自由に暮らせているのかと言うと、それは森や山の者とされる〝ひとならざるもの〟の許しが有るからで、決して鬼妙丸がこの山を支配している訳ではないのだ。

鬼妙丸の背中にゾクっという冷たい感覚が走った。

樹々の間か、はたまた岩陰か、数々の気配を鬼妙丸は背後で感じた。

「お前はこのヤマノモノたちに見られている事を忘れるでないぞ・・・・肝に銘じておけ」

白狐は鬼妙丸に念を押すように、そう言い残し森の中へと消え去ってしまった。

「わかってるよ・・・・」

川のせせらぎを背に聞きながら、鬼妙丸は呟き川辺で立ち尽くていた。

背後から感じるヤマノモノたちの不気味な気配は消えていた。

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