第58話 花嫁修業わんこと、この先も続く日常

 沙霧を残し、俺は一人で家に帰ってきた。


 玄関を開けると、家の中はシンと静まり返っていた。わんわんと騒がしい、沙霧の声が聞こえない。


 なんか、寂しいな……。


 リビングのカーテンレールには、昨夜沙霧が干した二人分の下着がぶら下がったまま。部屋の片隅には、沙霧の荷物が入ったバッグが鎮座していた。


 そこかしこに残る沙霧の気配が、俺の心を締め付ける。


 たった三日間。されど、濃密な三日間だった。


 学校では秘密を守るためにある程度距離を置いてはいたが、おはようからおやすみまでのほとんどの時間を共に過ごしていた。


 そのせいで、俺達は連絡先の交換すらしていない。それに気付いた瞬間、俺は愕然とした。


 これじゃ、沙霧と話もできないじゃん……。

 荷物も持っていってもらわなきゃいけないってのに……。


 …………。


 でもまぁ……これで良かったんだよな。


 沙霧の家出問題は無事に解決して、晴れて俺達は恋人同士になれたのだ。荷物くらい、いつだって取りに来てもらえる。


 けれど、やっぱり寂しさは拭いきれず、俺はソファにぐったりと沈み込んだ。なにもやる気が起きない。


 夕飯、作らなきゃ……。


 そう思うのに、身体は動かなかった。ぼんやりと宙を見つめ、無為に時間だけが過ぎていく。そろそろ陽が沈み、夜になる。


 もう面倒くさくなってきたな……。

 今日はコンビニ弁当でもいいかな──


 そんなことを考え始めた矢先、インターホンが来客を告げた。


「……こんな時間に誰だよ」


 悪態をつき、壁に設置されたインターホンのディスプレイを覗き込む。そこには──


 誰もいなかった。ただ、薄闇に染まる我が家の正面が映し出されているだけで。


 いたずら、か……?


 とも思ったが、念の為に外に出てみた俺は目を大きく見開いた。


 家の門の外側に、女の子が一人うつ伏せで倒れている。


 これは、つい数日前に目にした光景とほぼ同じだった。


 違うのは、彼女が身に纏う服が、俺が通う誠諒高校の制服であること。それから、ご丁寧にレジャーシートが敷かれていること。


 はなから倒れる気満々やないかいっ!!


 そう叫びたいのをぐっと堪えて、俺は恐る恐る彼女に問いかけた。


「あの……沙霧? そんなところで、なにしてんの……?」


 ひっくり返して確かめるまでもなく、その女の子は沙霧だった。沙霧は倒れたまま顔だけこちらに向けると、ゆっくりと目を開いた。


「もう一度ご主人様に拾っていただこうかと思いまして、こうして倒れていたのですわん♡ でも……なかなか出てきてくれませんでしたので、インターホンを押させていただいたんですの♡」


「いやっ、家に帰ったんじゃなかったの?!」


「それがですね……家出したことをこってりと叱られた後、今度はいっそ花嫁修業でもしてこいと追い出されてしまいまして。なので、ご主人様ぁっ♡ また私を拾ってほしいのですわんっ♡」


 沙霧も沙霧なら、ご両親もご両親かっ!

 花嫁修業とか、娘を追い出すとか、意味わかんないんだけどっ?!


 でも、沙霧が戻ってきてくれた。それだけで、俺はどうしようもなく嬉しくなっていた。


「なに寝ぼけたこと言ってるの。沙霧の家はここなんでしょ? だったらさ──」


 俺はいまだに地面に寝転がっている沙霧をそっと抱き起こした。俺の愛犬であり、誰よりも愛おしい女の子を。


 そして──


「沙霧、ハウスっ!」


 短くコマンドを出して、俺は玄関を指さした。沙霧はぱぁっと顔を輝かせて抱きついてくる。


「わんっ♡ ご主人様っ、大好きですわんっ♡」


「うん、俺も沙霧が大好きだよ。だからほら、早く家に入って。また一緒にご飯作って、一緒に食べようよ」


 コンビニで済まそうなんて考えていたが、沙霧がいるなら話は別だ。なんとも単純なことに、俄然やる気になってきた。幸いなことに、買い物に出かけずとも、二人分の食事を作れるくらいの食材は冷蔵庫に残っている。


「お風呂も、寝るのも一緒ですわんっ♡ ずっとずーっと、なにをするのも一緒がいいんですのっ♡」


「はいはい、わかってるよ。まったく、甘えん坊なんだ──って、風呂もっ?!」


 戻ってきて早々、なに言い出してるのよ沙霧はっ?!


「三度も裸を見た仲ですのに、今更ですわん♡ 私のも……ちらっとですが、見られておりますし?♡ きゃっ♡」


 『きゃっ♡』じゃないのよっ!

 なんでちょっと嬉しそうなのさっ?!


「あれは沙霧が勝手に突入してきたからでしょぉっ?! それに、見ちゃったのも事故だよぉっ!」


「ふふっ、照れちゃって可愛いご主人様ですわんねっ♡ ですが、樹くん?」


 沙霧はレジャーシートを折りたたみながら、真剣な瞳を俺に向けた。


「な、なに……?」


「今後のこともありますので、早めに慣れてくださいね?♡」


「今後の……って?」


「それは……先ほど家で、お母様に言われたのですが──私には兄弟がおりませんので、いつか跡取りとなる仔犬を産まねばならないのですよ。ですから……しっかり樹くんの寵愛を賜るように、と……♡」


 おいおい……。

 なんか古めかしい言い回ししてるけど、それって……。


 そ、そういうことだよね?!

 やっぱりコンビニ行ってきた方がいいのかっ?!


 いや、待て待て、落ち着け……。

 なにも今すぐにってわけじゃないだろ。


 正直なところ、すでにかなり我慢してるっちゃしてるけど──


「……とにかく、おかえり、沙霧」


「はいっ、ただいまです、樹くんっ♡」


 どうせ、まだまだ振り回されるのは確定しているのだ。それは、俺自身が選んだ道でもある。


 俺は沙霧の手を引き、家の中へと連れ込んだ。玄関のドアが閉まった途端、沙霧のお腹が可愛らしくぐぅと主張する。


 沙霧はほんのりと顔を赤くして、俺を見上げた。


「はぅっ……また鳴っちゃいましたわん……♡」


「今日は色々あったからしょうがないって。それくらい頑張ったって証拠だよ。偉かったね、沙霧」


「えへっ♡ 褒められちゃいました♡ ところでご主人様ぁ……今日のご飯はなんですわん?」


「そうだねぇ、なに作ろっかなぁ」


 献立を考えながら、思わず頬が緩む。俺と沙霧のわんわん生活はまだまだ終わらないらしい。


 いや、むしろ──


 ここからまた、新たに始まろうとしていた。


 Fin.



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 本作の本編はこれで完結でございます。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!


 58話、16万文字超で経過した作中時間はおよそ丸3日。たったの3日ですが、樹くんと沙霧さんにとっては、この後の人生を左右するほどの濃密な3日間となりました。


 日常生活の全てが関係を深めるイベントと化してしまいましたので、それはもうイチャコラとやらかしておりましたね……(笑)


 とはいえ、本編中では描ききれなかった部分もあり、そちらは番外編としてこの後に投稿させていただこうと思います。


 ここまでは毎日更新でやってまいりましたが、番外編は3日おきの更新となります。その点、ご留意くださいませ。


 最後まで、二人の物語をお楽しみいただければ幸いでございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月18日 07:02
2026年1月21日 07:02
2026年1月24日 07:02

家の前に落ちていた女の子を拾ったら、懐かれた上に居着かれた〜手料理で餌付けたポンコツわんこの甘えが止まらない〜 あすれい @resty

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画