第57話 試練のわんこと、貫く想い

 ──ドンっ!


 ここが漫画の世界であれば、そんな効果音が付いていたはずだ。


 沙霧の家に到着するなり、先に帰宅していたご両親に出迎えられ、客間へと通された。そして現在は、俺の左隣に沙霧がちょこんと座り、ご両親との対面を果たしている真っ最中である。


 重苦しい沈黙が、この場を支配していた。


 沙霧のお父さんは腕を組み、目を閉じてむっつりと押し黙り、お母さんは余程沙霧を心配していたのか、しきりに瞳から流れ落ちる涙をハンカチで拭っている。


 沙霧は沙霧で、そんな両親を前にしてオロオロするばかり。


 俺も正直、ちょっとチビりそうなんだけど──


 それじゃここに来た意味がないわけで。


 この空気を、部外者である俺が打ち破るのもどうかとは思うが、大切な沙霧のため──ひいては、俺達の未来のためである。


 俺は静かに深呼吸をしてから、どうにか口を動かした。


「あの……突然押しかけてしまってすいません。俺──いや、僕、相葉樹といいます。沙霧さんとはクラスメイトでして──」


「……君か?」


 俺の言葉を遮るように、お父さんが低い声で呟き、すぅっと目を開いた。その眼光が鋭くて、俺は蛇に睨まれた蛙のように固まった。


「え、えっと……」


「君なのかと聞いている」


「なんの、ことでしょう……?」


「沙霧の言う、優しいご主人様というのは君なのか……そう聞いているんだ」


「…………はぁ?」


 思わず、間の抜けた声がもれた。怒りを孕んだ視線が、絶えず俺を突き刺しているにも関わらず。


 優しいご主人様、って……なんだっけ?


 いや……。

 なんか知ってるぞ、それ……。


 …………。


「あぁっ?!」


 思い出した!!

 書き置きの話をした時に、沙霧が言ってたやつっ!!


 え、でも……それって冗談だったはずじゃ……?


「ふむ……その反応、どうやら君で間違いないようだな」


 お父さんの目が細くなり、俺を射殺さんばかりに睨んでくる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 沙霧っ、どういうことなのっ?!」


「……えへっ♡ おふざけで書いたものと、真面目に書いたものを間違えて置いてきちゃったみたいですわんっ♡」


「間違いじゃ済まされないよっ?!」


「きゃんっ♡ 怒っちゃ嫌ですわん……うっかりをやらかしたのは、申し訳ないですが……」


 そこでそんなポンコツやらかす?!

 最初から詰んでるじゃんっ!


 俺はがっくりと項垂れた。


 ……終わった。これは終わったわ。

 しかも、可愛く誤魔化すためなのか、わんこモードになってるし……。


 もう、俺達の仲を認めてもらうどころではない。きっと俺は、大事な娘をペット扱いする変態の烙印を押されて、締め出されてしまうだろう。接触することすら、禁じられてしまうかも。


 考えうる、最悪のケースだ。それを悟ったのか、今度は沙霧が声を上げた。


「お、お父様っ、樹くんを責めないでください!

 あれは私が勝手に──」


「沙霧は黙ってなさい!」


 その一喝で、沙霧はビクリと肩を跳ねさせ口を閉じる。もう、だめかもしれない。


 俺は顔を上げ、沙汰を待つ。お父さんは、大きくため息をついた。


「はぁ…………相葉君、だったか」


「は、はいっ!」


「まずは、礼を言わせてくれ。沙霧を無事に帰してくれてありがとう」


「いえ、そんな……」


 あ、これは本当によくないパターンだ……。


 俺はぎゅっと目を閉じ、その後に続くはずの衝撃に備えた。


 けれど、いつまで経っても怒声は飛んでこない。恐る恐る目を開けると、お父さんは少し困ったような顔をしていた。


「俺の沙霧──だったかな? 君は、沙霧のことをどう思っているんだ?」


 妙に穏やかな声で問われる。そこに俺は、一つの活路を見た。まだ、俺達の望みを伝えるチャンスは残されているんじゃないかって。


 迷っている暇も、恥ずかしがっている暇もない。俺は居住まいを正して、真っ直ぐにお父さんを見据え、それから頭を下げた。


「あの時は、強引に連れ去るような真似をして申し訳ありませんでした。でもそれは、沙霧を守りたかったからで……そのくらい、大切なんです。好き、なんです……ですからっ!」


「いや、もう十分だ。それで、彼はこう言っているが、沙霧はどうなんだ?」


 お父さんは、俺の言葉を最後まで聞くことなく、沙霧へと視線を移した。沙霧も、少し肩を震わせつつも、目だけはそらさない。


「私も……樹くんが好きです、大好きです。樹くん以外の男性なんて、もう考えられませんのっ! ですので……お父様が持ってきたお見合いのお話は、お受けできません。それでも無理にと仰るのでしたら……お相手の方に噛み付いてでも破談にさせる覚悟です!」


 ついに言った。言い切った。


 たぶんこれが、沙霧の初めての反抗。沙霧は興奮を鎮めるように、肩で息をしていた。


 噛み付くってのが物騒だけど……。

 それも沙霧らしい。


 俺は健闘を讃えるように、そっと沙霧の手に触れた。きゅっと握り返され、指が絡み合う。


 決して、この手を解かせはしないという思いが通じ合った気がした。


 お父さんが再びため息をつき、これまで黙りだったお母さんが、ここでようやく口を開いた。


「沙霧にも……ついにそういう人ができたのね。ならもう、あの話は白紙に戻してもいいんじゃないかしら?」


「……仕方のない娘だな。こんな風になってしまったのも、我々が厳しくしすぎたせいなのかもしれないな。おまけに、目の前であんなのを見せられたら、もうなにも言えんだろ……っとに、先方にはどう説明したものか」


「そこは沙霧の気持ちを考えていなかった私達の責任ですもの、どうにかするしかないわね。なにせ、家出するほど嫌だったってことなんですから」


「そう、だな……わかった。沙霧、もう好きにしなさい」


 俺と沙霧を交互に見つめ、お父さんが静かに告げた。それは、俺達の勝利の鐘の音。やけに呆気ない幕切れだったが、勝利には変わりない。


「お父様……いいんですの?」


「いいと言っているだろ。それとも撤回してほしいのか?」


「やっ、だめですっ! そのままでお願いしますっ!」


「沙霧、よかったね」


「はいっ! やりましたっ!」


 そう叫んで、沙霧は俺を押し倒さん勢いで飛び付いてきた。その姿は、まさに飼い主にじゃれるわんこそのもの。


「わっ、ちょっと沙霧っ?! ご両親の前だけど?!」


「そんなの構いません。好きにしろって言われましたもんっ。えへへ♡ ご主人様ぁっ♡」


「ご主人様呼びも出ちゃってるぅっ?!」


「恋人同士になっても、私は樹くんのわんちゃんですもの♡」


 喜びを爆発させた沙霧は、俺なんかでは止めようもなかった。完全に押し倒され、馬乗りにされた俺は、ひたすら沙霧の繰り出すスリスリ攻撃に耐える。


 そんな俺達には二つの視線が向けられていた。


 一つは、微笑ましそうに眺めてくるお母さん。

 そしてもう一つは、なんとも複雑そうな表情のお父さん。


 お父さんは俺に、一つ言葉を落とした。


「相葉君──いや、樹君と呼ばせてもらおう。いいか、樹くん。拾った犬は最後まで愛し、面倒を見るのが飼い主の務めだ。途中で放り出したりしたら……わかっているね?」


 眼力と言葉の圧があまりにもすごくて、俺は沙霧にもみくちゃにされながら必死で首を縦に振った。


 でも──


 自分の娘を犬扱いしてますがっ?!


 なんだか、沙霧がわんこ化した要因の一端を垣間見たような気がした。 


「ならいいんだ。沙霧のことを、幸せにしてやってくれたまえ。それから沙霧──まだ話が残っているから、ひとしきり満足したら樹君をお見送りして、私の部屋に来なさい」


 それだけ言うと、お父さんは沙霧の返事も待たずに客間を出ていく。お母さんも、その後に続いた。


 二人きりになるやいなや、沙霧は蕩けるような笑みを浮かべる。


「樹くん、ありがとうございました♡ 大好きですよっ♡」


 べったりと、沙霧がのしかかってくる。


 まず最初に、鼻先同士が触れた。それから沙霧は顔を傾け──


 ちゅっ♡


 甘いリップ音を響かせて、唇が重なった。離れては重ね、重ねては離れ──何度も、何度も。


 時折、俺の口元をチロリと舌先で舐めていくのは、わんことしての甘えだろうか。沙霧の愛情表現を一身に受けて、俺の頭は急速に茹で上がっていった。


「さ、沙霧……やりすぎっ……!」


「まだ全然足りませんっ♡ だってこれは、お礼と祝杯なのですわんっ♡ もっともっと、ちゅーっ♡」


「んむぅーっ?!」


 このわんこ、危険すぎる。


 沙霧の家を辞す頃には、散々キスをした俺の唇はジンジンと熱を持っていた。


 ……このまま同じ家に帰ることにならなくて良かったかも。


 じゃないと──


 仔犬が産まれる事態になっちゃう気がっ!!

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