第56話 真わんこモードと、踏み出す覚悟
沙霧と、キスをした。正確には不意打ち気味にされたのだが、細かいことはこの際どうでもいい。
キスって、やばいな……。
告白をして、沙霧の想いを受け取って──少しだけ落ち着きかけていた心が、再び一気に騒ぎ出す。ますます、沙霧のことが愛おしくなって。
もう少しだけ、この余韻にひたっていたい。けれど、どうしても確かめておかなきゃいけないことが一つある。
俺のファーストキスがいつだったかという、大問題だ。
「あ、あのさ沙霧、確認なんだけど……今のって、俺達の初めてのキスだよね……?」
「え、違いますよ?」
こともなげに、沙霧はさらっと俺の問いかけを切り捨てた。まるで、おかしいのは俺の方だと言わんばかりの顔をして。
「……まじ? なら初めてって、いつなの?」
「樹くん……本気で言っているのですか? 昨日のことですのに、まだ一日も経っていませんのに……」
沙霧は、しゅんと眉を下げた。
「昨日……昨日って──あぁっ!!」
記憶を精査して、精査し直して──
俺はようやく、ある一つの可能性にたどり着いた。
「思い出していただけましたか?」
「なんとなく、だけど……寝る前の、あれのこと……で、あってる?」
「よかったぁ……覚えててくださったんですねっ♡」
俺が正解を引き当てた途端、沙霧はぱぁっと表情を弾けさせて、勢いよく抱きついてきた。
「で、でもっ……あれは頬にしただけだよね?!」
「ちゃんと唇にしましたもんっ!」
「いや、だって……頬押さえてたじゃん?!」
「あら、そうでしたっけ? そう言われると、そんな気も……しなくはないような? うーん……たぶんですが、恥ずかしくなって無意識にしてたんでしょうね」
「……まじか」
なんてこった。
そんなすれ違いって、ある……?
状況を整理すると、こういうことになるはずだ。
沙霧は俺に目を閉じさせた。そして、永遠のわんこの誓いとして、唇同士のキスをした。
けれど、照れくさくなった沙霧が頬を手で押さえたことで、それを見た俺は、強制ほっぺちゅーだと勘違いをしてしまった。
……なんという罠。
それならちゃんと言っておいてほしかったよ。
そういう大事なことは特にさぁ……。
そういや、前にも叙述トリックくらったっけ。ミスリードを誘発させるとは、このわんこ、侮りがたし。
「というわけで、樹くんとのキスは二度目ですよ♡ 一回目はわんちゃんとして、今回は……えへっ♡」
「告白は恥ずかしがってなかなか言ってくれなかったくせに……」
「それは……すいません。ですが、もう大丈夫ですっ! 良い方法を思いつきましたので、これからは何度だって言えますよ。ほら、樹くんだーい好きっ♡」
「んぐぉっ……! 待って待って、そんなに何回も言われると、俺の心臓が持たないって……! でも、どうして急に……?」
「んふふっ、仕方ありませんね。特別に教えて差し上げます。心はご主人様が大好きなわんちゃんになりきって、言葉だけを普通に戻すのですよ。そうすると、あまり恥ずかがらずに言えるんですの♡」
なんだよ、そのチート……!
ズルすぎない?!
俺の付け焼き刃なご主人様モードじゃ、そんな器用なことできないんだけど?!
両想いが確定した結果、沙霧のわんこモードは一段階進化を遂げてしまったらしい。この先いくつ進化を残しているのかを考えると末恐ろしい。
けれど──
これ、実は俺にとってめちゃくちゃ美味しいんじゃない?
わんこな沙霧も、普通の女の子な沙霧も、どっちも俺は好きなわけで。これまでは別々にしか見ることができなかったが、なんと今、その二つが融合した真わんこモードが爆誕している。
つまり、一度で二度美味しい。さらに振り回される予感はあっても、喜ばずにはいられない。
なら、俺だって付け焼き刃のままじゃいられない。ズルい狭霧に、変な対抗心がふつふつとわき上がってきた。
なってやる!
この最強わんこに相応しい、完璧なご主人様に──
って違うっ!
俺がなりたいのは沙霧の彼氏なのっ!!
まったく、沙霧のテンションに合わせるといつもこうなるんだから。
まぁ細かいことは置いておくとして……。
まずは手始めに、敵の本丸にカチコミと洒落込みますか。
「んじゃ……俺達の未来のために、行こっか」
「どこにですわん?」
「どこってそりゃ……って、わんが出てるけど?!」
言葉は普通に戻すんじゃなかったっけ?!
いきなり出鼻をくじかれたんだけどっ?!
「いいじゃないですか。今は二人きりですわんっ♡誰かに見られる心配もないですし、最近はずっとこうだったので、こっちの方が落ち着くんですの♡ ねっ、ご主人様ぁっ♡」
「いやまぁ、可愛いからいいけど……とにかく、早いとこ沙霧の家、行くよ」
「私のおうちはここですわんっ♡ 二度もご主人様に唇を捧げたのですから、追い出しちゃ嫌ですわんっ♡」
いかん……。
本元のわんこモードに突入したせいで、話が全く進まなくなっちゃったぞ。
俺だって、このまま沙霧とわんわんしていたいけど──
「バカなこと言ってないで行くよ。沙霧を追い出すつもりも、手放すつもりも毛頭ないけど、その後のことを考えるのは全部終わってからね。また拐われたりしたら困るんだから」
「わふん……わかりました。私も、覚悟を決めます。ちゃんとお話をして、樹くんとの交際を認めてもらいたいですから。でも、その前に──」
「……ん?」
沙霧は恥ずかしそうに視線を揺らし、俺を見る。
「私、頑張りますから……今度は、樹くんからキス、してくれませんか? 私が樹くんのものだって証が、ほしいのです」
この瞬間、沙霧はわんこモードも、真わんこモードをも脱ぎ捨てていた。ただ真剣な瞳を、俺に向けている。
沙霧も俺との未来を本気で考えてくれていることが、痛いほどに伝わってきた。
「──わかったよ。それで沙霧が踏み出せるなら」
「……嬉しいです。では……お願いします」
静かに、沙霧の瞼が閉じる。その上に、夕方の日差しを受けた長い睫毛の影が落ちた。
沙霧の頬に触れると、相変わらずすべすべでもちもちな肌が愛おしい。
俺からの、初めてのキス。
心臓が止まってしまいそうなくらい緊張するけれど──
それでも、しないという選択肢はなかった。沙霧に勇気を与えるためだけじゃなくて、同時に、俺の覚悟も試されているような気がしたから。
「……沙霧、好きだよ」
「はい……私も、樹くんが大好きです♡」
あとはもう、言葉はいらない。俺はぎこちなくも、確かに沙霧と唇を合わせた。
その柔らかさを、温もりを、自分の身体にも刻み込むように。
「んっ♡」
沙霧の喉が甘く鳴り、さらに唇を押し付けてくる。胸の奥がジンっと痺れて、幸せの波が全身に広がっていった。
「ふぁ……ありがとう、ございました♡」
顔が離れると、沙霧はうっとりと吐息をもらし、指先で唇に触れた。
俺も真似してみる。少しカサついた唇に沙霧の余韻が残っているような気がして、少しだけ顔が熱くなった。
この幸福感を失わないように。
この先、何度でも味わえる未来を手にするために──
「じゃあ、行こうか」
「はいっ、行きましょう」
俺達は手を取り合い、指を絡めて家を出た。これから鬼退治に出向く桃太郎のような心持ちで。
だって、沙霧はわんこだし。この後、猿と雉を仲間にする予定は当然ない。
──その約一時間後。
「えっ、ちょっ……ここが、沙霧の家……?」
「大きいだけの、古臭い家ですけどね」
「いやこれ、大きいだけっていうか……」
俺の目の前には、我が家が五、六軒は丸々収まってしまいそうな、広大な敷地が広がっていた。その奥には、これまた立派すぎるお屋敷が。
なんか俺……。
とんでもないところに来ちゃったかもーっ?!
ちょっぴり膝が震えていたのは、沙霧には絶対に内緒だ。
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