第55話 告白わんこと、照れ隠しの『わんっ♡』

 玄関で話を切り出した沙霧を止め、ひとまずリビングへ移動する。まずはカラカラになった喉を潤してから、ソファに横並びで腰を落ち着けた。


「さて……それじゃ、聞かせてくれる?」


「はい……でもその前にもう一度──ご迷惑をおかけして、本当にすいませんでした……」


 沙霧はまたしても、深く深く頭を下げる。俺はそんな沙霧が見たくて助けたわけじゃないのに。


「いや、別に責めてはいないよ。俺もカッとなってやらかしちゃったし、過ぎたことはどうしようもないからさ」


「そう、ですね……ありがとうございます。では……どこから話せば良いものか──」


 そう言って、沙霧は思案げに視線を左右に揺らした。


「ゆっくりでいいから、沙霧の話しやすいように話してよ」


「わかりました。えっと……これはあまり自分では言いたくなかったのですが──私の家って、ちょっとした名家の名残みたいなものなのですよ」


「あぁ……そうなんだ」


 なんとなく、腑に落ちるものがあった。沙霧の食事の時の洗練された所作、行儀の良さも、言葉遣いも。もちろんわんこモードは除くが。


 さっきの黒塗りの車にしたってそうだ。いかにも高級車っぽい感じがしていた。


「……あれ? でも名残って、なに?」


「そこが問題でして……曽祖父の代までは土地などもたくさん持っていてかなり栄えていたらしいのですが、祖父の代でかなり落ち込んでしまって。今では、家が残っているくらいですかね。それでもまだ、他のご家庭よりかは裕福だとは思うのですが……」


「はぁ〜……そんな話、実際にあるんだねぇ」


 俺みたいなごくごく庶民的な家庭育ちには、到底想像もできない世界なのだろう。なんだか、ドラマの話でも聞かされているような気分になってきた。


「けど、それのなにが問題なの?」


「父が家を盛り返そうと躍起になっているのですよ……それで私に縁談話をもってきたのです。簡単に言えば、お見合いってことになりますね」


「えっ……縁談?!」


 思わず、声が裏返った。


 いやいやいやっ!

 そんなの、俺の恋愛の未来を揺るがす大問題ですけど?!


 だって、俺は沙霧に告白しようとしていたのだ。想いを伝えて、恋人同士になりたい。その延長線上にあるのは、結婚。当然、まだそんな気の早いことは考えていないが。


「そんなに驚くことではありませんよ。力のある家と繋がりを持とうとするのはよくあることですので。でも──私は嫌でした。普通に恋愛して、心から好きな人と……当たり前の幸せを、自分の手で選びたくて。だから、私は家を飛び出したんです」


「…………」


 俺は、強く唇を噛みしめた。


 沙霧はまだ高校生だ。恋愛に憧れがあるのは普通のことだし、そもそもお見合いなんて早すぎると俺も思う。


 ただ一つだけ、沙霧の両親に憎しみを抱く前に確認しておかなければいけないことがあった。


「……沙霧はさ、ご両親に自分の気持ちは伝えたの?」


 俺の問いかけに、沙霧は大きく目を見開いた。


「……伝えて、ません。どうせ言っても、聞いてもらえないでしょうし」


「そんなの話してみるまでわかんないじゃん」


「わかりますよっ……! お父様もお母様も、昔からすっごく厳しくて……習い事とかも勝手に決めてきたりして。お友達と遊べずに、寂しい思いもたくさんしてきました。けど……それは私のためなんだろうって思って、ずっと我慢して……」


「もしかして……その気持ちも、沙霧は伝えてこなかったんじゃないの?」


「……っ?!」


 沙霧はハッと息を呑んだ。どうやら、図星のようだ。


 話しても無駄だと決めつけて、諦めて──沙霧は辛い気持ちを一人で抱え込んでいたのだろう。俺にあれだけ甘えてきたのは、その裏返しなのかもしれない。


 でも、それならまだ可能性があるはずだ。これが沙霧の、最初の反抗になるのだから。


「ねぇ沙霧……一回でいい、ちゃんと話してみようよ。俺も一緒に行くから。沙霧と一緒に頭下げるからさ」


「……樹、くん。ですが、そこまでしてもらうわけには……」


「どうせもう巻き込まれてるんだから構わないよ。さっきのことも謝りたいし。それに、俺にも全く関係ないってわけじゃないからね」


「……どういうことです?」


「それは──」


 俺は一度深く息を吸って、吐き出した。


 今なら、邪魔は入らない。ここが、最後のチャンスになるかもしれない。むしろ、最高の舞台にも思える。


 俺の気持ちをはっきり伝えないままでご両親と対峙すれば、いいように言いくるめられてしまうかもしれない。その後に待っているのは、沙霧の縁談が本人の意思を無視して進んでいくのを指をくわえて見ているだけの未来。


 そんなものは、知らない誰かに沙霧を奪われるなんてことは、到底受け入れられない。


 俺と沙霧の関係は、まだギリギリのところで繋がっている。それを、絶対に切れないような確かなものにしたい。


「月島、沙霧さん」


 あえて、フルネームで呼んだ。平穏でいられるわんこごっこから、一歩踏み出すために。その決意は、朝から揺らいでいない。


「は、はいっ……!」


 沙霧は俺の思惑を理解したのか、瞳を潤ませながら姿勢を正した。


「好きです。もろもろの問題を全部片付けたら、俺と、付き合ってください」


 ようやく言えた。沙霧への好意を自覚してからそんなに時間は経っていないが、胸につかえていたものが取れたような気がした。


 俺一人だったはずの時間を、賑やかに彩ってくれた沙霧。絶対に手放したくないと思ってしまうほど、俺はすっかり沙霧中毒なのだ。


 沙霧の頬が赤く染まり、唇が恥ずかしげにもにょりと動く。


「あっ、別に返事は今すぐじゃなくても──」


「だめです! 今、ここでお返事しなければ、両親に話なんてとてもできませんもの!」


「そ、そう……? じゃあ、聞かせてくもらおうかな」


「はい……あの、樹くん……私、ね──」


「うん、なに?」


 急かすつもりはなかったはずなのに、答えを求めて胸が高鳴る。それでもなるべく落ち着いて続きを促すと、沙霧の顔はさらに赤くなった。


「私、私も──ご主人様のことが、大好きですわんっ♡」


「……はぇ?」


 え、待って待って?

 それはなんか、ずるくない?


「……えへっ♡ 言っちゃいましたわん♡」


「いやっ、なんでいきなりわんこになるの?! それなら前にも聞いてるけどっ?!」


「きゃんっ♡ もう、怒らないでほしいです……これは、照れ隠しですわんっ♡」


 両頬を手で押さえてくねくねする沙霧に、俺は言葉を失った。さっきまでのシリアスな空気はどこへ行ったのか。これはこれで、可愛すぎるからたちが悪い。


 もしかすると、沙霧も俺とのわんこごっこが終わってしまうことを恐れていたのかもしれない。


 俺としては、恋人同士になったからといって、わんこごっこをやめる必要はないと思う。ただ、今だけは真剣な言葉がほしい。


「……普通には、言ってくれないの?」


「あぅ……恥ずかしいです。これでも精一杯ですのに……」


「一回だけでいいからっ! そしたら俺、頑張れるから!」


 こんな中途半端なんてあんまりだ。ここまで来たら、ちゃんと想いを通じ合わせて山場へと向かいたい。


「うー……わかりました。そうですよね、ズルはいけませんものね。でも、一回だけ、ですよ……?」


「うん、それでいいよ」


「じゃあ……樹くん、大好きっ♡」


 告白の言葉と同時に、沙霧は俺に飛び付いてきた。きれいな顔が、目の前に迫ってくる。


 そして──


 静かに、唇と唇が触れ合った。


 柔らかくて、甘い、お菓子のような匂いがした。驚きで硬直した俺だったが、離れていこうとする沙霧の肩を、無意識のうちに引き寄せる。


 ほんの数秒だけ、名残を惜しむように。


 一瞬の間をおいて、沙霧が離れていく。


「えへっ♡ またしちゃいましたっ♡」


 そんな爆弾発言を残して。


 えっ……。

 またってどういうことなのっ?!


 俺、そんな記憶ないんですけどーっ?!


 沙霧は照れくさそうに笑うけれど、俺には今した話が全部頭から吹っ飛ぶほどの衝撃だった。

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