夢の女
あべせい
夢の女
「会いたいンです。彼女がどこにいるのか。それだけ、教えてください」
「いきなりやってきて何ですか。わたしは、占い師じゃありません。何度もいいますが、わたしは医師です。精神科の女性医師です」
「ですから、先生のお力で。あの女性に……アーッ」
「どうか、なさいましたか?」
「先生。先生にお会いするのはきょうが3度目ですが、なんだか先生の印象が以前と違って、別人の感じがします。きょうのほうが、とてもやさしい感じがして……」
慌ててメガネをかけて、
「失礼しました」
「そうか、そうです。診察室ではいつもその黒縁のメガネをおかけでした。すいません。もう一度、メガネをはずしていただけませんか」
「どうしてですか」
「なんだか、私が前にお会いした女性に先生がとてもよく似ておられるンです。お願いします。メガネをお外しなった先生のお顔を、もう一度だけ拝見させてください」
「お断りします。プライベートなお客さまかと思ってメガネをかけずに応対に出たのです。医師としてのわたしを訪ねて来られたのですから、メガネは外せません」
「そうおっしゃらずに」
「お断りします。どうぞ、お帰りください」
「先生、私は患者です。先生は精神科の医師。患者の私を診る義務がおありではないですか」
「あなた、ここをどこだと思っているのです。高層マンションの25階にあるわたしの自宅ですよ。時刻はお昼を過ぎているとはいっても、わたしのプライベートな時間です」
「私が先生に初めてお会いしたのは、先生が勤務医をしておられる聖オリオン医科大学病院の診察室でした。そのとき先生はおっしゃいました。『ここでは看護師や患者さんが多く出入りするので落ち着いてお話しすることができません』。それで2度目は、駅前に開設された先生のクリニックにうかがいました」
「クリニックは患者さんが少なく、週3日だけ診察しています。しかし、その分、治療の困難な患者さんには丁寧な治療ができることから、とても評判がいいのです」
「先生はそのとき私にこうおっしゃいました。『あなたの症状は、このクリニックでは扱えません。もっと静かな、リラックスできるクリニックを紹介します』と。覚えておいでですよね。ただ、ご紹介いただいたクリニックは隣が墓地で静かなことは確かでしたが、クリニックの先生が95才と高齢で、クリニック全体が墓場のような静けさ。私はその静寂に耐えられませんでした。それでこれ以上の治療は、先生のご自宅で受けるしかないと考えたのです」
「正直に話します。あなたがわたしに打ち明けられた症状は、医師ではどうすることもできません。そうでしょう。夢に出てきた女性に会いたい。それもたった一度みた夢ですよ。その女性にはそれまで会ったことがない。実在するかどうかもわからない女性に会いたがる。わたしは精神科の医師です。困っておられるのなら治療します。しかし、あなたの場合は、夢の中で、その女性に会う方法を教えて欲しいというのでしょう。その女性が出てくる夢がもう一度見たい。そんなことができるわけがない。医療の分野ではありません」
「先生! 先生です」
「どうしました。大声を出して。ここは診察室ではありません」
「先生なんです。わたしの夢に一度だけ出てきた女性というのは。メガネを外しておられた顔を拝見してから、ずっと考えていたのですが、いまようやく確信が持てました」
「いい加減にしてください! わたしは医師です。バカにするにもホドがあります」
「先生にお会いした瞬間、これは夢の中なのかと疑ったくらい、先生は夢の女性にそっくりです。これは正夢です」
「待って。仮にですよ。わたしがあなたの夢に出てきた女性に似ていたとします。恐らくあなたは聖オリオン病院のどこかでたまたま私を見かけ、その後わたしがあなたの夢に現れたのでしょうが、それであなたはどうしたいのですか」
「先生、私にはまだ理性はあります。私は先生が私の夢に出てくださるだけで満足です。夢の中なら、許されないことも、許されますから……」
「あなたのご相談はわかりました」
ぞんざいに、
「なんとか工夫して、今夜からあなたの夢に出ることにしましょう。それでいいですね。これから人が訪ねてこられるので、失礼します」
「先生。本当ですか! 先生が、私の夢に出てこられなかったら、私、ここに押しかけますよ!」
「もう、つきあってられない。帰って!」
ドアを閉めようとして、
「そうだ。待って。患者さんのあなたに、どうしてこのわたしのマンションがわかったの。病院が教えるはずがないし……まさか!?」
「そのまさかです。病院の職員通用口でお待ちしました。白衣の先生もすてきですが、私服の先生もすばらしい。いまドレスをお召しの先生は、さらに魅力的です」
「あなた、廊下で大きな声を出さないで。ご近所に聞こえるでしょう」
「ドアを閉めさせていただきます。すると、自然に体が室内に入ります。これもお許しいただき……」
「あなた、いいですか。上がり口の前にあるその靴脱ぎマットの枠から絶対に出ないでください。一歩でも出たら、警察を呼びます」
「このかわいいサソリの絵がある靴脱ぎマットですか。先生はサソリがお好きなんですね」
「家の中で大きな声を出さないで。奥で主人が休んでいるんですから」
「失礼しました。病院では、33才の独身美人女医とお聞きしていたものですから」
「勤務先では、独身ということにしてあるんです」
「しかし……先生、このサソリ、生きていないですね」
「あたり前でしょう。絵ですもの」
「そういう意味じゃなくて、この絵には大小2匹のサソリが描かれていますが、小さい方のサソリは死んでいると申し上げているのです」
「どうして、そんなことがあなたにわかるの?」
「大小2匹のサソリは互いに向かい合っていますが、これは親子のサソリではありません」
「エッ、どうして?」
「これは雌雄一対のサソリです。大きいほうがメス、小さい方がオス。ノミと同じで、サソリは通常メスの方が大きいのです。種類でいうと、この色具合から見て、中東に多く生息しているオブトサソリ、別名デスストーカーとも呼ばれる猛毒をもつサソリです」
「あなた、サソリに詳しいのね」
「もっとわかります。このマットはある方からプレゼントされた」
「どうして、そんなことまで。あなた、何者?」
「このマットの右下の角に『フロームK』と刺繍してあるじゃないですか。イニシャルKからの贈り物、いま先生はその、同僚医師のKと恋に落ちておられる」
「待って。あなた、病院でささやかれている噂をききかじってきたのでしょう。でも、そんなのウソばっかし……」
「先生、噂をバカにしてはいけません。もっとおもしろい噂もあります。先生は、Kがこのマットを先生にプレゼントした目的をご存知ですか?」
「目的って……わたしが靴脱ぎマットを欲しがっていたから、贈ってくださったんでしょう」
「先生はそのKとつきあう前にも、同じ大学病院の外科医とおつきあいなさっていた」
「そんなことまで噂になっていたの。ずいぶん気をつけていたつもりなのに……」
「その元カレは、先々月亡くなられた。当初は過労による急性心不全とみられていましたが、遺体を解剖した結果、毒殺と判明。何者かが、毒物を元カレに服用させた」
「そんなことまで……。立っていないで、そこに腰かけてください。いまコーヒーを淹れますから」
ストーカー患者は女性医師に促されるまま、応接用の椅子に腰をおろしました。
しばらくして女性はキッチンから現れると、二人分のコーヒーをテーブルに置き、患者の男が腰かけている同じソファに並んで腰をおろします。
「あなた、さっき、プレゼントの目的といったわね。あれは、どういうこと?」
「靴脱ぎマットの絵柄にスコーピオン、つまりサソリはおかしくないですか?」
「彼、親しくしている患者にマットの製造業者がいるからといって、作らせたみたい。わたしも最初、サソリの絵柄は妙に感じたけれど、わたしの誕生月は11月で星座はサソリ座だからだと」
「元カレの誕生日は?」
「確か、10月24日だったはず」
「10月24日生まれもサソリ座です」
「どういうこと? Kは、私と元カレの婚約を祝ってくれたというの。当時私は元カレと結婚の約束をしたばかりだった」
そのとき玄関チャイムの音がして、2人は会話を中断しました。
「どなたかしら。失礼」
医師はインターホン越しに用件を聞きます。
「保険? いま、行きます」
医師は玄関へ。
ドアを開けると、濃紺のスーツを着た若い男性が立っています。
「お休みの日に押しかけて申し訳ありません。話の性質上、ご自宅のほうがと思ったものですから」
「きょうはこれから約束がありますので、手短にお願いします」
「先生は亡くなられた婚約者の織元さんに保険をおかけでした。間違いありませんね」
「彼はわたしの元婚約者です。確かに3千万円の生命保険をかけていました。ただ、ご存知でしょうが、正確にお話しますと、わたしと元カレは婚約時に、互いに相手を受取人にして生命保険に加入しました。ですから、わたしはカレを受取人に、同じくカレはわたしを受取人にして、それぞれ3千万円の生命保険に入ったわけです」
「どちらも障害特約付きの生命保険です。婚約者同士、互いの無事を願ってのことだとうかがっております。ただし、今回本当にお亡くなりになられたため、調査の必要が生じました」
「毒殺されたと噂が広がっていて、困惑しています」
「遺体からフグ毒のテトラドトキシンが検出されています。ご存知ですね」
「しかし、私の職場や身の周りからは、テトラドトキシンは入手できません。わたしをお疑いなら、お門違いです。わたしが、愛する織元さんをどうして、殺したり……できるのです! お帰りください!」
「先生、待ってください。わたしは先生が犯人だなんて思っていません。容疑者は別に……」
ドアを閉めながら、
「失礼します」
医師は閉じたドアに背をあずけ、
「休日だというのに、なんて日なの。なんだか、デートもいやになってきた。もう一人いたっけ……。失礼しました。申し訳ありませんが、お帰りいただけませんか。わたし、疲れてしまって」
「あのサソリのマットは、Kが先生と元カレの婚約祝いにプレゼントしたように思われますが、実はそうではない」
「どういうことです」
「サソリのメスは、相手のオスが気に入らないと、自分の持っている毒バリでオスを刺し殺すそうです。あのサソリの絵柄は、メスがハリを高く持ち上げて、相手のオスを刺し殺した瞬間を描いています」
「ということは、わたしが織元さんを刺し殺したという……。いいえ、マットが贈られてきたときは婚約したばかりで、元カレは元気だった。ということは、贈り主は、わたしと元カレの行く末を暗示するような絵柄をわざと描かせたとおっしゃるのですか。そんな、そんなことはありえない」
「私が言っていることは、そうことではありません。警察は、織元さんのご遺族の告発を受け、捜査を始めたばかりですが、Kの目的は、あなたが元カレを毒殺したと警察に疑わせることにあります」
「わたしが元カレを殺す動機は何です。保険金だとおっしゃりたいの!」
「受取人の犯行では保険金は降りません。それはおわかりでしょう」
「Kは、わたしがそんなことも知らない愚かな犯罪者と仕立てようとしている、とおっしゃりたいの」
「落ち着いてください、先生。私は、先生を追及しているわけではありません。織元さんを殺した犯人を捜しているだけです」
「エッ、あなた……刑事さん? 患者さんではなかったンですか」
「すいません。麻布署捜査一係の門堂といいます。先生の本当のお気持ちが知りたかったものですから。小細工をしてしまいました」
「ではKが、わたしが織元さんを殺したと思わせるような工作をしたうえで、彼を殺したというのですか。そんなバカな。Kはわたしの現在の恋人です。Kの動機は何ですか」
「Kと織元さんは出身大学が同じで、学生時代から親しい友人同士でした。ところが、あなたは最初、Kと交際したおられた」
「少しの間だけです。1ヶ月ほど。でも、彼に彼女がいるとわかったので、すぐに別れました」
「それからまもなく、あなたはKさんの親友の織元さんとつきあい、婚約までした。Kはおもしろくないでしょう」
「そんなことをいっても、Kには別につきあっている女性がいましたから。彼が、わたしと織元さんの仲をやっかむなんて、ありえない」
「Kに、あなたとは別につきあっている女性がいたというのは、全くのでたらめです」
「織元さんから聞いたのです。Kは病院理事長のお嬢さんと恋仲だって」
「織元さんは、あなたと交際したくて、あなたにそんなウソを吹きこんだ」
「Kはその事実を知って、織元さんを毒殺し、その罪を私に着せようとしているというのですか」
「それが真実です」
「あと30分もすれば、Kが来ます。わたし、彼に確かめます」
1時間後、Kが現れました。
背は高く、すこぶるつきの好男子です。
「ごめん。遅くなって」
「どうしたの。きょうは、病院理事長のお嬢さんの結婚式に一緒に出席しようと言ったのは、あなたよ。遅れるとまずくないの?」
「それが……」
「どうしたの?」
「結婚式は中止になった。花婿の親爺がカンカンらしいンだ」
「花婿のお父さんって、あの保守党の大物代議士じゃない。結婚式のドタキャンって興奮するけれど、理由は何なの?」
「それが、ぼくが理事長のお嬢さんとつきあっていたと吹き込んだヤツがいるんだ」
「本当につきあっていたの」
「君は前にも、同じことをぼくに言って、別れたよね。デタラメだよ。ぼくが理事長のお嬢さんとつきあうわけがない。いままで言う必要もなかったから黙っていたけれど、ぼくと彼女は従兄妹だ。従兄妹でも結婚はできるけれど、小さい頃は泣き虫で、中学まで寝小便をしていた彼女を知っているから、恋愛の対象にはならない」
つぶやく、
「織元さんはやっぱり私にウソをついたんだわ。わたしはそんな彼と結婚の約束までして」
「ねエ、そんなデタラメを代議士に吹き込んだ犯人はわかっているの」
「確か、麻布警察の刑事で門堂」
「門堂刑事! さっきまでここにいたわ。まだ外に張り込んでいるかも知れない」
女医は急いで玄関ドアを開けます。
すると、ドアに張りつくようにしていた門堂が顔を出しました。
「そんなところに隠れてないで、中に入りなさいよ」
「では再び失礼して」
「あなた、聞いていたでしょう。理事長のお嬢さんの結婚式をぶちこわして、どういうつもり!」
「あれは聞き込みの際、こんな噂もありますと断ったうえで、お話ししただけです。事実だと言ったつもりはありません。聞き込みでは、相手の口を開かせるために、あることないことを織り交ぜて話します。これは聞き込みのテクニックとご承知ください」
「それで迷惑する人がいてもですか」
「やむをえません」
「だったら、あの靴脱ぎマットのサソリの絵柄も?」
「サソリ!? あれは、ぼくがプレゼントしたマットじゃないか。その絵柄がサソリ? そんなはずはない」
駆けていき、
「本当だ。サソリだ。どうして、こんな絵柄に……ぼくは知り合いのマット業者に絵柄の注文するとき、カタカナで注文用紙に『キリン』と書いた。キリンは君が大好きな動物だから」
「覚えていてくれたの。わたし、こどもの頃動物園でキリンの親子を見てからキリンが大好きになって、以来キリングッズを集めている」
「注文書に書いた字が乱暴だったから、恐らく業者がキリンをサソリと読み違えたンだろう。明日、すぐに作り直させるよ。そうだ。その前に確かめたいことがある。ちょっと奥で電話を掛けてくる」
「キリンがサソリになる? 『キ』を少し斜めにすると、『サ』に見えるか。『リ』も『ソ』に読める。『ン』も、『リ』に読めないこともない。なるほど、悪筆だとカタカナのキリンはサソリとも読める。私としたことが、とんだ勘違いだった」
「刑事さん。いい加減な捜査はやめてください。夢の女に会いたいだなんて、病気のふりをしてわたしに近付き、わたしの恋人を犯人にするなんて」
「しかし、織元さんが死んだことは事実です。犯人はどこかにいるのです」
「わかったよ。こいつは、とんでもない食わせものだ」
「どうしたの?」
「門堂だ!? いま、麻布警察に電話をかけて聞いたら、門堂なんて刑事はいないって。麻布警察では、麻布署の門堂だと名乗る認知症の患者が、外科医フグ毒死亡事件の聞き込みしていて、とても迷惑しているそうだ」
「この人、本当の患者さんなの? どうしよう……」
「それに、織元の死亡は、自殺と断定された。そういえば、織元は手術の失敗で患者を死なせたといって、ずいぶん悩んでいた。動機はそれかも。テトラドトキシンは、織元が、フグ毒を研究するため、前にフグ料理屋から内緒で分けてもらった卵巣を、乾燥させて保管していたらしい」
「自殺でしたか。フグ毒を自分で飲んでね。これが本当のフク毒自殺ですか」
「バカなことをいってないで、病院に戻りなさい。あなたは認知症なんだから。外出許可はもらっているの?」
「外出許可はもらっていません。でも、夢に出ることはできます」
「あなた、何をいっているの」
「私はいま先生の夢の中にいます」
「バカはよしなさい。わたしは起きているわ。シッカリしなさい」
「しかし、事は先生の思い通りに運んでいるじゃないですか。元カレの事件は解決、先生とKにかけられていた殺人容疑は晴れた」
「だったら、このあとはどうなるっていうの」
「もちろん、目が覚めていきます」
(了)
夢の女 あべせい @abesei
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